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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2012年10月24日水曜日

信じるということ

人を信じるってどういうことなんだろうか?

時々そんなことを考えることがあります。

世の中には信じられる人と信じられない人がいます。家族だからと言って無条件に信じられるわけではないですし、逆に他人でも信じられる人は信じらるわけです。こうした経験は誰にでもあるでしょう。

信じるという行為は難しいものです。

信じると言うこと、それは「裏切られる覚悟する」ということだとなんだと思います。

相手が裏切らない保証があるから信じる、というのでは「信じている」と言うよりも、「相手が裏切らないから私も裏切らない」という一種の契約のようなものではないかと思います。

無論「相手が裏切らないから私も裏切らない」という関係や感覚のほうが普通であって、人を裏切れば信用を失うのは世の常です。

例えば神を信じるか信じないか、という話も「証拠があれば信じる」というのでは別に信じているわけではなくて、「証拠があったから認識した」というだけに過ぎません。証拠があろうがなかろうが、神の存在を信じる。仮にそれがどんなに不合理に聞こえても信じることをやめない。それが「信じる」という行為ではないかと思います。

子供が非行に走ったときなどに「信じていたのに……!」と言って涙ぐんだり罵声を浴びせるのではなく、「この子はまたきっとどうにかなる」と心の底で信じてあげるような感覚、とでも言えばいいでしょうか?無論その信頼は情け容赦なく幾度となく裏切られますが、それでも信じ続ける、というのがしばしば親の勤めだったりします。

だから冷静に考えてみると、「あなたを信じている」なんて軽々とは口に出来ません。

信頼とは「この人なら絶対に裏切らない」ではなくて、「この人になら裏切られてもいい」と思う行為だからです。

つまり「信じること」はそのまま「愛すること」なのです。

では自分なら信じられるのか?
では他人を信じるのが難しいとしたら、自分なら信じられるのでしょうか?

私は普通の意味ではあまり自分を信用していません。

自分のことを特別信用が置けない人間とも思いませんが、その一方で嘘を付いたこともあれば、決心を容易に曲げたり、はたまた信頼を寄せていてくれた人を裏切ったこともあるからです。

でも20年前、10年前に比べるといくらか自然体になれたようで、「こんなしょうもないオレだけど、まあかけがえのないオレ自身だから、自分を信じて、愛して生きていこう」と思っています。

これからも様々な決断を下し、中には間違った決断や行動もしていくのはないかと思っています。

しかしそれらは誰の決断でもない自分の決断ですから、そんな決断をしていく自分を信じて、そこから派生するさまざまな責任から逃げ出さずに背負っていこうかと思っています。



2012年10月19日金曜日

自分を創る、自分を変える

その昔、「自分探し」なんていう言葉が流行りました。

今でもそういう言葉があって、みんな自分探しに外国に出掛けたりしているのかも知れません。

もう25年近く前、私も自分がナンボのもんだか証明したいような気がして、ヨーロッパを自転車で縦断したりしました。そこから得たものなんて特にありません。ただもの凄く陽焼けして、もの凄くこ汚くなって帰ってきただけです。

自転車で外国をウロウロしたって別に「自分」とやらが見つかるわけじゃありません。あっちこっち外国見れて楽しかったです。本当にそれ以上でも以下でもありませんでした。

ところがこういう体験そのものは、意外なくらい「無形」な変化を自分に与えてくれるものです。

自分を創っていく

外国に住んでみる。異なった言語、習慣、食事の中で暮らしてみる。あるいは異国を旅してみる。こうやってさまざまな体験を積んでいくこと、その「体験」そのものが自分を創って行くのではないか……。段々とそんなふうに感じるようになりました。

自分探しで外国に行くのはちょっと動機がくだらないけど、でも外国に行って見たこともない景色を見たり、知らなかった食べ物を食べたり、通じない言語の中で四苦八苦したりすると、間違いなくモノの見方や感じ方が変わってくきます。こうやって少しずつ形が変わっていくのが「自分」そのものなんだと思うんです。

人間は自覚する/しないに関わらず、他人、環境、あるいは体験からさまざまな影響を受けて生きています。そしてそういったさまざまな体験が自分という人間を創り上げて行くように思うんです。別に外国なんか行かなくたって、先生、先輩、友達、彼女などのさまざまな人々から有形無形の影響を受けながら自分が形創られていきます。

やがて就職し、家族を持った後でも私たちは変わり続けていきます。職場の上司や同僚、配偶者、あるいは自分の子供たちからもさまざまな影響を受け、私たちはずっと変わり続けて行きます。

例えばヨットに乗れるようになったとしましょう。そして一生懸命風を掴みながら洋上に出てみます。そして知っている土地を海から眺めると、また異なった印象を受けるものです。するとほんの少しだけですが、自然に対する自分の姿勢や、よく知っていると思い込んでいた郷土の見方などが少し変わるものです。

こうやって知らぬ間に自分が少しずつ変わります。様々な人と出会い、いろんな景色を見て、いい思いや辛い思いをし、人に救われたり。蹴落とされたり……。そしていつの間にか「10年前の自分」と「今の自分」とでは、モノの感じ方や見方がけっこう異なったりするものです。

変わることを恐れない

つまり「自分を創っていく」という行為は、「自分が変わっていく」ということと同じことです。

行く先なんて分かりません。でも勇気を出して、変わってしまうことを恐れず、新しい風に自分の身を任せていくことが大切なんだと思うんです。そこにまた新しい出会いや発見があります。

自分がどのように変わっていくのかは前もって予想できません。しかし新しい体験を得る面白さは、こうした意外性にあるんだと思います。

語学を憶えようと思って外国に行ったら麻薬を憶えてしまったなどの、好ましくない変化もあり得るでしょう。でもそんなことを恐れていたら、自分を変えていくという希有な体験を逃してしまうように思うんです。

子育てもまた「わからない」

子どもの教育について考えてみましょう。

幼稚園に行かせ、小学校に行かせ、中学に行かせます。子供自身があちらこちらでさまざまな人と出会い、さまざまな体験を重ね、その子が少しずつ出来上がってきます。しかし、その子がどんな体験をし、どんな大人になっていくのかなんて実は誰にも分かりはしないんです。本人でさえもわからないでしょう。

上の学校に行けば行くほど、親の手を離れていきます。どの親も、自分の子供が良き先生や先輩、あるいは友人に恵まれ、自立した大人になってくれることを願うでしょう。しかし実際のところは本人次第。いや、ほとんど運次第だと思うんです。

もしも子供に教えてあげられることがあるとしたら、「その時その時を一生懸命生きろ」ということだけではないでしょうか?

自分の人生も、あるいは子育ても、どこに向かっているのかさえ分からない、旅路のようなものです。

私たちに出来ること、それは旅路そのものを楽しむくらいのことでしょう。







2012年10月14日日曜日

限界設定の難しさ

よく心理学の本などに出てくる言葉に「限界設定」という言葉があります。

Boundary settingとかLimit settingという概念が日本語化されたものですね。

要するに子育ての際に、「ここから先はダメ」という壁を作ってあげる作業です。

「ゲームは1時間でヤメなさい」とか「10時になったら寝なさい」とか、「ご飯は好き嫌いしないでちゃんと食べなさい」とかそういう類いのことです。

よくスーパーの中でヒックリ返って泣き叫んでダダをこねているお子さんがいますが、あれは限界設定ができていない典型的な例と言っても良いでしょう。

限界設定の難しさ

限界設定は考えている以上に難しい作業です。子育てをしていく中でもっとも難しいことのひとつなのではないかと思います。境界を設けて徹底させるのはホントに楽じゃありません。

限界設定をする際、まず「何を境界とするのか」。これをキチンと決める必要があります。そしてこの作業は夫婦でやらないとうまくいきません。

よくお母さんが「9時だから寝なさい」とか「甘いものばかり食べるんじゃありません」などと言って、限界設定をしようとしているのにお父さんが横から「いいんだよな〜」なんて言って崩してしまうことがあります。逆のパターンもあるでしょう。

子供だってああせい、こうせい、言われて嬉しくもありませんから、どちらかの親が甘いことを言ってくれれば願ったりかなったりです。

また夫婦が一致しててもおじいちゃんおばあちゃんがメチャクチャをやってしまう、などというのもあります。たまにならまだしも、祖父母が近所に住んでいたりしてチョクチョクやられると本当に厄介です。

また親の言うことがそれぞれで違うんじゃ子供だってどこが壁なのか分かりません。

だから「何を壁にするのか」は夫婦で合意できていることが基本です。

境界をブラさない

せっかく境界を決めたのに、すぐにブレてしまうお父さんお母さん、結構います。

ダメなものはダメ。そこからブレないことが肝心です。今日はいいけど明日はダメ、では子供が混乱してしまいます。 子供が不憫になってしまったり、また親の機嫌で境界を変えたり…。これでは壁として機能しません。

お友達の家ならいいけど、自宅ではダメとか、そんな複雑なルール、子供には理解できませんし、今度は理解できるようになると、こういうブレているところを見つけて揺さぶりをかけてきます。子供の学習能力を侮ってはいけません。

何を伝えたいのか

よく「子供が車に乗ってくれないから帰れない」などというお母さんがいます。そして延々駐車場にいるのです。しかしそこは子供の意思を尊重するシーンじゃありません。帰る時間になったら帰る。そういうルールを教える機会なんです。問答無用で乗せてしまう。これを3回もやればもう「乗らない」問題は解決してしまいます、「お母さんはブレてくれない。」それが分かれば言うことを聞くようになるものです。ブレると分かればトコトン揺さぶりをかけます。子供の仕事は壁を乗り越えて行くことなんですから、それは当然のことです。

また子供が従ってくれないからと、モノで釣るお母さん、沢山います。「もう帰る時間よ」「ヤダ!」「お菓子買ってあげるから帰ろう」などなど……。子供が大きくなったらいったい何で釣るのでしょうか?モノやプレゼントでつっていると、子供はそういう取引を憶えていきます。結局「何を学ばせたいのか?」という問題なんだと思います。

また怒鳴ったり殴ったりしていうことを聞かせると、結果として子供も殴ったり怒鳴ったりして人を従わせてもいいと学習してしまいます。ここもまた「何を学ばせたいのか?」という問題なんだと思います。暴力で人の意志を曲げてもいいと学習させたいのか?という問題です。

萎縮させてはいけない

しかし子供があんまり萎縮してもいけないので、どうしても今日は長く遊びたい、などといった場合には、キチンと主張するよう訓練するのがよいと思います。普段キチンと限界設定をすることで、逆にこういう機会を作りだすこともできると思います。

また子供も発言をする機会を与えることも重要でしょう。最初は外食の行き先といった些細なことから始め、駄々をこねるのではなく、きちんとした発言しやすい空気を作っていくことも大切なのではないでしょうか?

ぶん殴るとか怒鳴りつけるなんてもってのほかです。私は自分もそうされ、子供にも何度かそうしてしまいましたが、子供が萎縮して歪むだけです。暴力はヤメておきましょう。

何のために限界設定するのか?

では最初のところに戻って、そもそも限界設定をなぜする必要があるのか考えてみましょう。

ひとつは社会性を身に付ける、というコトだと思うんです。社会で通用する立ち振る舞いですね。恥ずかしくない生き方。キリスト教のように「神様がいつも見ているよ」というのもひとつのアプローチでしょう。いずれにせよ、人が見ていようと見ていまいと人として情けないこと、恥ずかしいことはしない、ということを教えていく方法のひとつとして、教会に行くのもひとつのやり方でしょうが、キチンと型に嵌めて教育するいう方法もあると思います。昔風の言葉で言えば、「躾」ですね。

もうひとつは敢えて擬似的に壁を作ってあげることで、反抗期を迎えるために必要な要求不満を与えて あげる役割があるんじゃないかと思うんです。

「ああせいこうせい」と言われて嬉しい子供はいません。14歳ぐらいになると、段々「お父さんの言うことはおかしい!」などと言い出します。これはすごく健全な話だと思うんです。

あるいはウチの親はウザいからと友達との世界を構築し始め、段々そっちに引っ越してくれる。そうやって自立する。だからある年齢に達するまでは親はウザいぐらいでちょうど良いのではないかと思うんです。

本格的にウザがって、段々親離れできてきたら、段々目線を下げていってもいいと思うんです。親目線から、「少し先を生きる先輩」の目線へ。「ああしろこうしろ!」から「オレだったらこうするけどな」へシフトしていくんです。これがなかなか難しいですね。

以下5年後に加筆



さて、5年が経過して子育てが終わりましたが、この文章を最初に書いた頃は子供が思春期真っ只中で、本当に四苦八苦しました。僕は子育てを心からエンジョイさせてもらいましたが、あの数年間だけには戻りたくないな、としみじみ思うくらいです。

振り返ってみると、子供のご機嫌をとって妥協せず、でもちゃんと寄り添って話を聞いてあげてあげるのが鍵だったように思います。結局子供は大人の本気を試しているんです。とことんまで付き合ってあげるしかないです。そして子供が思春期を抜ける頃、壁は必要なくなります。親子というよりは良き友人になれます。そういう脱皮の季節が、思春期なんです。ただ、脱皮は本人も周囲も苦しいんですね。

さて、取り留めなくなって来たので、これについてはまた次回。

関連記事:牛乳石鹸のCMに感じる15の違和感



2012年10月11日木曜日

書評:外資系の流儀

みなさんは「外資系企業」と聞いてどんな印象を抱くでしょうか?

なんか厳しそう。

給料が良さそう。

オフィスがキレイ。

突然クビになる。

……。

……。

きっとさまざまなイメージを持っているのではないかと思います。

どれもそれなりに正しいと言えますし、正しくないとも言えます。 外資系の企業に勤める人は日本の人口のわずか1パーセントだそうですから、実態がよくわからないのも無理がありません。私自身も実際に勤めてみるまではイメージだけが先行している謎の組織といった印象だったのです。

さて、今年の5月のある日、佐藤千恵さんという方からメールをいただきました。

佐藤さんはかつてNHKでディレクターをいらした方で、ご自身も外資系歴10年といった方です。そんな彼女、外資系企業について本を執筆中ということで私への取材の依頼だったのです。

そこで私がまだアップルジャパンに勤めていた頃の印象を中心にお話させて頂きました。

さてそして先月、遂に出版に至ったということで佐藤さまよりご献本頂きました。この場をかりて御礼申し上げます。

早速読んでみましたが……。面白い!

著者の佐藤さん、私の他にも非常に多くの外資系企業関係者にインタビューを重ねており、外資系企業の実態を多角的に浮き彫りにした一冊です。

私自身もアップル以外は特に外資系企業を知っていわけではありませんから、「へえ〜」とおもしろおかしく、それでいて実に興味深いエピソードが引っ張られて、あっという間に読んでしまいました。

一番腑に落ちたのは、外資系日本法人の多くは、本社の「植民地」であるという件。実に的を得ています。往々にして外資系企業には決定権や裁量権がほとんどありません。すべて本社に決められ、いちいち本社にお伺いを立てないと何一つ出来なかったりします。

外資系企業に勤めてみたい方には面接のやり取りなどや勤務の実態、職場のカルチャーを知る上で非常に得ることの多い一冊になるのではないかと思います。

日本企業も明日はどうなるのか分からない今日、転職を視野に入れている方にもおすすめです。

また単なる野次馬根性で読んでも相当面白い一冊です。

ぜひお勧めします。

関連記事:グローバル企業のトップはみんな猛禽類


2012年10月10日水曜日

自尊心はほどほどのサイズで

23歳の時、プログラミングと英語を憶えて日本に帰ってきた。

そしてコテコテの日本企業に就職した。

親を安心させたい気持ちもあったし、おそらく激しく「アメリカかぶれ」しているであろう自分を、「日本人」に戻したい、というような気持ちがあって、そんなコテコテの企業を選んだんだ。

振り返ってみると、この選択はとっても間違っていたんじゃないかと思うことが多い。

そもそもオレは人と同じように振る舞ったりするのが得意ではないし、そういうことを強く要求される会社に入るよりも、鼻っから外資系に入社したほうがよほど良かったような気もする。大体外資系のほうが給料がずっといいし。

しかも外資系から内定を貰っていた。なぜ行かなかったんだろうか?

今考えても謎である。

就職した会社には色々と不満があったが、とにかく不満だったのはその安い給料だった。

いま振り返ってみると、自分はかなり評価されていたのではないかと思う。何しろ就職1年目から海外出張だったし、海外の取引先と直談判などということをやらせて貰えた。入社1年目のエンジニアなのに。英語が堪能でコードが書けるというのは随分有利だったと思う。

でも笑えるくらい薄給だった。まあ日本のメーカーの1年目なんてどこも似たり寄ったり。今でもきっとそうだろう。それでもこれが一番不満だった。よく仕事で徹夜もした。そのこと自体はいい。デバッグしてれば一晩ぐらい飛んでしまうのはよくある話。それにそんなことでもしなくちゃどうせカネなんか貯められないようなレベルの薄給。日本の若手エンジニアの青春だよね。

当時付き合っていた女の子はスッチーで、彼女の給料は俺の倍も良かった。これがまたなけなしのプライドを打ち砕いてくれた。まあでも考えてみると、よく俺みたいなつまんない薄給の男と付き合ってくれたよな。

いま振り返ってみると、俺はアメリカで学生時代を過ごしたことで、自己を肥大させ過ぎたような気がする。

俺はあんなこともこんなことも出来るのに、なぜこんなに薄給なんだろう……。っていつも思っていた。

そしてたった3年で会社を辞めてしまった。

なんで俺は薄給という点を除けば「やりがいのある仕事」に満足できなかったんだろう?アメリカの価値観に染まり過ぎていたんだろうか?

当時はそんなことばかり考えていた。

進路

もっとすぐに評価されて世の中の役に直接たって、そして自分の頑張り次第で収入を増やせる職業に就きたかった。

そこで柔道整復師になろうかと考えた。専門学校に3年行って国家試験に受かれば、開業も夢じゃない。すぐに人々の役に立つし、老人は増える一方だから食べていくには困らないだろう…。そんなことを考えた。そこで受験勉強を始めたのだが、親はカンカンだった。

「お前を接骨医にさせるためにアメリカの大学を出したんじゃない!!」

頭の固い親は怒りだした。確かに親が怒りだすのも分からなくもなかった。留学の費用を出してくれたのは他でもない親なのだし。

そんなふうにぐだぐだと迷い続けていたらスッチーの彼女にも振られ、まったく自尊心もヘッタクレも無かった。

結局その後1年もしないうちにアップルで働き始めて給料の問題などすぐに解消してしまうのだが、そんなことは当時分からなかった。だから本当に落ち込んだ。

自己承認

さて以上は前置き。考えてみたかったのは自尊心の問題なのだ。

今の世代は「自分の気持ちが一番大切」なんて言われて育てられるし、少子化だしで、多分みんな当時のオレと同じぐらい自尊心が肥大しているんじゃないだろうか?

でも給料を払ってくれる人が評価してくれなきゃカネは貰えないんだよね。あなたの自尊心が大きくても小さくてもそんなことは関係ないんだ。

そして自分が雇用する側になってみて分かること。それは、労働者の賃金って要するに経費なんだよね。機材のリース料と対して変わらないんだ。だから薄給に決まっている。それがいやならのし上がるなり、経営側に回るしかないんだ。

ただ自尊心があんまり大きいと結局損することが多いと思う。自分のことを何様だと思っているから、何を得てもなかなか満足できない。働けないニートなんて実はこういう発想なんじゃないだろうか?オレ様がやるべき仕事は、すごくやりがいがあってすごくお金が貰えて、すごく名誉がある仕事、みたいな。

そんな仕事がたとえあったとしても、ニートの君には絶対に廻ってこないって。

だからつまらない自尊心はどっかに捨てて、気持ちを軽くしようよ。

あの頃オレの自尊心を木っ端微塵に打ち砕いてくれた、様々な出来事や人々には、感謝しています。