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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2016年12月18日日曜日

僕らはみんな、誰かの人生に参加している

36歳の時に、家族を連れてアメリカに渡った。

ひょっとしたらもう日本に住むことはないかもしれない……。何となくそんな予感がして、僕はあちこちにバイクを走らせては、ビデオや写真を撮った。

通っていた幼稚園、小学校、中学校、高校。スイミングクラブ。初めてのバイト先や就職先。当時通っていたお蕎麦屋さんや喫茶店などなど。

その時々に、それぞれの場所で、僕なりの思い出がある。誰にだって、嬉しい思い出もあれば、人には話したことのない辛い思い出の一つや二つもある。そしてその時々に温かい言葉をかけてくれたり、手を差し伸べてくれた人たちがいる。中には、名前さえ知らない人もいるし、気を使ってもらったことにこちらが気がつかなかった人さえいるだろう。

でも僕らは、そんなふうに受けた恩をいつの間にか記憶の片隅へと押しやってしまう。感謝していないわけじゃない。でも、何となく気恥ずかしかったり、うまい感謝の言葉を思いつかなかったり、「ちゃんとお礼しなくちゃ」などと思っているうちに、時間が過ぎ去ってしまったりするのだ。

再びアメリカに住みたいと思ったのには訳がある。

僕がかつて、ほとんど英語を喋れないままにアメリカに渡った時に、親切にしてくれたおばあちゃん先生がいた。当時すでに70歳をすぎていたメアリ・ドロシー先生だった。僕が通っていたのはカトリック系の高校で、先生は学校のそばに併設された寮のようなところに住んでいた。

一生をキリスト教に捧げてきたメアリ・ドロシー先生は、穏やかな人だった。僕の拙い話を一生懸命聞いては、簡単な言葉で色々と質問してくれた。そして、僕の英語があまりにも間違っていると、正しい文法や発音で僕のセリフを言い直してくれる。

先生の前だと失敗してもなんだかオッケーな感じで、安心して覚えたばかりの表現を使ってみた。僕はかなり短期間で英語が話せるようになったが、それはきっとこのお陰だろう。さらに、僕は将来はきっとアメリカに住もうとこの頃に決心したのだが、それだって、この先生のあたたかさによるところが大きい。

人のあたたかさ。それが思い出を作ってくれる。特定の土地や場所への郷愁を作ってくれる。こうして僕は、人生の一ページをアメリカで過ごしてみようと決意したのだ。そして、もうこの土地に19年も住んでいる。



メアリ・ドロシー先生のことを思い出させてくれたのは、飛行機の中で読んだ「バーのマスターは、「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由 」という単行本だ。


特に心を掴まれた一節を引用しよう。

お店に立つということは誰かの人生に参加しているということなんです。僕たち店員がサービスした席でプロポーズしてるかもしれません。僕たちが何気なく言った言葉が、誰かの人生を変えるかもしれません。

多分、このことはお店に立つことだけに限らない。僕らはみんな、知らず知らずのうちに他人の人生に参加している。他人に影響を与えることもあれば、逆に自分が受けることもある。それには良いものもあれば、悪いものもあるだろう。著者の林伸次氏は、わずか二回しか行ったことのない喫茶店で、大きな影響を受けたという。

僕は今、ブライチャーという語学学校を経営してる。そこで僕は、従業員たちや大勢の生徒たちの人生に参加させていただいている。願わくば、かつてメアリ・ドロシー先生が僕にしてくれたように、彼らの背中をほんと少しでも押すことができたら、と改めて思わせてくれた一冊だった。



メアリ・ドロシー先生は晩年、シンシナティ市にある養老施設に入居された。その頃大学生だった僕に、ある日先生から1枚のハガキが届いた。そこには「ヒロシ、お元気ですか? 私はもうすっかり歳をとってしまって、養老院に入ってしまいました。周りは知らない人ばかりで、とても寂しいです」と綴ってあった。

まだやっと20歳の僕には、重い手紙だった。気の利いた返事を書きたいと思ったが、どうしても筆が進まなかった。そして極めて愚かなことに、僕はそのまま放置してしまったのだ。

しばらくして先生は亡くなってしまい、今はもう思い出の中にしかいない。

30年も前のことだが、情けなく思う。

そんな僕に今できることはといえば、かつて先生が僕にしてくれたように、あたたかい学びの環境を作ることだけなんじゃないだろうか。

この1冊には、著者が大切にしてきた出会いや思い出だけではなく、極めて実践的な飲食店経営のノウハウなどもぎっしりと詰め込まれており、気づきにあふれ、それでいてホロリとさせてくれる、良書でした。

強くオススメします。




「本気で英語を学ぶ人」のためだけのイングリッシュアカデミー、それがブライチャーです。「英語を本気でモノにしたい」そんなあなたの前向きな姿勢に、ブライチャーは本気でお応えします。

2016年12月14日水曜日

人間が人間らしく振る舞うには、お金が必要です

フィリピンでビジネスを始めて、骨身にしみて実感したことがある。

それは、「人間が人間らしく生きるためには、衣食住がきちんと満たされており、なおかつ安全が担保されている必要がある」と言う当たり前の事実だ。

マズローの五段階欲求説というものがある。




この説によると、「社会貢献する」とか「創造性を発揮する」などと言った自己実現欲求は、それよりも下位に来る欲求が満たされて、初めて実現できるというのだ。 「そんなことはない!二宮金次郎や野口英世を見ろ!極貧の家庭で育ったのに世の中を変えたじゃないか!」と思う人もいるだろう。確かに例外は現実に存在するが、滅多にいないからもてはやされるわけで、残念ながら大半の普通の人々は、やっぱり「貧すれば鈍する」なのだ。 別にそんな特別に極貧の家庭で育たなくても、例えばインフルエンザにかかったり、忙しすぎて1、2食抜いただけだって集中力が下がってしまう。あるいは空港や駅で財布をすられただけで、絶望的な気分になり、周囲の人がスリに見えてしまう。安全な社会や住居がなければ、他人を信用したり、尊重したりすることなどできないのだ。

フィリピンの場合


僕が今事業をしているフィリピンでは、多くの人がまだこの一番下のレイヤーの「生理的欲求」、あるいはその次の「安全欲求」のレベルで止まっている。もちろん自己実現欲求に達している人もいるが、それはほんの一握りの階層に過ぎない。

むろん、誰だって下位レベルから抜け出したい。ところが、親が子の足を引っ張ったりするので、なかなか思うようにならないようだ。例えば子供が一流大学を出ていい仕事に就いたとする。すると、親兄弟が子供の収入を当てにしてタカリ出すのだ。だから、子はいつになっても豊かになれない。傾いたあばら家に住み、親兄弟を養っていく以外に選択肢がないのだ。子供は貴重な金づるだから、稼げるようになってもおいそれと独立などさせはしない。

するとどういうことが起きるだろうか? 子の方だって未来が描けないから、享楽的、刹那的になり、目の前の出来事に一喜一憂するようになる。もちろん貯金なんてしないし、職場でちょっと嫌なことがあれば転職してしまう。日本人から見ると「なんて短絡的なんだろう!」となるが、目の前の現実が物理的なレベルで止まっているので、恩義も忠誠も我慢もクソもないのだ。そうしたことは、下の方のレイヤーがキチンと満たされて、初めて思い至ることなのろう。

こんなことを書くと、上から目線だとと思うかもしれない。だが、かの地では第2段階の安全欲求を満たすことさえもかなりの努力やお金を要する。インフラ整備も著しく遅れている。道にはほとんど信号がないから、片側3車線の道だって命がけで横切らなければならないし、排気ガス規制なんて無いも同然なので、モクモクするような空気の中を歩かなければならない。ちょっと大雨が降るとあっという間に道路が冠水し、交通マヒに陥ってしまう。公衆衛生も著しく遅れいて、簡単に下痢や食中毒になりやすい。さっさと医者に行けばいいのだが、大半の人が健康保険に加入していないのだ。

また、ネットがあってもオンライン・ショッピングが成立しない。インフラが遅れすぎているのと、配達人が荷物を盗んだりするので商売が成立しないのだろう。アマゾンさえ上陸していない。スリなどの軽犯罪も日常茶飯事だ。僕自身もスリにあったことがあるが、先進国と同じような感覚でいると、格好の餌食にされてしまう。だから常に神経を張り詰めていなければならず、無駄に疲れてしまう。仕方がないことだが、こういう環境で創造的なことに回すエネルギーを捻出するのは、どうしてなかなか骨が折れる。

そう。清貧なんていうのは基本的に絵空事なのだ。あまりに貧しいと善悪なんて言ってられない。スリにだって生活があるのだ。「ああ無情」のジャン・ヴァルジャンではないのだが、明日の食費に困っている人に、「盗んではいけないよ」などと説教しても効果など期待できない。

「自己実現」は金がかかる


時折アメリカや日本に戻ると心底ホッとする。何も考えずに安全を享受できるのはいったいどれほど有難いことなのだろうか? たまたま先進国に生まれた僕らは、衣食住や安全を当たり前のこととして受け入れていて、自分たちがどれほど恵まれた状況にいるのか、考えることさえない。

言わずもがなだが、交通網、上水道、下水道、配電、ネットなどといった先進国の整ったインフラの構築とそのメンテには莫大なお金がかかっている。警察、消防、教育、郵便、医療、年金などと言った様々な制度も同じことで、お金がなければ何一つ成立しない。

そう。マズローの自己実現欲求のレベルに達するには、お金がかかるのだ。

もしも社会全体がこうしたインフラや制度にかかるお金を負担しなくなったら、豊かの人だけが集まって警備員を雇い、柵に囲まれた彼らだけの世界で暮らすようになるだろう。安全や教育や医療が一部の人だけの特権になっていくのだ。一方お金がない方は、明日の食事の心配をするのが精一杯になり、道徳なんて二の次になる。フィリピンをはじめとする多くの国が、実際にこのような状況にあるのだ。

だから、僕らはシッカリとお金を稼ぎ、税金を払い、それが有効に使われるよう、政治を監視し、問題があれば声をあげていかなければいけない。別にお金がなくたっていいじゃないか?などというのは、たまたま先進国に生まれたから言える戯言なのだ。

人間が人間らしく生きていくには、お金が必要なのだ。

シッカリと稼ぎ、賢く使う。

豊かな社会を創るということは、そういうことだろう。





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2016年12月3日土曜日

アメリカがポリコレと共に投げ捨てたもの

ドナルド・トランプ氏が選挙運動中にこき下ろしたポリコレこと「ポリティカル・コレクトネス」、選挙直後には日本でもずいぶん話題になったようです。「ポリコレ棒」なんて言う言葉まで飛び出して、ネット上で随分熱く議論されていました。

日本で繰り広げられたポリコレ議論は、主に「言葉の使い方」に終始していたように見受けられますが、実はアメリカにおけるポリコレは、表現の問題だけにのみならず、例えば会社や学校の政府の方針や政策など、ありとあらゆるところに深く及んでいるある種の、思想、あるいは価値観のようなものなのです。

そしてこのポリコレは、ここ数十年のアメリカの繁栄に大きく関与してきました。

求人面接で訊いてはいけないこと

例えば日本では「35歳未満の男性を募集中!」などと言った求人広告を目にしますが、これ、アメリカだったら完全にNGです。理由は簡単、年齢差別だからです。同様に「未婚女性のみ募集」もダメですし、「白人男性のみ募集」もダメです。「キリスト教徒のみ募集」とかもダメです。

しかし、「プログラミングの経験が5年以上ある方」ならば全然オッケーです。「公認会計士の資格を持ち、実務経験が3年以上の方」とかね。こういうのは全く構いません。これが「政治的な正しさ」というわけなのです。

さて、実際にこういう公正中立な広告を出して、応募がワンサカ来たとしましょう。アメリカの標準的なレジメには、志望動機、学歴、そして実務経験以外には余計なことが書いてありません。顔写真も添付されていませんし、生年月日や性別や未婚か既婚かさえも記載されていないのが普通です。ですから面接の当日まで、どんな人が来るのか皆目見当がつかないことも多々あります。

目の前に現れる候補者は黒人かもしれませんし、白人かもしれません。あるいはアジア系かも知れないし、ラテン系かも知れません。更に、未婚の方かもしれませんし、結婚していて3人子持ちの方かもしれません。イスラム教の信者かもしれませんし、仏教とかもしれません。

そして面接の場で、特に気を使わなければならいないのが「ポリコレ」なのです。

例えば、残業や休日出勤が可能なのか訊きたいとします。その際にはストレートに、「忙しい時には残業や休日出勤がかなり発生しますが、出勤可能ですか?」と尋ねればよいのです。間違っても、「お子さんはいますか?お迎えに早く帰る必要はありますか?」などと訊いてはいけません。お子さんを迎えに行くか、託児所に預ける時間を伸ばすのかは候補者の個人的な問題だからです。

あるいは募集している仕事が体力的にかなりきつい仕事だとします。応募者はどう見ても自分の父親ほどの年齢で、雇う側としては思わず「失礼ですが、お年はお幾つですか?」などと訊きたくなるところです。しかし、これもNGです。こういう場合には「この仕事は荷物の搬入がメインで、非常に重いものを頻繁に運ぶ必要があります。体力的に問題ありませんか?」などと言ったふうに尋ねればよいのです。

面接の場で聞いていいのは、あくまで職務への適性に直接関係ある質問だけです。信条も、宗教も、年齢も、結婚の有無も候補者のパフォーマンスとは関係ありません。唯一の例外は、例えば「身長180センチ以上の男性モデル募集」などのように、仕事の内容が特定の性や身体的な特徴を必要条件とする場合のみです。面接でうっかり子供の有無などを尋ね、就職差別で訴えられた企業も少なくありません。

ポリコレがもたらした世界

こうして80年代に萌芽したポリティカル・コレクトネスは、年を追うことに普遍的な価値観としてアメリカの文化に組み込まれて行ったのです。その結果、アメリカという国は外国人やマイノリティにとって非常に働きやすい場所になりました。特に思い切り左に振れているシリコンバレーなどはその典型でしょう。

そしてこの地には、全米、いや、世界中から優秀な人材がなだれ込んできたのです。

過去20年間にシリコンバレーで起業した全ベンチャー企業の半数以上は、移民が創業者になっていると言われています。グーグルのセルゲイ・ブリンは旧ソビエト、ホットメールのサビア・バティアはインド、ヤフーのジェリー・ヤンは台湾、イーベイのピエール・オミダイアはフランス、テスラのイーロン・マスクは南アフリカ生まれと、例をあげればきりがありません。

下はアップルの多様性に関するビデオ。アップルに限らず、シリコンバレーの企業はどこもこのような感じです。



そう、ポリティカル・コレクトネスはやっぱり大切なのです。

ポリコレ瓦解を喜ぶ人たち

ところが今回トランプはこのポリティカル・コレクトネスをこき下ろし、窓から投げ捨ててしまいました。これを見て、今までポリコレのせいで割りを食っていた(と感じてる)人たちは大喜びです。しかし結局のところ、ポリコレ放棄はアメリカに弱体化しかもたらさないでしょう。出自や肌の色や信条で差別されるところでわざわざビジネスを始めたり、就職したりするメリットなど何もないからです。



現にシリコンバレーに住む私の友人たちの中にも、黙って荷物をまとめる人たちが出てきました。911の直後にアメリカ中で外国人排斥熱が高まった時にも随分多くのエンジニアたちが黙って静かに出身国へと帰って行きましたが、今回も同じことが更に大きな規模で起きるのではないかと思います。

自由、平等と言った価値観を大切にしない国に、魅力的な人材は集まりません。逆に言えば、今ここでそうした価値観にしっかりと踏みとどまることができる国は、優秀な企業や人材を集めることができる可能性が大きく高まるのではないでしょうか?



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2016年11月13日日曜日

トランプ後の世界は、戦争が待っている?

ドナルド・トランプがアメリカの大統領に選ばれた。

 まさかトランプが選ばれるはずがないと思っていた人が多かっただけに、アメリカでも日本でもショックを受けている人が多い。マスコミも一般の人々も「なぜトランプが選ばれたのか?」を分析するのに大忙しだ。

 白人の逆襲? グローバル化の煽りを食っていた人たちが声をあげた? 女性への偏見? 原因はいろいろ言われているし、どれも一理ある。

僕はこう思う。

トランプ氏の当選は、「時代の要請」なのだ。




時代は「右向け右!」「俺たちは何も悪くない!あいつらが悪い。あいつらのせいだ!」とわかりやすいことを声高に叫んでくれる、強権的なリーダーを求めている。 今の時代、誰しもが不安を抱えて生きている。その原因は急激なグローバル化とITの発達にある。でも、変化があまりにも大きすぎて、考えるのが追いつかないのだ。いったい何が起きているのか、よくわからない人も沢山いるだろう。そうこうしている間に、仕事が自動化されたり、需要そのものがなくなって消えてしまったり、海外にドンドンと出ていってしまった。残った仕事はハンバーガーをひっくり返すような低賃金の仕事か、高等教育を受けたエリートにしかできない高度な技能が要求される仕事ばかりで、普通の人の仕事は減る一方なのだ。普通の人々の給与は据え置かれたまま、時間がだけが流れていく。

そんな折、 8年前に頭の良さそうな黒人男性がさっそうと登場し、”Yes, We Can!” と変化を訴えた。みんな彼に賭けてみたのだ。でも、オバマ大統領に出来たことといえば、健康保険制度の改革と、不況からの脱出くらいだった。雇用はずいぶん増えたが、まっとうな暮らしを営めるような、安定収入を得られる仕事はアメリカの真ん中あたりにはやってこなかったのだ。この辺りの事情はアメリカもイギリスも、そして日本も大して変わらない。

だから、時代はさらなる変化を求めている。 そこで起きたのがイギリスのEU脱退や、フィリピンのドゥテルテ大統領選出や、トランプ大統領の選出なのだ。来年のフランスの大統領選でも、移民排斥を主張する極右のルペンに成る公算が高い。

次はなんだろう?

中国の習近平主席、フィリピンのドゥテルテ大統領、ロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのビクトル首相、インドのモディ首相、北朝鮮の金正恩総書記、そして日本の安倍首相……そしてトランプが加わった。いつの間にずいぶん沢山の強権的なリーダーたちが誕生している。さらに増えていってもまったく不思議ではない。’

 かつて、同じようなことが世界大恐慌の後に起きた。経済が後退し、人々は強権的なリーダーと、わかりやすいスケープゴートを求めた。アメリカでは黄禍論が唱えられ、ドイツではユダヤ人が標的となった。各国で民族の自決が叫ばれた。やがて第2次世界大戦が始まったのだ。

 もしかしたら、2007年に端を発したリーマンショックが、同じような状況を作り出したのかもしれない。イギリスやフランスの移民排斥、日本の嫌韓、アメリカのメキシコ人やモスリムへのバッシングや移民の排斥。イギリスのことはイギリス人が決める。そうやって決まったEU脱退は、民族自決そのものだ。そして世界各地で出現する強権的なリーダー。この先に待っているのはいったいなんだろうか?

アメリカが内側を向くと..

トランプの大統領就任後、世界はいったいどちらに振れていくのだろうか? 数ヶ月前にフィリピンのドゥテルテ大統領がアメリカに暴言を吐いて中国にすり寄ったが、驚いたことにオバマはこれに無関心を決め込んでしまった。

 ではトランプが率いるアメリカがさらに内向きなったらどうなるのだろうか? 今はアメリカになびいているアジアの国々が、中国への恭順の姿勢を示すかもしれない。そうしたら、中国もさらに大胆な行動をとるようになるだろう。自衛隊と中国軍の間で、交戦が起きたとしてもまったくおかしくない。すると日本の世論だって、急激に核武装容認に走るかもしれないのだ。

 あるいはヨーロッパはどうだろうか?  米軍がNATOへの関与を大幅に減らしたら、ロシアはどう出るだろうか?   アメリカは中東にどう関わっていくのだろうか? こう考えると火種はいくつもある。これらのどれか、あるいは全てが大規模戦争に発展しても不思議ではないだろう。

言論はどうなるだろう?

 かつて911の頃、アメリカは一度大きく右に揺れた。そして、そして愛国法なるものが制定され、メールの盗み読みや、電話の盗聴なのがまるで当然のように行われた。カリフォルニアのオークランドでは、初老の男性が与太話でブッシュのことを「ケツの穴」と侮蔑したところ、後日FBI から事情徴収を受けた、というまったく笑えない話がある。

 つまり、実際にきな臭くなれば、言論の自由などあっという間になくなる。真剣に国を憂う知識人がみんな投獄される、といったことだってアメリカでも十分に起こりうるのだ。強い流れがある方向にできてしまうと、これを止めるのは非常に難しいのだ。

足元を見る

こうした事態を防ぐために僕たちがしなければならないこと、それはおそらく「簡単な解決方法を求めない」というあたりにある。現実と折り合いをつけながら、具体的な解決方法を考えていくしかないのだ。グローバル化はもう嫌だと、内にこもっても別に何も解決しない。メキシコ人が悪い、移民が悪い、モスリムは出て行けと悪者探しをしても、憂さ晴らしにはなっても根本解決にはならないのだ。

 格安スマートフォンが100ドルちょっとで買えるのはグローバル化のお陰なのだし、日本が海外から安定して食料やエネルギーを輸入できるのだって同じことだ。スマートフォンを国内生産して1台数千ドルで販売しても、買える人などいないやしない。それはユニクロのやギャップの服だって同じことだ。だから、グローバル化やIT化をむやみに悪者扱いするのも芸がないし、かといって何でもかんでもグローバル化とITの活用で解決できると信じ込むのも同じくらい芸がない。

 先進国の人々は、どうすれば国内の仕事を増やすことができるか、誰しもがより高度な教育を平等に受けることができるようになるにはどうすればいいのか、もっと真剣に考え、自らの手で形にしていくしかないのだ。

 万能の解決策はない。自分たちの足元をよく見て、誰かを悪者扱いするのでもなく、強権的なリーダーの出現を待つのでもなく、現実を直視し、自らの頭で考え、根気よく話し合いながら、国内に仕事や効果的な教育の場を生み出していく。僕らにやれることはそれしかないのだ。そしてそれこそが、僕らが戦争を避けるために取ることのできる、最も効果的なアクションなのではないだろうか?



「本気で英語を学ぶ人」のためだけのイングリッシュアカデミー、それがブライチャーです。「英語を本気でモノにしたい」そんなあなたの前向きな姿勢に、ブライチャーは本気でお応えします。

2016年11月7日月曜日

アメリカ大統領選に仕掛けられた「巧妙な罠」?

いよいよアメリカの大統領選が明日へと迫って来た。

選挙戦はありえないほどの接戦となり、どちらの候補者が勝ってもまったく不思議ではない状況にある。

僕ら日本人からしてみると、一体なぜインチキの塊みたいなトランプ氏がここまで支持されるのか意味がわからない。それは日本人に限った話だけではなく、同じアメリカ人であっても、国の半分を占める反トランプ派からしてみても同じ話で、彼がなぜ支持されているのか皆目見当もつかないような状況なのだ。

日本ではトランプ氏の支持者は低所得の白人層だけ、と言った感じで報道されていたようだが、それがどうして案外そうでもないのだ。そこそこ高学歴で高収入の学校の先生や中小企業の経営者といった人々に至るまで、幅広い層の人々が彼を支持している。僕のフェイスブック上でつながっているアメリカ人の友人たちも、少なからずトランプ支持を表明している。

一体、なぜトランプ氏はここまでの支持を得ているのだろうか?

「システム」への不信感


トランプ支持者は確かに低所得の白人が多いとは思う。また、極端に男性に偏っているのももう一つの特徴だろう。しかし、そうは言いつつ女性もいるし、高所得者の人々も確かにいるのだ。

では、一体何が彼らをトランプ支持へと駆り立てるのだろうか? トランプ支持者が共有している思いとは、一体なんなのだろうか?

僕が思うに、それは今のアメリカを回している「システム」への不信感なのだ。企業や政治家が結託し、庶民のことなんかお構いなしで、大企業が儲けることだけを最優先するシステム。そんな「システム」に人々は辟易とし、大きな不信感を抱いている。

現代アメリカは、医療にも教育にも恐ろしく金がかかる。かといって儲かる仕事はあまりない。工場労働もコールセンター業務も、海外に出ていってしまった。残っているのはファーストフードのパートばかりなのだ。だから庶民の財布は常にすっからかんだ。でも、大企業が危機に直面すると、直ちに税金が投入される。「システム」そのものは常に温存されていくのだ。リーマンショックしかり、重油流出しかり。

そんな「システム」に対する不信感がマグマのように溜まった人々の前に、さっそうと(?)現れたのがトランプ氏なのだ。

危険人物だからこそ魅力的?


実はトランプ支持者だって、彼の言うことが全て実現できるなんて思っちゃいないだろう。メキシコとの間に壁を作るのも、イスラム教徒を締め出すのも現実として得策でもなければ、実現可能ですらない。

しかし、トランプ氏ならば、このシステムを中から破壊するだけのパワーがあるのではないのか?と夢を持たせてくれるのだ。

だから、提案の実現性などどうでもよい。いやむしろ、実現性など一切無視して、歯切れのいいことを叫べば叫ぶほど支持が高まっていくのだ。トランプ氏に期待されていること、それはシステムの破壊なのだから、当然のことだろう。

彼の過去の無茶苦茶な行動が明るみに出ても、それはマイナスに作用しない。むしろ「何かやらかしてくれるのではないか?」と言う期待値を盛り上げてしまうのだ。

一方のヒラリー氏はと言うと、つまりはこの「システム」の中の人だと思われてしまっている。だから実際に庶民のためになる現実的な政策を唱えているにもかかわらず、嘘くさいと思われてしまう。そして、一流大学卒、弁護士、政治家、国務長官といった彼女の華々しい経歴さえもが、むしろマイナスに作用してしまうのだ。

そしてアメリカは分断された


この選挙戦を通じてアメリカはすっかり分断されてしまった。そしてこの分断は、オバマ氏が当選した時から始まったように思う。マイノリティ対白人という構図は確かにあるが、「システム温存派」対「システム不信派」というような捉え方をすることができるのかもしれない。そしてこの分断は、大統領選が終わった後もずっと残るだろう。

しかし、である。

ひょっとしたらこのトランプ氏対ヒラリー氏の対決は、そもそもまったくの茶番なのかもしれないと思ったりもする。

そう。アメリカを分断するための巧妙な罠なのではないのだろうか?

アメリカ人がみんなで結託して、富が平等に分配されるよう、あるいは医療費や教育費が下がるように運動でもされたら、困ってしまうのは「システム」そのものなのだ。しかし、対立軸を作って分断させ、お互いをいがみあわせておけば、庶民たちの不満が大きな流れとなり、この「システム」を司る為政者たちに向かうことはない。

仮にトランプ氏が選ばれたとしても、彼自身がそもそもシステムの中の住人なのだから、それを本気で壊すことなどあり得ない。ヒラリー氏が選ばれても同じことだろう。そもそもクリントン夫妻とトランプ夫妻は仲の良い友人同士だとの話もある。




こうしてアメリカ人たちは「分割して統治」され続けていくだろう。




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2016年9月26日月曜日

僕らは通勤で何を失っているのか?

最近、久しぶりに米アップル時代の友人と会っておしゃべりに興じたのだが、その友人の「再来週から2週間インドネシアにダイビングに行ってくる予定なの」という一言で、色々と考えさせられてしまった。彼女は真のダイビングマニアで、20年くらい前から休みという休みをすべてダイビングに充てているのだ。

そうそう。アップルって相当忙しいのに、なぜか「まとまった時間」を捻出しやすい会社だった。2週間のバケーションを取るのは当たり前のことだった。前述の彼女も9月下旬の今現在は何か緊急プロジェクトらしく、週末も昼休みも夜遅くもすべて会社に捧げている。でも、それが終わればインドネシアでダイビング三昧。ああいうメリハリのある生活、本当に懐かしい。

Family First!

アップル時代のもう一つ良かったこと、それは 「Family First」が単なる掛け声だけでなく、実際に普通に行われていたことだ。「子供が病気だ」「子供の行事がある」というと、誰もが一同に「早く帰れ帰れ」と言ってくれる。

また、家で働くのも普通のことだったので、いつも家族を最優先できた。朝7時には家族で朝食を済ませ、8時からの電話会議はたいてい自宅で済ませてから出勤した。夕飯も必ず家族で一緒に食べた。子供の学芸会があるからと早く帰る日は、帰宅してからVPNで繋いで仕事することで、早く帰った分はその日のうちに取り返せた。それから夜中の12時くらいまで延々仕事していたが、あまり大変とも感じなかった。

通勤時間

東京で働いていた頃、僕は通勤に片道1時間半もかかるところに住んでいた。だから、勤務時間8時間+昼休み1時間+往復3時間の合計12時間、自由が利かなかった。当然ながら、健康維持のための運動とか、家族との団欒なんてできやしない。ちょっと残業すると家に着くのは11時とか12時過ぎだった。子供の顔なんて週末以外は寝顔しか見れなかった。


この反省を踏まえ、アメリカに引っ越したついでに通勤を片道15分に縮めた。おかげで時間をかなり有効に使えた。朝はジムでワークアウトしてから出勤。忘れ物をしても昼休みに取りに行って解決。歯医者も早朝からやってたから、朝のうちに治療を済ませて出勤することもあった。 通勤時間が短いのは何も僕だけに限った話ではなく、多くの人がせいぜい15〜30分ぐらいのところに暮らしていた。もしも自宅と会社が遠かったら、日本に住んでいた時と大差ない生活になっていたに違いないように思う。家賃は東京時代の倍に跳ね上がったが、得たものを考えるとこれがあながち高いとも言えない。

通勤時間を別のカタチに換算してみると……

僕自身も日本に住んでいた頃は、「都内は家賃が高いから無理!」と決め込んで、迷わず郊外に住んでいた。しかし、実際に職住接近を経験した今になってみると、家賃の高いのなんて大した問題じゃないな、とシミジミ思う。金は後から稼ぐことも可能だけど、時間だけは絶対に取り返せないからだ。

ちなみにごく普通のサラリーマンは1年に240日ほど通勤するわけだけど、片道1時間半、往復3時間の通勤ということは、1年に720時間(!)も電車に乗っていることになる。僕がもしもアメリカに移り住まず、あのまま同じところに住んで同じところに通っていたら、14年間で10,080時間(!)を電車の中で過ごしていたことになるのだ。

仮にこの1万時間をすべて残業したとする。すると、仮に残業手当が1500円だとして、14年間で1500万円稼げることになる。なお、時給1500円というのは年収300万円の人だから、もっと年収が高い人なら、ポテンシャルはもっともっと高い。

別の見方をしてみよう。何か特定の技能で一流になるまでに1万時間を要するといういわゆる「1万時間の法則」というのをよく耳にするが、実際のところ、1万時間を例えば語学学習に費やしたら、2ヶ国語はしゃべれるようになるだろう。プログラミングでも会計でもピアノでもギターでも何でも覚えられるし、その時間を社交に使ってチャンスを広げていってもいい。

ネットだけではまだ何かが足りない

ネットが発達したから遠隔地からでも仕事ができるようになった。僕自身、アメリカにいながらセブ島にいる部下とスカイプで話し、メールやチャットで指示を出している。

ただ、これだけだと人生に柔軟性を持たせるにはやはり何かが足りない。やがて遠い将来には通勤しなくて良くなる可能性もあるが、まだしばらくは顔と顔を付き合わないと達成できないことがたくさんある。アップルやグーグルやフェイスブックのような会社ですら、まだ社員に出勤させているのだ。通勤は当分なくならない。

そう考えると、通勤時間の短縮は僕らの生き方により高い柔軟性を与えてくれる、現時点で最も有効な手段だろう。同じ人間関係の中にはまり、1万時間も電車の中で過ごすには一生はあまりにも短すぎるのだ。

「俺の人生/私の人生、もっと色々とできるはずだ!」と思ったら、まずは通勤時間の短縮を強くお勧めします。

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2016年9月16日金曜日

体験にいいも悪いもない〜そこには「学び」があるだけ

1ヶ月ほど前に、フィリピンのセブ島で「盆踊り」があった。

この盆踊り、3年ほど前に始まったらしい。毎年規模が大きくなっている。今回は遊園地跡地の広大な敷地へと場所を移しての開催だった。200以上もの出店が並び、2万人以上の人が詰めかける一大イベントに成長していた。

そもそも、セブ島には大した娯楽がない。海で遊ぶかモールに行くか、クラブで踊るかといったくらいだ。ではイベントはといえば、目立ったものは12月のクリスマスと1月のシノログ祭りしかない。老若男女が集って楽しめるイベントはこれ以外にないのだ。そこに降って湧いた8月の盆踊りは、娯楽が不足するセブの人々にとって、ちょうどよかったのかもしれない。



夏祭り盆踊り大会のお知らせ

僕もご多分に洩れず参加してきた。ブライチャーの生徒さんたちもたくさん来ていたし、思いがけない知り合いにばったり出会ったりして楽しいひと時を過ごした。

奮闘

実は僕がこのイベントに行った本当の目的は、週末の暇つぶしじゃなくて、横浜市大芦澤ゼミのみなさんの奮闘ぶりを見にいくことだった。

以前このブログでも紹介した通り、芦澤ゼミは毎年この盆踊りに参加している。それもただ漫然と参加するだけではなく、学生たちに海外起業体験をさせ、その上きっちり黒字を出して帰ってくるのだ。年を追うことに体験が継承され、深まっている。そして彼らの今年のテーマは「協業」なのだ。そこには彼らの去年からの反省が詰まっている。 

現場に着いてみると、彼らはまさしく奮闘していた。お好み焼きとみたらし団子の販売、その他にハッピを着ての写真撮影サービスをやっていたのだが、去年よりもフィリピン人スタッフと日本人との間で連携が取れているのが見て取れる。彼らのブースはエネルギーに満ち溢れていた。



僕も参加したくなって、ハッピを借りて客の呼び込みに加わった。興奮する。面白い。



この直後に見事に完売!みんなが興奮して歓声をあげる。幸せをおすそ分けさせてもらったようで、僕まで嬉しかった。



「体験」にいいも悪いもない

彼らは今日のこの体験を生涯忘れないだろう。後輩や将来の配偶者にはもちろん、子供や孫にまで語るかもしれない。また、将来大きなプロジェクトを任されたり、自分でビジネスを興すことになった時にも、今回のことが大きな糧になるに違いない。 

そう。未来の自分を作っていくのは、僕ら自身の「体験」なのだ。体験すると、何かフィードバックが得られる。そしてそのフィードバックこそが学びなのだ。足りないものが明確になったら、それを学べばいい。あるいは、できる人を探して埋めてもいい。体験にいいも悪いもない。そこには学びがあるだけなのだ。

また人と何かやることで、人と一緒に何かをやる楽しさ、そして難しさも学ぶことができる。同時に思い出も一緒にできる。昔何かのコマーシャルのキャッチフレーズで「モノより思い出」というのがあったが、確かにその通りなのだ。そして良き思い出は、身を呈して何かを体験してみないとなかなか得られない。だから正確には「モノより体験」というべきだろう。

「体験」を提供したい

そして僕がブライチャーを通じて提供したいのも、まさしく「体験」なのだ。ブライチャーの卒業生には、海外に飛び出す者も多い。まだオープンして1年2ヶ月なのに、海外起業した者が2名、国内起業した者が1名、海外就職を果たした者が 3名、カナダ、アメリカ、オーストラリア、フランス、スペインに留学した者が10名以上いる。新しい会社へ、ポジションへと移った人は数知れない。多くの人が次のステージへと上がっていった。

それは彼らが真剣な仲間たちと出会い、毎日12時間以上勉強し、お互いの前でプレゼンをするという濃厚な体験を経たからこそだろう。毎晩飲みに歩いていたら、そんな勇気も実力も身につかない。単に英語力だけでなく、しっかりと経験値を上げてこそ、次のステージへと上がれるのだ。英語学習は、ある意味そのためのツールに過ぎない。 

ブライチャーの在学生、卒業生たちも、横浜市大のゼミ生たちも、それからこのブログを読んでくれた皆さんも、さらにまた次々と新しい体験を経て、経験値をずっと上げていってほしい。今まで見えていなかった世界が、きっと見えてくるようになるから。

 僕もまた新しい挑戦をします。一緒に経験値をあげよう!






「本気で英語を学ぶ人」のためだけのイングリッシュアカデミー、それがブライチャーです。「英語を本気でモノにしたい」そんなあなたの前向きな姿勢に、ブライチャーは本気でお応えします。

2016年9月13日火曜日

50歳の今振り返って考える、50歳までにやっておくべき12のこと

先日Facebookを眺めていたら、”Twenty things to do at age 30 to make you feel great at 50” (50歳をいい感じで迎えられるよう、30代のうちからやっておくべき20のこと)と題したポストが流れてきました。

僕は今ちょうど50歳なので興味深く読ませてもらいました。ウンウンそうそう!と頷けることも多かったので、適当に和訳してし始めたのですが、20はちょっと項目が多すぎるのと、同意できない部分もあったので項目をいくつか割愛したりまとめたりして12まで減らしてみました。

題して、「50歳の今振り返って考える、50歳までにやっておくべき12のこと」です。以前書いた「不幸な人生をおくる10の方法」と一部重なりますが、より現実的な項目も加えてみました。

1.健康に気をつける

若い時にはピンとこないのが健康の大切さです。私自身50歳になった今、身にしみています。いくつかあげてみましょう。

タバコを吸わない

タバコは値段も高く、健康に悪く、臭いもひどく、晩年に健康上の問題を引き起こすことが保障されている悪癖です。さっさと止めましょう。

日焼け止めを塗る

日焼け防止に気を使いましょう。私は男ですが、日焼けしまくったことをかなり後悔しています。中高年になった時にシミ、シワだらけだと、毎朝鏡に向かうたびに老いを実感します。若い人と一緒に写真に写りたくなくなります。男でも外で遊ぶ時には必ず日焼け止めを塗る習慣をつけることをお勧めします。

食生活に気をつける

どんなにお金があっても、健康を買い戻すことはできません。食生活に注意を払いましょう。何が体に良いのか、どんな食べ物を避けるべきなのか、日頃から知識をつけておきましょう。

運動の習慣を身につける

早い人は20代のうちに太り始めます。腹が出てくると何を着ても似合いませんし、50歳ぐらいになって糖尿病だの動脈硬化だの高血圧だのと悩まないためにも、定期的に運動する習慣をつけておきましょう。


ちゃんと眠る

睡眠をキチンととりましょう。脳内の疲労物質が取り除かれるのは眠っている間だけです。睡眠を削るくらいなら、隙間時間を有効活用して時間を捻出しましょう。私がやったもっとも効果のある時間捻出方法は、職住の接近です。これで毎日1〜2時間ぐらいすぐに捻出できました。

歯を大切にする

歯医者さんに定期的に通い、口の中の健康を保ちましょう。一度詰め物だの被せものだのインプラントだのやりだすと、金も時間もかかる上、体の方の健康にも影響します。

歯の残存本数と寿命の関係!歯が少ないと早死にする?

定期的に健康診断を受ける

20代で高血圧や臓器疾患を抱えている人はいくらでもいます。定期健診を毎年受けて、問題が見つかったら早めに処置しましょう。一度悪化させるとなかなか治せないのが成人病です。

2.蓄財する

お金はバカにできません。別に金の亡者になる必要はありませんが、人生の転機やピンチ、あるいは健康を損ねた時などに、何かと役立つのがお金です。

貯蓄の習慣を作る

少しずつでいいから貯蓄する習慣を作りましょう。あまりに手元に現金がないと、事故や病気、あるいは失職などといった思いがけない災難に見舞われた時に、寄りかかるものがありません。安心感が持てない上、人生の選択肢も狭まってしまいます。

投資を始めよう

まとまったお金ができてきたら、1歳でも若いうちに投資を始めましょう。投資の最大の味方は「時間」です。1歳でも早く始めるのに越したことありません。また投資に関する書籍を読んで、金融知識をつけていきましょう。

3.親や兄弟・姉妹との関係をメンテする

親兄弟と仲良く過ごせる関係にあることは、人生をより豊かなものにしてくれています。いざという時に悩みを打ち明けたり、現実的に助け合える人は、実際のところ親兄弟、姉妹以外にはなかなかいません。あまり近すぎる関係を持たない、というあたりが鍵なのかもしれません。賢くやりましょう。

4.友達との関係をメンテする

ありのままの自分を受け入れてくれる、あえて苦言を呈してくれる、一緒にいることを心から楽しめる友達を大切にしましょう。ほんの数人の気心のおけない友人がいたら、かなり素晴らしい人生ではないかと思います。 また友達に限らず、誰しも社会から有形無形の様々な支えを得て生きています。しかし、恩返しをしたいと思った頃には往々にして相手が生きていないものです。機会が訪れた時にはためらわずに会っておきましょう。それが最大の恩返しになります。

5.新しい人間関係を築く

人生は偶然によって大きく左右されます。そしてその偶然をもたらしてくれるのは、新しい人との出会いです。積極的に新しい人に会い、日頃の決まり切ったメンツだけとの付き合いから抜け出しましょう。視野もチャンスもそこから広がっていきます。

リンク:人生は偶然が8割

6.ためにならない人間関係を断ち切る

残念ながら、ためにならない人間関係って存在します。こうした関係を義理や人情に絡め取られて続けると徐々に正常な思考ができなくなり、やがて大きく足を引っ張られます。

自分の価値を下げる人間関係

あなたを見下し、搾取する友人、パートナー、職場の人間関係などからは距離をおきましょう。毒親やブラック企業、あるいはDV夫などはその典型です。そんな関係を我慢して継続する必要などありません。そうした関係に長くとどまると、知らず知らずのうちに自尊心を大きく損ない、正当なリスペクトを受けられない関係に違和感を覚えなくなってしまいます。若ければ若いほどやり直しが効きますから、気がついたらさっさと逃げ出しましょう。

マイナス要素を引き寄せる関係

サゲマン/サゲチンとか、だめんずみたいな関係です。関係を続けると運が逃げていくような相手。エネルギーを吸い取っていくパートナー。こういう関係は要注意です。

ゴールを遠ざける関係

真面目にゴールに向かって努力しようとしている時に、チャチャを入れたり足を引っ張ったりして、かえってゴールを遠ざけたり、やる気を失わせる友だちや恋人。こういう人たちはあなたの人生の残り時間が少なくなった時に何の責任を取ってくれるわけではありません。

7.モノより経験!

50歳になった時の自分を作り上げているのは、自らが得てきた経験です。50歳にもなってこれといった経験がない、でも家がガラクタでいっぱいなんてかなり寂しいかもです。

8.継続的に勉強する

毎年10冊くらいは本を読みましょう。脳の成長は何歳になっても止まりません。適切な刺激を与え続けましょう。また一つの芸事を長く継続するのもオススメです。長年続けて初めて見えてくる世界もあります。

9.自分の価値観を、ゴール/結果/物事/社会的地位/お金/他人と一体化させない

いい会社で偉くなって高い地位に就いても、会社が倒産したり、リストラに遭えばタダの人です。そんなときに自分の価値を会社や地位に強く結びつけていると、ショック倍増です。社会的地位なんてまあ飾りみたいなもんだと言う醒めた感覚、非常に大事なのではないでしょうか?

またどんなにカネを稼いでもあの世に持っていけるわけではありません。信頼するパートナーだって不変の愛情なんて存在しませんし、また死別するかもしれません。将来の夢などにあまり自分を強く結びつけると、それが叶わなかった時に惨めなものです。

つまり諸行無常ですね。夢を持つのが悪いとは思いませんが、そういったものに依存しすぎないよう、醒めた感覚も大切なのではないでしょうか?

10.他人との比較をしない

人と自分を比較するのはやめましょう。あいつのほうが出世している/金持ちだ/才能がある/運がいいなどなど、ついつい自分と他人とを比べてしまいがちですが、他人と比べたところで別に自分自身を取り巻く状況が良くなるわけじゃありません。どっちかっていうと惨めになるがオチです。そんなことに時間を費やすには、人生はあまりに短すぎます。

11.好奇心を保つ

家から出て、新しい体験をしてみましょう。配偶者や恋人や親しい友人を誘って、思い出も作りましょう。新しい人との出会いを開拓しましょう。旅行、新しい習い事、新しいレストランの開拓、食わず嫌いで挑戦したことのない趣味などなど。ネットで体験談を読むのと、自分が体験するのとでは大違いです。

12.「そのうちやろう」と思っていることにはさっさと始める

本を出版する。子供を持つ。大学院に進学する。スキューバダイビングの免許を取る。こういった「夢」の達成は、早め早めに着手しましょう。時間が経つのは思っているよりもずっと早いものです。僕自身、老眼は進むわ、体力ないわ、記憶力落ちるわで、できないことが確実に出てきました。

やがて子供がお金がかかる年齢になったり、親の介護に奔走したりするようになると時間はなくなる一方になります。何歳になってもなんでもできる!という言葉には一定の真理が含まれていますが、一歳でも若いほうが絶対に楽、というのもまたもう一つの真実です。



私は3月生まれなので、もう50歳と半分きてしまいました。振り返ってみると、「1.健康に気をつける」「12.『そのうちやろう』と思っていることにはさっさと始める」の2つで部分的に後悔しています。就職後一度ひどく太ってしまい、30代でやっと痩せたのにまた40代でまたリバウンドさせてしまいました。健康診断に何度も引っかかり、その都度ヒヤヒヤ。今では薬をいくつも飲んでいますし、無理も効きません。日焼けもメチャクチャにしてきたのでシミだらけです。

また、12についても、「もっとさっさと起業できたな……」と思うことが、しばしばあります。能力的には30代半ばも今も大差なく、なんであの時にしなかったのかな、と思います。

さて、以上が「50歳の今振り返って考える、50歳までにやっておくべき12のこと」でした。50歳になった時に自分にガッカリしないためにも、健康面に気をつけつつ、楽しんでみてはどうでしょうか?


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2016年9月10日土曜日

ダイソーのスピーカースタンドをちょっと改造

フィリピンで変なスピーカースタンドを買った後、日本の100円ショップにもっといいものが売っているんじゃないかと思ってちょっと気にしていたらこんなブログの記事を見つけました。

赤ペソ先生の忘備録
セリア的なiPhoneスピーカースタンドをダイソーで買ってきた http://akapeso.info/archives/20160517/1057455308.html

ふむふむ。実に購買意欲をそそられます。 そしたらちょうど日本に行くことになったので、僕も同じものを買ってきました。



 スピーカースタンドといけば聞こえはいいですが、そんな大した代物じゃありません。でも100円にしては思ったよりも質感が高いです。

このスタンド、底からライトニングケーブルを通して、充電する事ができるんです。これはとってもグーです。



ただ、しょうもないところもあります。

赤ペソ先生も書いていますが、このスマホを立てる溝の幅と奥行きがギリギリすぎて、スマホにカバーをつけるとうまく立てられないんです。無理やり立ててみましたが、この通りで、たぶん下2ミリも食い込んでいません。




それからケーブルを通す溝が鋭角に曲がりすぎてて、断線しやすいことで定評のあるライトニングケーブルがあっという間にダメになることは目に見えています。



そこで少し改造することにしました。改造は2箇所。まず電話を差し込むスロットの幅をほんの少し広げること。それから、ケーブルを通す穴の曲がるところをもっと鈍角にすることです。両方とも電動ドリルに適当なビットつけて、グリグリやって3分ぐらいで改造終了しました。

ジャ〜ン。
えっ?違いがわからないって? 上の写真とケーブルの曲がっている部分を見比べてみてください。



これで断線の心配はまずないでしょう。

こっちも幅を広げました。



ほら、これで倒れる心配はほぼ無くなりました。

さて、最後に音質を比べてみましょうか。



音が拡散してしまわないので、カサっとした乾いた音から、もう少し温かみのある音になったような気がします。といってもまあどう考えても気休めレベルな気もしますが。

久しぶりに工作ごと(というほどのことでもないけど)をしました。DIYって楽しいんですよね。もう少し暇を見つけてもっとDIYしたいと思います。



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2016年9月9日金曜日

年齢に関係なく、常に「今」を生きよう!

先週1週間ほど日本にいた。いつもながら忙しい滞在で、バタバタと駆け回るうちに時間が過ぎていった。ところが金曜日の夕方に時間がポッカリと空いたので、とあるラーメン屋に急きょ行ってみることにした。そこは僕の高校時代の先輩がやっている評判のお店で、以前から行ってみたかったのだ。でも、いつも日本出張時は殺人的に忙しく、どうにも時間が作れなかった。

そのお店、「ラーメン246亭」は、東急田園都市線の青葉台駅から徒歩7、8分のところにある。青葉台駅で高校時代の同級生数名と落ち合って商店街を話しながらダラダラと歩いていくと、あっという間に到着した。外からの様子は、ちょっと古風な、風情のあるラーメン屋さんといった印象だ。


暖簾をくぐって中に入る。そこは「昭和」だった。


カウンターの頭上には小さなトタン屋根がある。そういえば昭和の頃、こんな感じの立ち食いそば屋などがあちこちにあった。トタンは年代物に見えたが、新品のトタンを塗装したものだという。そういえば先輩は恐ろしく器用だった。美術部だというのに絵を描いていることなんて一度も見たこともなかったのだが、プラモデル作りなどは驚異的にうまく、文化祭でジオラマを作った時にも、一体どこで覚えたのかと思うほど次から次へとアイデアを出しては、あっという間にやたらと完成度の高いジオラマを創り上げた。バイクいじりも早くから始め、高校生のうちにすでに「工作ならなんでも来い!」といった感じだったのだ。

店内は、そんな先輩の手作り内装がどこまでも続いていた。隅から隅まで昭和なのだ。また、どこから集めてきたのかと思うようなあの頃の小物が所狭しと並べられ、40年ほど前にタイムスリップしたような錯覚を覚えるほどだった。

コーヒーラーメン

ひとしきり同級生と喋った後に食券を買った。僕が注文したのはこの店でしか食べれない「コーヒーラーメン」だ。コーヒーラーメンの存在は同級生から聞いてはいたのだが、一体どういうものなのか想像さえつかなかった。ネットのレビューを読んでみるとかなり評判がいい。そんなわけでどうしても食べてみたかったのだ。
ここのコーヒーラーメンには2つのグレードがある。一つは普通に食券が買えるもので、こちらはコーヒーに鰹の出汁を加え、白醤油のタレを入れたものだという。「通常のラーメンに近いコーヒーラーメン」といった位置づけらしい。
そしてもう一つが追加料金500円を支払い「パスポート」を購入してオーダーできる本格コーヒーラーメンなのだ。厳選された豆をその場で焙煎して作るという。

僕はこちらの方を食べてみたのだが、決して奇をてらったものではなく、なんとも美味しかった。ストレートの細麺にコーヒースープが絡みつき、コーヒー特有の酸味とコクが不思議とマッチして口の中に広がる。最後にご飯が出てきて、これを入れてコーヒー雑炊を楽しめるのだが、これがまた奇妙なまでに美味い。僕は麺よりもむしろご飯の方が美味しいと思ったくらいで、あっという間にすべて平らげてしまった。
このほかに同級生らが色々と別のラーメンを頼んだので、思いがけず何種類のもラーメンを堪能することができた。どれも美味しかったが、僕は「殿」と命名された濃厚鶏白湯のラーメンが気に入った。大きなチャーシューが乗っていて、チャーシューはもちろん、麺もスープもうまい!先輩への身びいきを差し引いても、コーヒーラーメンもその他のラーメンも普通にお勧めする。

アイデアを形にする

散々同級生たちと喋った後、カウンターへと席を移して先輩としゃべり始めた。先輩と会うのは高校2年生以来だから、33年ぶりのことになる。話題はお互いの家庭、職歴、そして今の仕事へと移っていった。数年前に脱サラして開業を果たしたという。料理はずっと好きだったそうで、いつかラーメン屋をやりたかったという。そういえば高校時代にも料理をしていたような記憶がある。
なぜコーヒーラーメンを思いつくに至ったのかを聞いてみると、ある日コーヒーを飲んでいる時にアイデアが浮かび思び、脳内シュミレーションをしてみたら、「これはいけるはずだ!」と腑に落ちたという。そして実際に作ってみたらやっぱりしっくりきて、早速トライアルで店に出してみたそうだ。すると大きな反響を得たので、そのままレギュラーメニューに昇格させた、とのことだった。

この感じ、とてもわかる。自分がブライチャーのカリキュラムを作るのも同じだからだ。今年になってから本格化したビジネスカリキュラムなども、最初はふとした閃きから始めたのだが、今では一番人気のあるクラスとなっている。そして今また新しいビジネス・カリキュラムを作っているが、いつもいつも考えていると、ふとしたことをキッカケに新しいアイデアが浮かんでくるのだ。
もちろん全てのアイデアが形になるわけでもない。だが、うまくいくアイデアというのは、脳内シュミレーションをしている段階でなんとなく「腑に落ちる」のだ。腑に落ちないアイデアというのはまだ生煮えで、「何か」が足りていない。逆にこの「何か」が見えると、紆余曲折を経ながらもやがてその姿が見えてくる。

「今」があるということ

話は尽きなかった。33年ぶりに会った先輩は、「今」が詰まっていて楽しかった。店内の装飾、今後のメニューの構想……。アイデアは溢れ出てくるのに、なかなか形にできないもどかしさが伝わってくる。僕にも同じ悩みがある。ここでまた話が弾む。僕と先輩2人は、ある部分ではあの頃と何一つ変わっていなかった。かつてもこんなふうに興味のあることに突き動かされて、様々なことに手を出した。僕はアメリカに行ってしまい、先輩はバイクに入れ込んだ。僕も先輩も、型にはハマるのはどうも苦手だったみたいだ。
今度日本に来る時にも、またこの店に顔を出させてもらおう。本気の「今」がある人と話すのは心から楽しい。そして、先輩からもそう思ってもらえたら嬉しい。懸命に「今」に集中していこう。
そんなわけで、是非またお邪魔させていただきますね。



「本気で英語を学ぶ人」のためだけのイングリッシュアカデミー、それがブライチャーです。ブライチャーを選ぶすべての受講生に共通することは「英語を本気でモノにしたい」という意欲と情熱とバイタリティ。そんなあなたの前向きな姿勢に、ブライチャーは本気でお応えします。

2016年8月7日日曜日

セブ島で買ったヘンなスマホのスタンド

ご無沙汰しています。最近は年がら年中セブにいる松井です。 

さて話は変わるのですが、前から少し気が利いたスマホの充電スタンドが欲しいと思っていました。

私はかなりスカイプをやるのですが、その際に必ずスマホを使うので、どうしても充電しながら手放しで使えるスタンドが欲しかったでわけです。

充電を考えなければ、安くて使い易いスタンドが色々とあるわけですが、縦置きで充電ができてというと、今度はいきなりスピーカーと一体型になったりしてしまうのです。そんな大仰なものはいらないので、本当にただ充電をしながら立てておける台が欲しかったわけです。百円ショップで買ったこれなんかいい線いっていたんですが、下に充電用のケーブルを挿すと、それがテーブルの面につっかえてしまうのです。あと3センチぐらい高さがあればいいのにな……なんて思っていました。




そんな最中、何かいいとはないかと物色していたら、セブのカントリーモール内にある百円ショップ(正確には88ペソショップ〜200円ぐらいです)でこんなの見つけました。なお、このお店「日本城」というよくわからない店名で、セリアの商品などを扱っています。見たこともない中国製と思われる製品も多数あります。面白いです。



ふむふむ。

私の希望通り、充電しながら立てられる台です。デザインもポップでイケてるじゃないですか!

早速衝動買いしてきました。

ジャジャ〜〜ン!





ケーブルを手に持たせる部分が無駄に難しかったり、しかもこの人にケーブルを持たせることでケーブルの長さを取られてしまったりと、なんかよくわからないデザインですが、なんかカワイイので気に入りました。

なんかこのデザイン、僕の好きなキース・ヘリングの思い起こさせてくれます。



しばらくはこのスタンドを使ってみるとしましょう。今の所気に入っているので、もう一つ買ってアメリカに持って帰るかも。日本でも買えるかな?








2016年7月9日土曜日

海外でのビジネスに欠かせないこと

僕は去年から、横浜市立大学の芦澤ゼミの皆さまと懇意にさせていただいている。

このゼミではゼミ生に海外起業を体験させるという、実に面白い試みに取り組んでいる。具体的にどんなことをしているかというと、フィリピンで開催されるお祭に毎年飲食店を出店し、キチンと利益を出しているのだ。

当然のことながら行き当たりばったりでこれは成立しない。まずは先発隊が出かけて下見をし、宿や出店先を確保する。そして現地人スタッフを確保して共同作業できる体制を作る。日が近づいたら必要な物資を運んだり、あるいは現地で調達したりする。実際にその活動を目の当たりにすると、彼らの行動力に感心させられるし、また、社会人になってもなかなかやれないことをこの若さですでに体験できることに対して、ある種の羨ましささえ感じる。またこれを指導する芦澤先生の力量にも感心させられる。

「協業」はどうすれば成立するのか?

そしてつい先日お呼ばれして、彼らのディスカッションに参加させてもらう機会に恵まれた。

テーマは「協業」だった。

彼らは昨年、かなりの売り上げを立てることに成功した。ところが、みんなの気分が高揚した最終日の打ち上げ日に、一人の現地人スタッフが泣き出してしまったという。

出店中忙しくなるとついつい日本人だけで作業してしまい、現地スタッフがなんとなく置いてきぼりになってしまったという。別に悪気はあったわけではないが、とっさに英語が出ないため、どうしても目の前にいる日本人に声をかけてしまったそうだ。これはとてもよくわかる。海外の日系企業でも同じような状況をよく耳にする。

ゼミ生たちはこの体験を真摯に受け止め、日本人、現地人の双方がお互いを尊重し、助け合える環境を構築したいとディスカッションを重ねてきた、ということだった。

異なる文化圏の人たちと仕事をする上で大切なこと

ディスカッションを重ねる中で導き出された彼らなりの解答、それは「思いやり」「信頼関係」あるいは「お互いを尊重」といったような言葉だった。

でも、これらはなんか違う。

異なった文化圏の人々と協業するというのは容易なことではない。壁はいくつもある。言葉の壁。お互いの価値観の違い。期限を守ることへの感覚も異なれば、お金に対する価値観も違う。業種によっては味覚とか衛生観念の違いなども大きな障壁となりうるだろう。自分の当たり前は決して相手の当たり前ではない。「こんなの常識だろ!」と口から唾を飛ばしてわめいたって、自分の常識が相手の国ではとんでもない非常識かもしれないのだ。

そんな環境で僕が心がけてきたことは一つしかない。

それは「ゴールを明確化する」ということに尽きる。

僕がフィリピンで経営する語学学校ブライチャーでは、ことあるごとに「俺たちは最善、最良の語学学校を創るんだ」とスタッフに言い聞かせている。

あるいはもっと噛み砕いて「最良の学びの場を提供する。考えうる限りもっとも優れたカリキュラムを用意する。最高の講師陣を揃え、常にトレーニングする。勉強しやすい教室を用意する。勉強に集中しやすいよう、整った住環境を用意する。それらを常々進化させていく。」と、手を替え品を替えなんども何度も説明するようにしている。

すると、みんなが真剣に動き出す。他の語学学校ではフィリピン人講師の遅刻や無断欠勤で悩むというが、そうした悩みは僕らにはない。いい加減な奴には居心地の悪い環境が出来上がっているから、そういう奴らは勝手に辞めていってくれる。講師たちから新しいカリキュラムの提案が出てくる。リーダーシップを取れる人が頭角を現してくる。そうしたら後は適材適所で人組みをすればいい。そんないい循環が育ちつつある。



しかし、ゴールが明確でないと組織がバラバラになってしまう。日本人同士でも同じことだが、異文化圏だと尚更なのだ。些細なことが人種や宗教間での争いに発展したり、熾烈な社内政治を引き起こしたりする。

おそらく、このゼミのメンバーたちがすべきことは、とりあえず2つしかない。ひとつはこの「ゴールを明確化する」ということだ。そしてもうひとつは、今回のプロジェクトに必要な分だけでいいから、とりあえず英語で意思の疎通がスムーズにできるようになるということだろう。それ以上でも以下でもない。

では「思いやり」は不要なのか?

では「思いやり」や「信頼関係」や「お互いを尊重すること」は不要なのだろうか?

もちろんそんなことはない。でもそれは多分、前面に出して言うことではないはずなのだ。

そんなことを考えて折、ちょっとした事件があった。

その日セブ島は集中豪雨に襲われ、冠水で交通が麻痺状態に陥っていた。どこにも行けなくなった僕らは、モール内のレストランで食事をすることにした。こうしてある日本人の友人と食事をしていると、その友人が突如倒れてしまったのだ。

ちょうどその時刻、ブライチャーの講師たちは他のレストランで食事会をしていた。悪いと思ったが看護資格を持つものを呼び出すと、自分の食事を投げ出して文字通り走ってきてくれた。数分以内に医者が手配された。救急車を呼んでいたら間に合わないと、土砂降りの中、医師のマイカーで友人を搬送した。僕らが待合室で待っていると、学校の講師が2名が、僕らの荷物を手にしてやってきてくれた。友人はやがて意識を取り戻し、僕らは病院を後にした。



食事にありついた頃には11時を回っていたが、みんな嫌な顔一つせず付き合ってくれた。深夜のマクドナルドは、冠水で帰れなくなった人でごった返していて、食事にありついたのは12時近かった。やがて食事が終わると、そのうちの1人がバイクで僕を家まで送ってくれた。小雨の降りしきる中、冠水を避けて裏道を走り抜けた。雨のしぶきや、髪の中を通り抜けていく風が気持ちよかった。バイクの後部座席で風を受けながら、僕はふとゼミでのディスカッションを思い出した。

「『思いやり』って、多分わざわざ言葉にすることなんかじゃなくて、もっとさりげないことだと思うよ」

僕はディスカッションの最中にそんなことを言ったのだが、その時にはうまく説明できなかった。次にゼミ生らに会うことがあったら、今日の話をしてあげたいな。雨に濡れながらそんなことを考えた。


本気だからこそ生まれる関係

彼らフィリピン人講師たちは、普段僕に叱られたり、檄を飛ばされたりして散々な目に遭っている。僕はいつだって超本気だし、彼らにも本気で仕事に取り組んで欲しい。だからつい厳しいことも言ってしまう。

でもいつも本気で関わっているからこそ、信頼しあえる仲間同士になっていけるのだ。わざわざスローガンに掲げなくたって、自然と相手を尊重する気持ちが湧いてくる。そして何か起きた時にはさりげなくお互いを思いやれる関係が、いつの間にが出来上がっている。でも、それぞれが嫌な気持ちになることを恐れてぶつかり合うことを避けてばかりいたら、こんな関係はきっとできはしないだろう。

ゼミ生のみなさんがフィリピンでの出店を通じて得られる体験は、生涯の宝なのだ。だからこと、キレイな言葉を並べて満足せずに、ぜひ本気でぶつかり合って欲しいと思う。そこから、一生続いていく友人関係が生まれ得るのだと思う。

では今年の出店の成功を祈っています。本番まであと1ヶ月。ガンバレ!




2016年6月25日土曜日

自立とは、依存先を増やすこと

紫原明子著「家族無計画」を読んだ。



僕は紫原さんの文章にすっかりハマっていて、cakesSOLO の連載記事の更新をいつも楽しみ待っている。だからこの本は、電子書籍ではなく是非紙で買おうと思っていた。ちょうどそんな時に日本に出張ができたので、早速買って移動中の機内で読んだ。

うん。買って良かった。はっと思わされる言葉がいくつも散りばめられた、とてもいい本だった。

この本は紫原さん自身とそのご家族の歴史である。ただ、時系列の物語というわけではなく、彼女の母としての、妻としての、職業人としての、あるいは女としての葛藤や想いが見事に描き出されている。そしてそれらが読者の心を鋭く掴む。

僕が最も感じ入ったのは、

「自立とは、依存先を増やすこと」

という言葉だった。脳性麻痺の小児科医の熊谷晋一郎氏の言葉だという。僕はこの方を存じ上げないが、目からウロコが一ダースぐらい落ちるほど心に響いた。

リスクヘッジ

この言葉を聞いて最初に思い浮かんだのは株の分散投資だ。ご存知の通り、投資のイロハといえば、一つの銘柄に固執せず様々な会社の株を分散して購入するすることだ。こうすることで、リスクを大幅にヘッジできる。そしてこの分散投資とは、実に効率の良い資産形成の方法なのだ。

人生も同じなようなものなのかもしれない。

多くの人が変化を恐れて、「何もしない」というリスク回避方法を無意識のうちに取ってしまいがちだ。あるいは人間関係を広げることを面倒臭がったり恐れたりして、何十年も同じ人間関係の中に閉じこもってしまったり。

でも、僕らは必ず歳をとっていくし、自分に落ち度がなくたって、失業や病といった理不尽な出来事に襲われることもある。特定の人間関係に大きく依存してしまうと、そこが損なわれた時に居場所がなくなってしまう。

また、僕らは長生きになった。今や人生80年なのだ。その一方で時代のほうはかつてないような猛スピードで変わり続けている。だから多分、何もしないのはあまり有効なリスク回避手段ではない。

じゃあ冒険をするべきなんだろうか? 海外に飛び出すべき? 転職すべき? それとも起業すべき?

それらは一部の人にとっては刺激的かつ有効なリスク回避手段になりうるだろう。でも、多くの人にとって、それはあまりにもハードルが高い選択肢でもある。

人の輪を広げる

ではどうすればいいのか? ヒントは紫原さんの本にある。紫原さんは専業主婦時代に、ホームパーティを開いては人の輪を広げていったという。やがて離婚に至った時、そのホームパーティで知り合った人々との繋がりが彼女を助けていったのだ。

僕が創った英語学校、ブライチャーには様々な職業の老若男女たちが英語を学びにやってくる。彼らが手にするのは、決して英語だけではない。新しい人の輪を手にするのだ。生徒さんの中には、まるで戦友同士のように仲良くなって帰っていく人たちも少なくない。おそらくそれは、全員が強烈な体験を共有するからだろう。そして、僕自身もその体験をおすそ分けしてもらっている。



やがてここの仲間たちの間で、仕事の紹介などといった動きも出てくるだろう。生涯の伴侶にめぐり会う人も出てくるかもしれない。僕は、そんな関係作りを積極的に援助していきたいと思っている、なぜなら、関係作りはそのまま自立への最短距離だからだ。

そんなわけで、この「家族無計画」オススメです!他にもグッとくる言葉やエピソードが散りばめられていて、心の奥深くに響いた1冊でした。

2016年6月6日月曜日

旅そのものが目的地

僕の好きな映画に Music Never Stops というのがある。

20年近く前に家出をした一人息子がある日発見される。ところが息子は、重度の脳腫瘍を患っていた。手術は成功し、脳腫瘍を取り除くことには成功するが、その結果、息子は記憶をほぼ完全に喪失してしまうのだ。だがこの息子、音楽を手掛かりに少しずつ記憶を取り戻していく。驚いたことに実話がベースになっている。心温まる父子の愛情を描いた作品なのだ。

映画のトレーラーはこちら。



この映画はストーリーもさることながら、音楽がとても良い。ぜひ多くの人に見てもらえたらと思う。

旅そのものが目的地

この映画の中で、主人公が父親に語るあるセリフがとても響いたのだ。
On the road, you never really know where you're going or what's gonna happen when you arrive, so you just experience the ride. And then every single day is a different adventure. You know, the-- the journey is the destination.
「旅の最中には、どこに向かっているのかも、着いた先で何が起こるのかもわからない。だから、旅そのものを体験するんだ。そうすると毎日が違った冒険になる。旅そのものが目的地になるんだ。」

このブログにはほとんど何も書いてこなかったけど、僕はこの映画を見た1年後くらいから、アジア起業の準備を始めた。そして1年前の2015年6月6日にフィリピンのセブ島に Brighture English Academy (ブライチャーイングリッシュアカデミー)という語学学校をオープンした。

開校の準備期間から入れると、もうかれこれ2年ほど突っ走ってきた。そしてその毎日は、本当に、この映画のセリフの通りだった。毎日何かが起こり、その都度四苦八苦しながら乗り越えていった。その一歩一歩がどれも濃厚で、まさに「旅そのものを体験」し、「毎日が違った冒険」になり、そして「旅そのものが目的地」というような毎日だった。

アジアでビジネスを始めるにあたって考えたこと

この学校を作るにあたっていろいろな思いがあった。例えば...
  • 新たなチャレンジが欲しい
  • 世の中の役に立つことがしたい
  • 東南アジアでビジネスをしてみたい……
そうは言っても実際問題、アメリカに住居を構えたまま果たして東南アジアでビジネスが始められるものかどうか分からなかったし、どのくらいの労力とお金が必要なのかさえ皆目見当もつかなかった。

でも、実際に始めてみたら、家族の理解を得られたり、良きスタッフに巡り合えたりして、なんとかなっていった。2年前までは存在さえ知らなかった多くの仲間たちと共に、まったく新しいスタイルの語学学校を生み出すことに、大きな喜びを見出している。こんな運に巡り会えたことに、感謝しかない。


開校1周年!

そして気がついたら今日で開校1年! 

おそらく僕は、明日も明後日もそして5年後も10年後も、きっと「旅そのものが目的地」としか言いようがない毎日を過ごしていると思う。

でも、ブレることはないだろう。

なんというか、自分の目指す方向がハッキリしたからだ。

「最良の学びの場を提供する」


僕がしたいことはこれに尽きる。

世の中は急速に動いている。学ぶべきことは多い。英語はその数あるうちの一つであり、さらなる学びのための有用なツールでもある。英語を学びたいのなら、ブライチャーこそが最良、最善、最短なのだ! 今でもそういう自負があるが、さらに圧倒的なものを提供して行こうと考えている。

ブライチャーでの学びは、はっきり言ってかなりキツい。でも、多くの人に英語という武器を手にしてもらい、「旅そのものが目的地」というような「冒険の毎日」を過ごして頂けたらと思っている。

皆さんも一緒にブライチャーで学びませんか?

お待ちしています。




2016年1月7日木曜日

ハッキング対策は、国をあげて取り組む問題では?

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さて、新年早々ですが、シリコンバレー在住の私の恩人がハッキングの被害に遭遇してしまいました。そのハッキングのレベルがあまりにもエグいのでのご紹介させて頂きたいと思います。いったい何が目的で一個人の環境をここまで攻撃するのかよくわかりませんが、同種の被害に遭われた方が6000人もいるのにニュースにすらなっていないということで、紹介させていただくことにしました。


つい最近やられた 「オンライン ハッキング」 被害についての報告つい最近、私たちの自宅のラウター、ラップトップ コンピューター、外付ハード ドライブ、携帯電話、銀行や保険会社のオンライン アカウント (口座) などがすべてハッキングされ、AT&T Network Security (アメリカ電信電話会社の情報網安全保障部) に 「全部、新しい機器、新しいアカウント (口座) に変えるよう」 強く勧められました。
この種の被害の報道を 「他人事 (ひとごと)」 だと思っていたら 「我が事」 になりました。ハッキングを防ぐよい方法は官公庁や銀行にさえないそうなので、私たち庶民にできる予防策は限られていますが、(あやしい) といち早く感じ、いち早く善後策を取るための参考にしてください。
下記が私たちの被害の経過です。(1) 夕食後、まったく突然、緑も私も毎日見ている電子メールにログインできなくなりました。オンラインの 「ユーザー名 / パスワード リセット」 方法のいずれを試してもだめでした。
(2) 私たちのインターネット サービス プロバイダー (ISP) は AT&T なので、 翌日フリーダイヤルで AT&T 技術支援部に電話しました。
(3) AT&T の技術者はリモート アシスタンス コネクション (技術支援用遠隔操作接続) で私たちのラウターとラップトップ コンピューターの中を調べ、すべての機器がハッキングされていることを確認しました。その技術者は、私たちのコンピューターのモニターにハッキングされている証拠を表示してくれました。コンピューター スキャン ログの至るところに 「<= ハッキングの疑い有り」 という警告文が表示されていました。
(4) 技術者は、約 40 分かけて私たちの装置からハッキングを取り除き、正常な状態に戻してくれました。
(5) 技術者は、何十か所にも書かれていた 「<= ハッキングの疑い有り」 という警告文がすべて消えたのを画面で見せて、どの機器もまた使い始めても安全だと言いました。長い電話の最後は 「長年にわたって私ども AT&T をご利用いただき、まことにありがとうございます」 という AT&T 従業員の決まり文句でした。
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(6) 次の日、状況は前日より悪くなりました。電子メールだけでなく、他のオンライン アカウント (社会保障制度、銀行、クレジットカード、各種保険口座、会員制のクラブ口座、年金積立口座、電力、ガス、水道、その他) もすべてログインできなくなりました。
(7) 再び AT&T の技術支援部に電話して 「きのうハッキングを取り除いてもらったら、状況がもっと悪くなった」 と言いました。
(8) すると AT&T は 「18 か月前の電話対応処理以来、あなたから電話があったという記録はまったくない」 と答えました。 私の名前も電話番号も問題説明も対応処理の内訳も、AT&T の前日の業務記録の中にはまったくなかったのです。
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(9) AT&T によれば 「私の電話がハッカーによって横取りされ、遠隔操作接続によるコンピューター修復作業 (に見せかけた第二次ハッキング) でさらにひどくハッキングされたのに違いない」 という説明でした。説明のあと 「自宅の機器を近くの AT&T 直営店に全部持って行き、社内専用電話回線で AT&T Network Security (アメリカ電信電話会社の情報通信網安全保障部) に接続してもらうよう」 指示してくれました。 
(10) 翌日、AT&T 社内専用回線を使った調査の結果、私たちの機器すべてを新しいものに替えるよう勧めました。ハードディスクだけでなく集積回路基盤内のファームウェアまでもハッキングされ、しかも暗号化したロックで修復できないようブロックされていることが判明しました。だから、いくらハードディスクを修復しても無意味だとのことでした。 
(11) AT&T は調査の結果 「ハッカーが私たちのユーザー名とパスワードを盗んだあと、自分たちにしか復号化できない数式で暗号化したので、ハッカー以外はだれも (AT&T でさえ) 私たちのオンライン アカウントにログインすることも、ユーザー名やパスワードを設定し直すこともできなくなったのだ」 と分析しました。 
(12) 次の日の朝、AT&T が私たちの自宅に来て、それまでずうっと使っていた一般家庭用 AT&T ラウターをネットワーク セキュリティー ファイアーウォール (不法侵入防御壁) 内蔵の企業用 AT&T ラウターに取り替えてくれました。

(13) ちなみに、妻と私のコンピュータでは 「Symantec Norton Internet Security 2015」 が常時稼働中でした。このような被害に遭って、やっと、 Norton のようなウイルス防御ソフトを載せていてもオンライン ハッキングは防げない --- ということがわかりました。また、 AT&T によれば 「ネットワーク セキュリティー ファイアーウォール (不法侵入防御壁) 内蔵の企業用 AT&T ラウターに替えても、ハッキングされにくくなるだけで、絶対にハッキングされないようになるわけではない」 とのことでした。 
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(14) 妻と私は、一週間あまり携帯電話も電子メールもキャッシュカードもクレジットカードもない、50 年ぐらい前のような生活をしました。そして今もまだ毎日、店舗、銀行、保険会社、官公庁その他に行ってアカウント (口座) 番号の変更を頼んで回っています。保険会社などは昔ながらの直筆署名されたハードコピーしか認めないし、クレジットカードなども自動請求や自動支払いが含まれるため、やはり直筆署名されたハードコピーしか認めない安全保障確認手続きが多いので、一段落するのはまだまだ先になりそうです。 
上記のような私たちの被害を、早く (あやしい) と感じ、早く対処するための参考にしてください。
それでは、どうか楽しい新年をお迎えください。


つまりステップ2)〜5)で親切に対応してくれた相手は、実はハッカーだったというわけです。しかもそのハッカーはシリコンバレーから北京のサーバを経由してこのハッキングを仕掛け、電話まで乗っ取ってここまで手の込んだことを一個人相手に仕掛けたのです。

ここまで悪質なハッキングに個人レベルで対応できることはほとんど何もないように思います。せいぜいデータのバックアップを取って、お祈りするくらいでしょうか?

おそらくネットワークセキュリティというのは、大学などの専門機関で数年間かけて専門家を養成するべきほど重要なことなのです。セキュリティの専門家は、ネットの防衛軍であり、医師だからです。

しかしながら、アメリカの大学でさえ。教えられる人がほとんどいない、セキュリティの学習過程でハッキングの方法を教えざるを得ないことに倫理的な抵抗感を感じてしまう、などといったあたりが障壁となっているようです。



私のISPもAT&Tなので全く他人事ではありません。気休めかもしれませんが、ルーターを企業向けのものに置き換え、不要なポートは全て閉じるなどして、できる範囲での対策を取ってみたいと思います。

それでは2016年もよろしくお願いいたします。