2012年10月18日木曜日

自分を創る、自分を変える

その昔、「自分探し」なんていう言葉が流行りました。

今でもそういう言葉があって、みんな自分探しに外国に出掛けたりしているのかも知れません。

もう25年近く前、私も自分がナンボのもんだか証明したいような気がして、ヨーロッパを自転車で縦断したりしました。そこから得たものなんて特にありません。ただもの凄く陽焼けして、もの凄くこ汚くなって帰ってきただけです。

自転車で外国をウロウロしたって別に「自分」とやらが見つかるわけじゃありません。あっちこっち外国見れて楽しかったです。本当にそれ以上でも以下でもありませんでした。

ところがこういう体験そのものは、意外なくらい「無形」な変化を自分に与えてくれるものです。

自分を創っていく
外国に住んでみる。異なった言語、習慣、食事の中で暮らしてみる。あるいは異国を旅してみる。こうやってさまざまな体験を積んでいくこと、その「体験」そのものが自分を創って行くのではないか……。段々とそんなふうに感じるようになりました。

自分探しで外国に行くのはちょっと動機がくだらないけど、でも外国に行って見たこともない景色を見たり、知らなかった食べ物を食べたり、通じない言語の中で四苦八苦したりすると、間違いなくモノの見方や感じ方が変わってくきます。こうやって少しずつ形が変わっていくのが「自分」そのものなんだと思うんです。

人間は自覚する/しないに関わらず、他人、環境、あるいは体験からさまざまな影響を受けて生きています。そしてそういったさまざまな体験が自分という人間を創り上げて行くように思うんです。別に外国なんか行かなくたって、先生、先輩、友達、彼女などのさまざまな人々から有形無形の影響を受けながら自分が形創られていきます。

やがて就職し、家族を持った後でも私たちは変わり続けていきます。職場の上司や同僚、配偶者、あるいは自分の子供たちからもさまざまな影響を受け、私たちはずっと変わり続けて行きます。

例えばヨットに乗れるようになったとしましょう。そして一生懸命風を掴みながら洋上に出てみます。そして知っている土地を海から眺めると、また異なった印象を受けるものです。するとほんの少しだけですが、自然に対する自分の姿勢や、よく知っていると思い込んでいた郷土の見方などが少し変わるものです。

こうやって知らぬ間に自分が少しずつ変わります。様々な人と出会い、いろんな景色を見て、いい思いや辛い思いをし、人に救われたり。蹴落とされたり……。そしていつの間にか「10年前の自分」と「今の自分」とでは、モノの感じ方や見方がけっこう異なったりするものです。

変わることを恐れない
つまり「自分を創っていく」という行為は、「自分が変わっていく」ということと同じことです。

行く先なんて分かりません。でも勇気を出して、変わってしまうことを恐れず、新しい風に自分の身を任せていくことが大切なんだと思うんです。そこにまた新しい出会いや発見があります。

自分がどのように変わっていくのかは前もって予想できません。しかし新しい体験を得る面白さは、こうした意外性にあるんだと思います。

語学を憶えようと思って外国に行ったら麻薬を憶えてしまったなどの、好ましくない変化もあり得るでしょう。でもそんなことを恐れていたら、自分を変えていくという希有な体験を逃してしまうように思うんです。

子育てもまた「わからない」
子どもの教育について考えてみましょう。

幼稚園に行かせ、小学校に行かせ、中学に行かせます。子供自身があちらこちらでさまざまな人と出会い、さまざまな体験を重ね、その子が少しずつ出来上がってきます。しかし、その子がどんな体験をし、どんな大人になっていくのかなんて実は誰にも分かりはしないんです。本人でさえもわからないでしょう。

上の学校に行けば行くほど、親の手を離れていきます。どの親も、自分の子供が良き先生や先輩、あるいは友人に恵まれ、自立した大人になってくれることを願うでしょう。しかし実際のところは本人次第。いや、ほとんど運次第だと思うんです。

もしも子供に教えてあげられることがあるとしたら、「その時その時を一生懸命生きろ」ということだけではないでしょうか?

自分の人生も、あるいは子育ても、どこに向かっているのかさえ分からない、旅路のようなものです。

私たちに出来ること、それは旅路そのものを楽しむくらいのことでしょう。









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