2012年10月23日火曜日

信じるということ

人を信じるってどういうことなんだろうか?

時々そんなことを考えることがあります。

世の中には信じられる人と信じられない人がいます。家族だからと言って無条件に信じられるわけではないですし、逆に他人でも信じられる人は信じらるわけです。こうした経験は誰にでもあるでしょう。

信じるという行為は難しいものです。

信じると言うこと、それは「裏切られる覚悟する」ということだとなんだと思います。

相手が裏切らない保証があるから信じる、というのでは「信じている」と言うよりも、「相手が裏切らないから私も裏切らない」という一種の契約のようなものではないかと思います。

無論「相手が裏切らないから私も裏切らない」という関係や感覚のほうが普通であって、人を裏切れば信用を失うのは世の常です。

例えば神を信じるか信じないか、という話も「証拠があれば信じる」というのでは別に信じているわけではなくて、「証拠があったから認識した」というだけに過ぎません。証拠があろうがなかろうが、神の存在を信じる。仮にそれがどんなに不合理に聞こえても信じることをやめない。それが「信じる」という行為ではないかと思います。

子供が非行に走ったときなどに「信じていたのに……!」と言って涙ぐんだり罵声を浴びせるのではなく、「この子はまたきっとどうにかなる」と心の底で信じてあげるような感覚、とでも言えばいいでしょうか?無論その信頼は情け容赦なく幾度となく裏切られますが、それでも信じ続ける、というのがしばしば親の勤めだったりします。

だから冷静に考えてみると、「あなたを信じている」なんて軽々とは口に出来ません。

信頼とは「この人なら絶対に裏切らない」ではなくて、「この人になら裏切られてもいい」と思う行為だからです。

つまり「信じること」はそのまま「愛すること」なのです。

では自分なら信じられるのか?
では他人を信じるのが難しいとしたら、自分なら信じられるのでしょうか?

私は普通の意味ではあまり自分を信用していません。

自分のことを特別信用が置けない人間とも思いませんが、その一方で嘘を付いたこともあれば、決心を容易に曲げたり、はたまた信頼を寄せていてくれた人を裏切ったこともあるからです。

でも20年前、10年前に比べるといくらか自然体になれたようで、「こんなしょうもないオレだけど、まあかけがえのないオレ自身だから、自分を信じて、愛して生きていこう」と思っています。

これからも様々な決断を下し、中には間違った決断や行動もしていくのはないかと思っています。

しかしそれらは誰の決断でもない自分の決断ですから、そんな決断をしていく自分を信じて、そこから派生するさまざまな責任から逃げ出さずに背負っていこうかと思っています。



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