大学卒業直後、私はとある日本のメーカーに就職しました。誰もがするように、聞き映えのいい会社をいくつかピックアップし、面接を受け、内定を頂いた会社に入ったわけです。希望通り、プログラマーという職種でした。一部上場企業ですし、家族も大喜びでした。でも私は、そんな会社を僅か3年で去ってしまったのです。
2年目を過ぎる頃から、どうにも会社が楽しくありませんでした。仕事がものすごくイヤだったというわけでもありません。でも、10年後もそこで働いている自分がどうしても想像できませんでした。30代の先輩たちは割と楽しそうでしたが、40代の人達はみんななんだか疲れた顔をしていました。みんな同じようなくたびれた背広を着て、遅くまで残業し、家と会社を往復するという、ごくありふれた日本の風景が目の前に広がっていました。
3年目ぐらいでそんなふうに嫌気が差すのはよくあること……。周囲に相談すると全員からそう言われました。要するに五月病のようなもので、3年目、5年目、10年目ぐらいと、節目節目に嫌気がくるという話なのです。だからガマンして乗り切れ! そんな感じでした。
「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」
でも、どうにも我慢ができませんでした。どうしてなんでしょう? なんというか「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」といった感じだったのです。3年目になって仕事は一通り分かったつもりでした。大きな会社でプログラマーをやると、早い時期から外注管理なんてやらされたりします。私は自分でもっとコードを書きたかったので、そこが食い違いの一つ目でした。まさしく「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」、だったのです。
それから「会社というシステム」そのものについての不満や疑問は非常に沢山ありました。コード変更よりも、変更したコードを品質保証に提出するための手続きのほうが煩雑だったり、給料がヤケに低かったり、ありとあらゆる書類にすべて上司のハンコが必要だったり、さらには30代、40代になってもあまり楽しそうでも裕福そうでもない先輩たちの姿だったり……。
世間知らずの甘ちゃんだった
振りかえって考えてみれば、すべては自明なことだったのです。就職前にちょっと話を聞いてみればすべて知り得たことでした。就職するなら名前の知られた企業がいい……。その程度の意識で選択した会社だったのです。ですから、起るべくして起こったミスマッチでした。せっかく採用して頂いたのに、3年足らずでヤメてしまって申し訳ない限りです。
大石哲之氏の「英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか?~就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋」という本を読んで、退職に踏み切った頃の自分をまざまざと思い出しました。大石氏は説きます。「理想の仕事などどこにもない」と。「興味があることを仕事にするのではなく、むしろ得意なこと、過去に上手にできたことを仕事にしなさい」と。
氏は続けます。
「終身雇用の会社も(武家社会の武士と藩主と)似たようなものです。忠誠さえ誓えば、スキルが未熟でもちゃんと教育してあげるし、長い時間(10年とか)かけて、それなりに育成しますよ。そのかわり、途中でやめないでね。絶対に会社の言うことを聞けよ、社畜でよろしく。」
これを読んでしみじみ思いました。私はそもそも終身雇用の会社に何を期待していたんだろう? 終身雇用の会社で期待される役割なんて、そもそも社畜に決まっているし、給料は上がらず、ネズミ色のスーツを着て会社と家を往復するに決まっているじゃないか、と。まったく世間知らずの甘ちゃんでした。
青い鳥を探すなかれ
氏の主張はこうです。若者よ、青い鳥を探すなかれ。現状を正確に認識せよ。自分を盛るな。ノースキルだったら、アジアに行って英語を職歴を身に付けてこい、と。
47歳の今また次の事業を考えている私は青い鳥を探しているのでしょうか?
耳が痛く、色々と考えさせられる一冊でした。若者でなくても、会社に対する不満でくすぶっているすべての若者、そして中年のオジさんにお勧めしたい一冊です。
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