さて昨日はスティーブ・ジョブスがアクション・フィギュアになって復活した話を書きましたが、今日も復活の話です。
1800年代の後半、ある美少女がセーヌ川へと身を投げ、溺死しました。
彼女の遺体は身元不明の遺体としてしばらく安置された後、葬られたとされています。
この時代はまだ写真なども普及していなかったこともあり、人が死ぬとその人の顔の型を取るのが一般的だったそうです。当時はそういうデスマスクを取る業者がパリの市内だけでも何百もあったそうですが、今ではパリに1軒しか残ってないそうです。
この遺体、あまりにも美しかったため評判となったそうです。身投げの遺体なのに幸せそうな微笑みを浮かべていました。パリの死体安置所の病理学者は、彼女の美貌に心打たれて型工を呼び、石膏のデスマスクを取らせたそうです。しかしこの娘の身元はついに判明しませんでした。
そしてそれから数年のうちには、数多くの複製品が作られたそうです。そしてそれらの複製品は、時代の先端を取り入れた不気味な内装品として使われるようになったそうです。そしてやがてヨーロッパ中のリビングルームにこの女の石膏像が飾られたのです。この身投げ少女の話は当時大変評判となり、カミュをはじめとする多くの文学者がこのセーヌ川の身元不明少女を題材にして小説や詩などを書いたそうです。
これがその美少女の石膏像です。
さて、話が不気味なるのはここからです。
それから60年以上もの月日が流れたある日こと、ノルウェイに住むアズムント・レーダルというオモチャメーカーの事業主の元に一人の男が訪れました。その男はピーター・セイファーという医師で、現在一般的になった心肺蘇生法を開発したことで歴史に名前を残した人です。この医師は自分が開発した心肺蘇生法を普及させるには練習用のマネキンが必要と考え、このオモチャメーカーを訪れたのでした。
事業主であるアズムント・レーダル氏は、以前湖に落ちた息子が心肺停止に落ち入ってしまったことがあったため、全く人事とは思えず快く依頼を引き受けてマネキンの制作に取りかかりました。
いよいよ顔を作る段になり、彼らはレーダル氏の家にあったある女の石膏像の顔に魅入られ、この顔をマネキンの顔をとして採用することにしました。
そう、「セーヌ川の身元不明少女」の像です。こうしてこの美少女はマネキンとしてこの世に蘇りました。
そうして出来上がったマネキンは「レスキュー・アン」と名付けられ、これまでに何万体と世界各地で製造され、世界中で心肺蘇生法の訓練し使用されてきました。このレスキュー・アンは「世界で一番キスされた顔」などと言われています。
しかし...
この身投げして溺死した美少女の人形に、今日も世界各地で何万回も息が吹き込まれ、何万回となく心臓マッサージが施されている風景を想像するとなんだか寒くなるのは私だけでしょうか...
そう、どんなに心臓マッサージを受けても「セーヌ川の身元不明少女」決して蘇ることはないのです。
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そう言えば私、仕事がら2年に1回心肺蘇生法のトレーニングを受けなきゃいけないんです。怖いよう!!
1 件のコメント:
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
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