2011年4月14日木曜日

変化を嫌悪する哀しい習性

こんなにもの凄い騒ぎになっても反原発に反対な人がけっこういるようです。別に積極的に原発推進って訳じゃないけれども、まあとにかく電気足りないみたいだから今まで通りの暮らしで、原発があってそれでいいじゃない、みたいな感じの人達のように見受けられます。

で、こういう人達、なんか「反原発」って聞くとメチャクチャ腹が立つようです。

ん〜。こういうメンタリティって結構日本では普通ですよね。

例えば会社の方針やら上司やらに不平不満があるのに飲み会の時だけ散々ブーブー言って絶対に表立って抗議せず、誰かが公に抗議したりすると、「なにあいつ格好付けてんだよな〜」みたいなことを言って急に冷めてたりして、今度は飲み会の酒の肴が会社の方針からその「目立ちたがりのあいつ」みたいにシフトするわけです。

小学校高学年ぐらいからもうずっとそう。多分これは自分が出来ないことをやる勇気がある人に対する、ある種の嫉妬心なんじゃないかと思います。

最近、原発の事故がレベル7になりましたが、放射能被害を恐れて引っ越しでもしようものなら「逃げた!」とか言い出したりするわけです。放射能に根性で勝てるわけじゃあるまいし、逃げるのが賢明でも、自分にない勇気を出したヤツはもういきなりバッシングです。

自分は目立たない安全圏に置いて陰口だけは大声で、っていうのが日本人の国民性な気がします。

日本人が道理で匿名が好きなわけです。2ちゃんねるなんかで言いたい放題するのは本当に日本人の気質にあっていると思います。

なんでそういうことになっちゃうのかな、と考えてみると、日本人っていうのは本質的に変化が嫌いなんじゃないかと思います。まあそういう文化なんでしょうが、変化する方がどんなに合理的でも、もう「変わる」ってだけで嫌悪感を覚えてしまう、というふうに見受けられます。

出版業界も変われず、音楽業界も買われず、電子化にひたすら遅れを取っています。その間変わり続けたアメリカの会社は、この業界の美味しいところを全部さらっています。

20年間続く不況も30年以上続く少子化に有効な回答を見いだせないのも、この変化を嫌悪する習性のせいのような気がします。

また太平洋戦争の時だって戦艦の時代から空母の時代に変わっていくのは自明だったのにこれに乗れませんでしたし、また最初から終わりまでずっと同じ零戦に乗っていました。しかし零戦を研究し尽くしたアメリカはB29で原爆を載せて飛んできました。

多分原発で飯を食っている人の中にだって、「このままじゃデカイ地震が来たらヤバいよな...」とか思ってた人もいるとは思うんですが、自分が異端になる勇気が持てず口をつぐんできたんでしょう。変化を恐れる気質というのは本当に危険だと思います。

東電の会見もヒドいもんですが、まあ多分今までもこんな感じでやってきて、だから変える理由さえ思いつかないんじゃないかと思います。多分なんで今バッシングを受けているのかさえ理解出来ないでしょう。

でもね、変化に対応出来ないと、生き物も組織も滅びるしかありません。

さてどうなる東電?どうなる日本人?どうなる日本?

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