2011年6月5日日曜日

熟考すべきか、即決すべきか?

毎日毎日生活していると、色々な決めごとに直面します。今日は何を着ようか?から始まり、100円ショップで赤いハンカチにしようか、それとも黄色いハンカチにしようか、夕飯のおかずは何にしようか、あるいはこの女性/男性と結婚するべきかどうか、はたまた家を購入するべきかどうか、就職先はどこにしようか、などなどと人生は様々な決めごとの連続です。

すべての決めごとを熟考して決めるのは時間的に不可能ですが、なんでもかんでも行き当たりばったりの即決ってわけにも行かないでしょう。おそらく大半の人がコストの安い決めごと、たとえば洋服を買うとか、日用品を買うなどは即決し、就職先や結婚の相手、あるいは住宅の購入などは熟慮に熟慮を重ねて決定していると思います。

しかし、果たしてそういう決め方がいいのかどうかは判りません。私は初めての就職先はよくよく検討し、人にも相談し、色々と情報を集めて決めましたが、わずか3年足らずで辞めてしまいました。しかし成り行きで入社した会社には16年も在籍しました。

他にもこうしたことは色々とあります。ネットでよく調査し、店頭で実物を手に取ってみたのに買ってみたらなんとも言えず使い勝手が悪くて不満が募ってしまうケースもあれば、適当に選んだ割にはしっくり来て故障もなく使い続けている製品もあります。

また初めて買った家は建築家の友人にまで観てもらって決めたのに結局どうにも気に入らず3年足らずで引っ越してしまい、10分足らずで購入を決めた現在の家はよく馴染んでこれからも長く住みそうな予感です。

私は最近よく思うんですが、この即決と熟考の優先順位をアベコベにした方が実は理に叶っているんじゃないかないでしょうか?つまり重大な決定ほど即決に委ね、まあどうでもいいものほどよく考えて決めるんです。

なぜこう思うかと言うとですね、実は熟考する決定プロセスには色々と致命的な弱点があるような気がするからです。

- 製品や状況についての情報を集める段階で、収集した情報そのものから影響を受け、決定に偏りがかかってしまう。

- 情報を集めたことで判ったようなつもりになって満足してしまう。

- インターネットや新聞、雑誌、あるいはテレビなどに発表された情報は程度の差こそはあれど少なからず他人の目を意識して発信されているものなので、どの程度真に受けるべきかどうかそれ自体判断が難しい。

- 他人の意見を聞けば聞くほどいわゆる「同調性バイアス」がかかってしまう。「同調性バイアス」というのはみんながそうしているから自分もそうしようと言ったような集団心理のようなものです。当たり前のことですが大勢の人の意見を聞くということはその人達の意見に知らず知らずに同調してしまう、ということでもあると思います。

- 情報を採取していく過程で「正常性バイアス」がかかってしまう可能性が少なくありません。人間は安心していたい動物です。ですから外界から危険信号がやってくると、パニックを避け冷静に対処しなければという心理が過度に働き、今度は人は自動的に危険に対して感度を下げる癖があるというのです。今回の津波で逃げ遅れた方もこの「正常性バイアス」が過度に働いて逃げ遅れてしまったのではないか?と言われています。

- 情報を集め、沢山の時間をかけて考えると、この「熟考」した時間そのものが勿体なくなってしまいます。考えたのに使った時間が勿体なくなってしまうわけですね。なのでその結果辿り着いた決定を覆しにくくなってしまいます。ですがどんなに時間をかけた決定でも「やっぱりやめた!」というのが大事な時もあるわけです。そのことをつくづく意識しておく必要があると思います。

- 決定事項に振り回され柔軟性を失ってしまう。しっかりリサーチして旅行の予定などを立てると、却ってそれに縛られてつまらなくなったりもします。つまらなくなったりするぐらいならまだいいですが、決定事項に沿うことが目的化してしまい、本来の目的を見失ってしまう、などの弊害が起こりがちです。

- 家の購入や結婚生活、あるいは進路などの人生の長いスパンに跨がる決定事項は、時代の変化、配偶者や自分の健康状態、あるいは世の中の経済状態など、意のままにならない要素に左右される部分があまりにも多いので実は熟考するのに向いていない項目である可能性が高いと思います。

もう長くなってきたので続きは次回にしますが、熟考するデメリットってかなりあると思うんです。なのでむしろ重要なことほど、あまり情報を採りすぎずにスパッ!っと自分の直感を信じて即決する方が理に叶っているんじゃないか?と思う次第です。

では続きは「即決のデメリット」を書いてみようかと思います。

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