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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2013年12月28日土曜日

「自分なりの物語」

 今の時代に必要なこと、それは「自分なりの物語」です。

  それはどんなにヘンテコリンな物語でも、あるいは平々凡々でもいいんです。

  別に社畜でも無職でもニートでもいいんです。男がブラジャーしてても、ロリコンでも一向に構わない。「それがオレですが何か?」ってドヤ顔で言えたもん勝ちなんです。

  一生懸命働くお父さんたちが、なぜ「社畜」なんていう侮蔑的な言葉で呼ばれてしまうのか? それは彼らが自分の価値観ではなく、会社の価値観で生きているように見えるからです。長時間労働がダサいわけではない。自分の物語がないことがダサいんです。

 別に社畜だって一向に構わないんです。「俺は週5日は会社に魂を売ることに決めたんだ。それが俺の生き方さ!」って開き直ってしまえば、途端にその人は輝いて見えたりします。あるいは「俺のポリシーは長いものに巻かれることだ!」と公務員になってしまうのもいいわけです。ある種の清々しささえ漂ってきます。世の中に言い訳なんかしない俺様だけの物語。そういうものがある人が、なんだか輝いて見えるんです。

本当にイクメンが望まれているのか?
 世の中の奥さんたちは、イクメンがいいと言うよりも、子育ても家事は奥さんに任せっきりで、仕事は会社の言われるがままで、自分なりの判断基準を持とうとしない夫が不甲斐ないのじゃないのかと思います。移り変わりの激しい時代に、考えることを放棄したような姿勢。

 こんなに価値観の揺れ動く時代に、母親だって大変です。習い事、宿題、進学先……。悩みはつきません。もう世の中に基準なんてないんです。どうやって子育てしていくのか、懸命に話し合って手探りで決めていかなくちゃならないんです。そんな時に仕事に逃げ込む続ける姿勢が情けないんです。

物語を盛る若者たち
 そんな「物語」の必要性を誰よりも敏感に察しているのは、おそらく若者たちでしょう。よく揶揄される「意識高い系」も、語るに値する物語が欲しいのじゃないかと思います。別に有名人の講演に行って一緒に写真に写っても自分が偉くなるわけではありません。が、世界を旅し、有名人と写真に写り、SNSをてんこ盛りにします。なんとか自分だけのオリジナルな物語が欲しいのでしょう。

 しかし、物語とはあくまで「今の自分」を語るものであって、わざわざ盛って語るものではありません。物語を持つとは「そのままの自分」を「これが俺だっ!」って開き直れるということなのです。

 仮にどんなに平凡な人生でも、「私は平凡ですがなにか?」って言えること。そういう開き直りこそが、「自分なりの価値観」であり、自分なりの物語なのです。すると、そこを基準に、結婚でも就職でも子育てでも判断して行くことができます。

そう、「自分なりの物語」とは、そのまんま「自分なりのコンパス」なんです。揺れ動く時代だからこそ、必要なんです。




2013年12月24日火曜日

自由という名の牢獄

 「ホテル・カリフォルニア」というアルバムでよく知られるイーグルスの代表曲のひとつに「デスぺラード」っていう曲がある。

Desperado, why don't you come to your senses
You've been out ridin' fences for so long now

ならず者よ、どうして気が付かないんだ? 
お前はもう随分長い間、どっち付かずでふらふらと歩いている

〜〜中略〜〜

And freedom, oh freedom well, that's just some people talkin'
You're prisoner walking through this world all alone

自由、自由って人はいうけれど
おまえは一人ぼっちで歩き続けている囚人なのさ

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 僕たちが「自分の気持ち」を大切にして生きるようになって、もう20年近くが過ぎた。「自分探し」、「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」、「あなたはあなたのままあでいい」「自己責任」……。「自分の気持ち」を何よりも大切にするキーワードが幾度となく繰り返されながら、90年代、そして2000年代が過ぎていった。

 今やネットを介して好きな人と、好きな時に、好きなだけ繋がることができる。家族と一緒に観たくもないテレビを観る必要もない。僕らはめいめい、好きな時に好きなことをして生きられるようになったし、やりたくないことがあったら「それは僕のやりたいことじゃない」って言えば、それが理由として認めてもらえる。親や上司に叱られたら、バーチャルの世界に逃げ込めばいい。

 場所や時間の制約も、世間や親の縛りも大幅に薄れて、僕たちは確かに自由に生きられるようになった。クラウドファンデイングでお金を集めて起業でも結婚でも出産もできる時代。好きなことを見つけて「自分らしく」生きれば、誰しもがそれを認めてくれる。

「やりたいこと」なんて分からない
 難しいのはここから。
 イチローみたいに「やりたいこと」や「得意なこと」が分かる人なんて、実はほとんど居やしない。起業ができる人なんてごく一部。自分らしさがなにかなんて、分かりはしない。僕だって例外じゃない。47歳にもなっていまだに何がやりたいのかよくわからないし、「自分らしさ」なんてなんなのかいまだに分からない。

 でも誰にでもすぐに分かることがある。それは「やりたくないこと」だ。嫌なこと、嫌いなこと、面倒くさいこと、かったるいこと、ダルいこと、重いこと、辛いこと…… 誰だってやりたくなんかない。でも、世の中の大半のことは、そういう「やりたくないこと」でいっぱいらしい。

 だから何をするのも面倒くさい。つい、先送りしたくなる。そして、そんなふうに何事も面倒くさい僕たちに、時代はちょっと自由過ぎる。時間をつぶしたかったら、ゲームをしたって、ソーシャルをしたっていい。分かったようなことを呟けば、だれかが反応してくれる。

自由とは孤独なもの
 「自由」って多分、そもそも孤独なものなんだ。
 孤独に耐えられずに、誰かに愛されたいんだったら、人と関係を作って、少しばかりは責任や約束を果たして行かなくちゃならない。それは勝手気ままの自由とはちょっと違うんだけど、仲間を得て、自分の地平を切り拓いていく自由だったりする。決してなかなか思い通りになってくれない。でも、そうやって広がっていく世界は悪いことばかりじゃないような気がする。

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前述、「デスぺラード」はこんなふうに終る。

Desperado, Why don't you come to your senses?
come down from your fences, open the gate
It may be rainin', but there's a rainbow above you
You better let somebody love you
(let sombody love you)
You better let somebody love you...ohhh..
before it's too..oooo.. late

ならず者よ、どうして気が付かないんだ?
フェンスから降りてきて、門を開けてごらん
雨が降っているかもしれないけど、その上には虹が輝いているんだ
お前は愛されることを受け入れたほうがいい
手遅れになる前に
愛されることを受け入れたほうがいい




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なお、この曲は、アルバム「Desperado」収録されています。



2013年12月19日木曜日

日本人に必要な英語のレベル

昨日ツイッターを眺めていたら、シリコンバレーで会社経営をなさっている海部 美知さん(@MichiKaifu)が面白いことを言っておられた。


 海部氏が提起している問題は2つある。ひとつは、「多くの日本人は、英語以前に日本語ですら要点を絞った文章を書くのがヘタ」という問題。もうひとつは別に「リアルタイムの英会話なんて必要ない 」という話だ。

この2点、激しく同意せざるをえない。

論理的な文章を書く訓練が欠落している
 最初の「文章のうまい/ヘタ」の話で言えば、僕自身も大学に進学するまで、論点を絞った簡潔な文章というのが一切書けなかった。これは仕方のない話で、当時の日本では小中高を通して「文章を書く」と言えば読書感想文とか「夏休みの思い出」のような、散文のようなモノしか書かされなかったからだ。
 でも、大半の人にとって、社会に出て必要になるのは散文を書く能力ではない。この辺りの教育の在り方はもっと考え直してもよいだろう。ただ、そんな話をツィートしたらところ、こんなツィートを頂いたので、今は少しはよくなっているのかも知れない。


リアルタイム英会話は万人に必要なのか?
 次の「リアルタイムの英会話なんて必要ない 」という話。
 これもまったくその通りだと思う。日本人口の99パーセントぐらいの人にとって、リアルタイムに高度な英会話をできる能力なんてまったく必要ないのだ。もう少し詳しく考えてみよう。

 まず人々が必要とする英語能力を3つに分けて考えてみる。

1)英語なんて基本的に必要ない。たまに観光旅行に行った時に、レストランで食事が頼めれば充分。

2)基本的に読み書きが出来ればいい。海外と仕事しているけど、やり取りのほとんどはメール。だから時間もかけられるし、文章も推敲を重ねられる。会話は3年に1回の海外出張ぐらい。必死になれば、なんとかならなくもない。

3)海外に在住、あるいは外資系企業に勤務しており、仕事相手は基本的に常に外人。会議も資料も基本的にすべて英語。リアルタイムの英会話能力も、文章能力も、プレゼン能力も必要。

 多分この3グループを人口比で考えてみると、90パーセントで1)で、9パーセントぐらいが2)。そして3)は1パーセントに満たないだろう。

1)の人たちは、中3までの英語がキチンと分かればもう「出来過ぎ」なレベル。高校英語は必要ない。高校3年間は中3までの英語をひたすらやり直し、血肉にしたほうがずっと実用的だろう。

2)は、英検準1級とかTOEIC 700点ぐらいのレベル。「出る単」を丸暗記して、高校英語の文法が分かれば、まあ普通に辿り着ける。

3)のレベルは、英検1級でやっと入り口の世界。英語は英語で憶え、英語の思考回路を形成する必要がある。英語の論説や新聞記事などがスラスラと読め、よどみなく喋れないと仕事に差し障りがある。多少訛ってたっていい。それより大事なのは、書く時も話す時も分かりやすくロジカルに意思の伝達ができること。

大事なことはなに?
 幼児の頃から躍起になって英会話学校に行く必要なんて、多分ない。でも1)〜3)に共通して必要なこと、それは伝えたいことを簡潔にまとめられる能力だ。ロジカルシンキング、って言ってもいい。そしてそれは言語に依存しないスキルのはずなんだ。おそらくそこんとこが、日本の教育から決定的に欠けているところなんじゃないだろうか? そんなことを思っていたら、TninityNYCさんのこんなツィート。
 ロジカルに考える。そしてそれを簡潔に伝える。それを母国語できない人が、他国語でできるわけないのだ。

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 そうそう、最近TOEIC初挑戦の高校生に買ってあげた本。「TOEIC単語集としてベストセラー」というレビューを読んで買ってみましたが、実際に2)のレベルの人に必要な単語がギッシリです。特に例文がヨイ。おすすめです。






2013年12月16日月曜日

GunbyGun〜「ソーシャルは銃よりも強し?」

 幼児20人、大人ら6人の合計26人が命を落とした米国コネチカット州のサンディフック小学校銃乱射事件からちょうど365日後の2013年12月13日金曜日、今度はコロラド州のアラパホー高校で銃乱射事件が発生しました。高校生の犯人は、2名に重傷を追わせた上で自ら銃で自殺。現在犠牲者は生死の境をさまよっています。全米が「またか……」というやるせなさに包まれました。

 アメリカ国内における大量殺人は、およそ2週間毎に発生しています。FBIが2006〜2011年の5年間に記録した大量殺人事件の数は、なんと172件(!)にも及ぶのです。しかしこの数字には、ローカルに処理された事件の多くが含まれていません。FBIが記録されているは全体のおよそ61パーセントと言われており、この数字が正しければ、アメリカにおける大量殺人の件数は5年に314件にものぼる計算になります。

 また、サンディフック小学校やアラパホー高校銃撃事件のように、全米で話題になる大量殺人はおよそ6件に1件とさえ言われているのです。大半の事件は全米規模では話題にすらならず、地方紙をしばらく賑わせ、すぐに忘れ去られてゆくのです。では、こうして忘れ去れていく大量殺人事件は、いったいどのようなものなのでしょうか?

 それらの大半は、家庭内での事件なのです。


 失業、家計の問題、恋愛の破局、離婚、家庭内のいざこざ……。あるいは些細な揉めごとが、家族のメンバーを激高させます。そしてあまりにも身近にある銃器。犠牲者の77パーセントは、銃によって殺されるのです。犯行に使われる武器の大半は、しばしば規制論議の対象になるアサルト・ライフルなどではなく、容易に手に入る拳銃です。離婚を根に持った元夫が、感謝祭やクリスマスのパーティに乗り込んでいって、一家を皆殺しにする。そんな事件が後を絶ちません。スティーブ・ジョブズが亡くなった日にも、職場での待遇に腹を立てた男が職場の同僚を数人射殺した上、アップル本社から1キロと離れていない所に潜伏し、町には戒厳令が敷かれました。しかしこの事件、クパチーノ市内以外では、ほとんど話題にすらならなかったのです。
子供、兄弟、配偶者、恋人…… 大量殺人の57パーセントは、顔見知りによって殺されるのです。また、実行犯の94パーセントは男性です。



 実行犯の3人に1人はその場で自殺。その他の大半は警察によって射殺されます。仮に捕まっても、精神の疾病等を理由に責任を問われないことも多数なのです。救われない遺族らの傷。

動かない銃規制
 サンディフック小学校銃乱射事件の後、銃規制論議が活発に行われました。サンディフック事件の遺族たちも議会に強く働きかけました。ところが4月に米議会に提出された銃購入の際に犯歴照会を強化する法案は、否決されてしまったのです。地方レベルでは銃規制法の制定に成功したところもありますが、全体的に見れば銃規制は後退する一方なのです。

ソーシャルのチカラで銃器を減らす
 しかし、ここに来て面白い動きがあります。それはクラウド・ファンディングを利用した、銃器買い取りプログラムです。

 仕組みはこうです。例えば僕が銃規制に賛成なら、gunbygun.org のようなサイトに行って、お金を寄付します。するとこのサイトを運営する非営利団体「Gun by Gun」は、そのお金を原資にして個人所有の銃の買い取り、破棄を行うのです。銃の出所や素性は一切問われません。持ち込まれた銃は一丁当たり100ドルで買い取られます。アサルト・ライフルなら200ドル。銃の回収を行うのは地元警察で、GunbyGunはそのための資金提供と銃器買い取りプログラムの告知を行うのです。

 カリフォルニア州オークランド市は、今年1年だけでも3024件以上もの銃撃事件が起きている、全米でも屈指の犯罪都市です。サンディフック小学校銃撃事件からちょうど1年の昨日12月14日、GunbyGun は12月はオークランド市にて銃の買い取りプログラムを実施しました。このイベントのために集まった資金は5万ドル。500丁の銃器を買い取ることのできる金額です。大した額ではないのかも知れません。それでもオークランド市は500丁分だけ、安全な町になることができるのです。

 GunbyGun を創設したイアン・ジョンストン氏は31歳の若者です。彼は10歳の時に、強盗によって父親を撃ち殺されてしまったのです。ニュース番組に銃器買い取りプログラムの有効性について尋ねられた彼はこう答えたのです。

「去年の暮れのサンディフックの悲劇の後、今度こそは銃規制法が制定され、アメリカはより安全な国へと変っていくと思っていた。でも政治家たちは何も変えられやしない。受け身に待っていってもどうにもならない。今ここでやれることから、手を付けたいんだ。」

 ネットを活用して、民意を、資金を集める。遅々として進まない政府による銃規制を待つのでなく、ソーシャルのチカラで銃をコントロールしていく。そんな試みはまだ始まったばかりです。「ペンは剣よりも強し」ならぬ、「ソーシャルは銃よりも強し」となりうるのか、それはイアン・ジョンストン氏のような勇気ある若者の行動力と、僕ら一人一人の善意しだいではないでしょうか?

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PS:こちらはオークランド向けに行われたファンド募集キャンペーンのビデオです。是非ごらんあれ。



PPS: アメリカにおける大量殺人の各種数字は、USA Today より引用。こちらも興味深いです。

The Untold Story of America's Mass Killings - USA Today


2013年12月13日金曜日

「人生破壊のプロ」

 LA在住のカイラ・ロウズは、駆け出しの女優さんです。ある日、彼女は自宅のバスルームでちょっとポーズして自分の写真をスマホで複数回撮影。その中に乳首が露出している写真が1枚だけありましたが、そもそも誰に見せるつもりもない、ポーズ研究のための写真でしたから、自分のコンピュータに転送するとそのまま忘れていました。
 それからしばらくのこと。親友からアルバイト中のカイラへと電話がかかってきたのです。彼女はその内容に愕然としました。「Is Anyone Up? 」というウエブサイトに、カイラの乳首が露出した写真が載っているというのです。家に帰ってサイトを確認した彼女は、その場で泣き崩れました。

復讐ポルノ
 「リベンジ・ポルノ」とは、元恋人への復讐を目的としてネットに投稿されたわいせつ画像の総称です。現在、アメリカではこういった投稿を掲載する復讐ポルノ・サイトが乱立している状態なのです。

 ハンター・ムーア氏が2010年にサイトを設立した「Is Anyone Up? 」はそんな復讐ポルノ・サイトの草分け的存在でした。このサイトは月に3000万ヒットものPVを集め、ムーアはこのサイトから月13、000〜30、000ドル(130〜300万円相当)の収入を得ていたのです。サイトの大半は女性のイメージで占められており、まずは衣服を着ている普通のイメージを表示。そして写真をクリックすると、ヌード写真が表示されるようになっていました。本名、居住地、そして本人のFacebookやTwitterの自己紹介ページへのリンク(!)が貼られていたのです。

復讐サイトへの「復讐」
 カイラは母に相談。母親が写真を落としてくれるようムーア氏にお願いしたものの、完全に無視されました。地元警察に訴え出ても「自業自得」と、取り合ってくれない始末です。
 しかしカイラにとってラッキーだったこと、それは彼女の母が元探偵であったことと、父が弁護士だったことです。母親は早速調査を開始しました。そして驚くような事実を次々と発見したのです。

まずはムーア氏自身について:

・「人生破壊のプロ」(Professional Life Ruiner )を自認。
・被害女性から苦情を受けると、「自殺でもしろ」と返事。
・Twitterで10万人以上のフォロワーあり。
・被害者が苦情を寄せると、これらフォロワーが被害者の職場に電話などをして攻撃。

投稿されている写真について:

・およそ10パーセントの写真は女性自らが投稿したもの
・半数近くが、ハッキングによって盗まれた写真が投稿されたもの
・別の女性のヌード写真の首から上からをすげ替えたコラージュ画像が多数あること

 などといった実態が判ってきました。
 つまり、写真の半数近くが、本人も元恋人もまったく関与しないカタチで、何者かによって勝手に投稿されたものだったのです。

さらに、このサイトが取り締まられない原因や被害状況なども判ってきました。

・わいせつ画像をホストすること自体は罪にならない〜米国の通信品位法は他人が制作したコンテンツによって罰が科せられることを禁じている
・訴訟は高額なため、被害者は泣き寝入り
・わいせつ画像を見られたことを苦に、転職や引っ越した女性多数

闘い
 もしも写真がすべて元恋人か本人によって投稿されたものであれば、FBIとて、ムーア氏を調査することはできません。ところが、ハッキングによって集められた投稿が多数あるということであれば話は変ります。カイラの母は、調査ファイルの厚みが20センチにも及ぶ頃、FBIに訴え出たのです。FBIは入念に調査した上、ムーア氏の家宅捜索を実行しました。

 FBIの家宅捜索に腹を立てたムーア氏は、やがて、カイラの両親がFBIに通告したことを知るに至りました。すると、両親の家に脅迫電話やコンピュータウイルスなどが送られてくるようになったのです。そこでカイラの母は、ムーア氏の現住所をTwitterで流すことで反撃しました。すると脅迫はさらに増えたのです。

 しかし、母はそこで止らず、フェイスブックに協力を要請。ムーア氏のアカウントを凍結に漕ぎつけたのです。またPaypalにも協力を要請。ムーア氏のアカウントは凍結され、彼は「Is Anyone Up? 」から収入を得る手段を絶たれたのです。

 するとムーア氏は更にパワーアップしたサイトをオープンすると公言。今度のサイトには、被害者の現住所、ならびに家までの道順さえも載せるとアナウンスしたのです。

協力
 そんなある日、カイラの母の元に一通の電話がかかってきました。その電話の主は「アノニマス」というサイバーテロ組織を名乗ったのです。そしてカイラの母に協力を申し出ました。
 アノニマスは「Is Anyone Up? 」をホストするサーバに総攻撃を仕掛けました。さらにムーア氏の個人情報をハックし、すべてネットに流出。ここに至り、ムーア氏はサイトを閉鎖し、自身も沈黙するに至ったのです。

その後
 その後カイラの両親はカリフォルニア議会に働きかけ、復讐ポルノを禁止する法律が制定されました。この法律は、「他人を傷付ける意図で画像その他の情報を配布することを禁止する」というものす。全米を先駆けたため、大きな注目を集めました。

 アメリカで流行したことの多くは大抵日本に飛び火しますから、日本も深刻な被害が起きる前に、法整備を急いだほうがよいでしょう。また付き合い始めの段階で、「撮影はダメ」と相手に釘を刺す必要もあるでしょう。それに応じてくれない男性とは付き合わないほうが無難かも知れません。一度ネットにアップされた画像は永久に漂い続けるのです。




2013年12月8日日曜日

「トム・ザ・ターキー」の物語

 最近アメリカ各地で、人間が野生の七面鳥に襲われる事件が相次いでいます。Youtubeで「Wild Turkey Attack」と検索すると、ビックリするほど沢山のビデオが出てきます。いったいなぜこのような事件が多発しているのでしょうか?

「トム・ザ・ターキー」
 マサチューセッツ州チルマークに住むジョナサンは、ある日、家の近くで見かけた七面鳥の小鳥に愛着を憶え、餌を与え始めました。彼はその七面鳥を「トム」と名付け、見る度に餌を与え続けたのです。

 時が経つにつれ、トムはとびきり大きく獰猛な七面鳥へと成長しました。小さな頃から人間に餌を与えられたこともあって、トムは人間を恐れたりしませんでした。七面鳥の群れのリーダーとなったトムは、他の七面鳥12羽と徒党を組んで、チルマークの町を我が物顔で練り歩くようになったのです。

 やがてトムたちは人を襲うようになりました。老人も子供も男も女もみんな例外なく襲われました。人々は玄関の真正面までクルマで乗り付け、七面鳥たちに襲われないよう最短距離で家の中に駆け込むようになりました。ある人はクルマをつっつく七面鳥をドアで殴りつけ、やっとの思いで家に駆け込み、ある人はゴルフクラブを持ち歩いたのです。家を七面鳥の群れに囲まれた人もいました。宅配便の運転手は玄関まで荷物を届けず、トラックから投げ捨てると立ち去るようになりました。人々は隣の家に行く時ですら、犬を連れて行くようになったのです。トムたちはそれほどにまで凶暴でした。そして、七面鳥に襲われないのは、ジョナサンと、彼の妻だけだったのです。

七面鳥に襲われるってちょっとどんな感じか想像がつかなかったので、ここでビデオを掲載。子どもの頃、野良犬に追いかけられて半泣きで帰ったのを思い出しました。こんなのが13羽で群れって、いったいどんな感じなのでしょうか?




銃声
 2008年の6月のある日のこと。アリサさんとアルティノさんは、ベビー用品の配達にチルマークへとやってきました。アルティノさんが配達の品物を持って配達先の家に歩いていくと、近くにいた大きな七面鳥が突如アルティノさんに襲いかかりました。クルマで待っていたアリサさんが警察に通報。七面鳥は駆けつけた警察官によって射殺されました。そう、殺された七面鳥はトムだったのです。

 銃声を聞いて駆けつけたジョナサンは、警察官を殴ったのです。ジョナサンはその場で逮捕。こうしてチルマークを震撼させた七面鳥事件は幕を降ろしました。リーダーを失った群れはやがて姿を消し、町は平和を取り戻しました。

野性に介入するということ
 なぜ七面鳥たちは、人間を襲うようになったのでしょうか?

 それは、人間が野生の七面鳥に餌を与えるからです。

 そもそも七面鳥たちは人里なんかにやってきません。飢えていたからこそやって来るのです。そんな七面鳥たちに餌を与えれば、七面鳥たちは当然町に居着きます。そうやって何の気なしにやったことが、さらに多くの七面鳥たちをおびき寄せます。

 七面鳥は縄張り意識の強い動物ですから、やがてその町の人間たちを敵と見なし、襲い始めます。こんなときにはどの人も逃げずに、徹底的と敵対したほうがよいのだそうです。野性の動物は序列に敏感ですから、人間のほうが序列が上だと認識すると、人間を襲ったりしないそうです。まして餌付けなんてもってのほかなのです。

 ところがなんの知識も覚悟もなく中途半端な「動物愛護」をすると、トムのようなモンスターが生まれるわけです。野性のまま日常的に飢えた生活だったら、それほど巨大に育つこともなかったでしょう。


実はよくある話?
 実はこれ、カタチは変れどよくある話なのかもしれません。たいした覚悟もなく若者に媚びる。隣国にペコペコする。近所の野良猫にむやみに餌をやる。やがて媚びられたほうは、それを当然と思い始めます。最初に媚びたほうは「親切にしてやったのに」と憤り、もう一方は「誰も頼んでないのにホイホイ持ち上げたのはそっちだろ?」となります。最大の被害者は、隣国であり、若者であり、野良猫かもしれません。

 この事件の発端となったジョナサンとその妻は、その後七面鳥を撃ち殺した警察を強く非難。またこの七面鳥を埋葬したいから遺体を返してくれと請求を始めたのです。そもそも飼っていたわけですらないのに。無責任に餌を与えて街中を恐怖に陥れただけなのに。

あなたの周りにもいませんか? 野良猫やカラスに餌をあげるだけの人。甘やかすだけの子育てをする人。 可愛がる、大切にするということを、本質的にはき違えた人達が。
 

2013年12月2日月曜日

ラジオ付きイヤーマフ

 私はDIY好きで、よく電動工具を使用して色々と工作します。またアメリカに住んでいるとチェーンソーで木を切るとか、芝刈り機で芝刈りするとか、ブロワーで落ち葉を掃くとか、とにかく騒音の出る道具を使うことが多いのです。

 するとですね、ラジオ好きの私としては、ラジオ番組がまるで聞こえなくなってとても困るわけです。イヤフォンなんかでは騒音に負けてしまうんです。ですのでDIYの時には音楽もラジオもなしと諦めていました。

 ところが2週間ほど前のある日、いつも行くホームセンターのなかをブラブラしていると、こんな商品を見かけました。


AM/FMラジオ付き防音イヤーマフ!

 セールでたった30ドル(!)だったので、衝動買いしてきました。単3電池2本を入れて、早速スイッチオン。庭の清掃時にブローワーをぶいぶい吹きながら使ってみましたが、防音効果が非常に高く、ほとんど騒音が聞こえません。FMラジオの音質も、予想を遥かに上回る高音質です!

 これ、ステレオ・ミニプラグの差し込み口があるので、iPhoneなどを繋いで音楽を聞くこともできます。そちらのほうも試してみましたが良好でした。

そんなわけで、このイヤーマフ、購入以来、私の作業のお供です。しかしですね……ルックスにちょっと難があるらしいです。



 装着するとこんな感じなんですが、私がこれを付けていたら、息子が「テレタビーズそっくりだ!」を大笑いしていました。

テレタビーズ……。




 テレタビーズに見えるのは、長いアンテナのせいでしょうか? お陰でラジオの音質がよいので、イカンともし難いですが。まあでもね、ルックス以外は使えますよ、本当にこれ。おすすめです!アメリカ在住の方は、下記のリンクからどうぞ!

Howard Leight Sync AM/FM Digital Radio Earmuff with MP3 AUX Input Jack




2013年12月1日日曜日

「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」

 大学卒業直後、私はとある日本のメーカーに就職しました。誰もがするように、聞き映えのいい会社をいくつかピックアップし、面接を受け、内定を頂いた会社に入ったわけです。希望通り、プログラマーという職種でした。一部上場企業ですし、家族も大喜びでした。でも私は、そんな会社を僅か3年で去ってしまったのです。

 2年目を過ぎる頃から、どうにも会社が楽しくありませんでした。仕事がものすごくイヤだったというわけでもありません。でも、10年後もそこで働いている自分がどうしても想像できませんでした。30代の先輩たちは割と楽しそうでしたが、40代の人達はみんななんだか疲れた顔をしていました。みんな同じようなくたびれた背広を着て、遅くまで残業し、家と会社を往復するという、ごくありふれた日本の風景が目の前に広がっていました。

 3年目ぐらいでそんなふうに嫌気が差すのはよくあること……。周囲に相談すると全員からそう言われました。要するに五月病のようなもので、3年目、5年目、10年目ぐらいと、節目節目に嫌気がくるという話なのです。だからガマンして乗り切れ! そんな感じでした。

「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」
 でも、どうにも我慢ができませんでした。どうしてなんでしょう? なんというか「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」といった感じだったのです。3年目になって仕事は一通り分かったつもりでした。大きな会社でプログラマーをやると、早い時期から外注管理なんてやらされたりします。私は自分でもっとコードを書きたかったので、そこが食い違いの一つ目でした。まさしく「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」、だったのです。

 それから「会社というシステム」そのものについての不満や疑問は非常に沢山ありました。コード変更よりも、変更したコードを品質保証に提出するための手続きのほうが煩雑だったり、給料がヤケに低かったり、ありとあらゆる書類にすべて上司のハンコが必要だったり、さらには30代、40代になってもあまり楽しそうでも裕福そうでもない先輩たちの姿だったり……。

世間知らずの甘ちゃんだった
 振りかえって考えてみれば、すべては自明なことだったのです。就職前にちょっと話を聞いてみればすべて知り得たことでした。就職するなら名前の知られた企業がいい……。その程度の意識で選択した会社だったのです。ですから、起るべくして起こったミスマッチでした。せっかく採用して頂いたのに、3年足らずでヤメてしまって申し訳ない限りです。

 大石哲之氏の「英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか?~就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋」という本を読んで、退職に踏み切った頃の自分をまざまざと思い出しました。大石氏は説きます。「理想の仕事などどこにもない」と。「興味があることを仕事にするのではなく、むしろ得意なこと、過去に上手にできたことを仕事にしなさい」と。

 氏は続けます。

「終身雇用の会社も(武家社会の武士と藩主と)似たようなものです。忠誠さえ誓えば、スキルが未熟でもちゃんと教育してあげるし、長い時間(10年とか)かけて、それなりに育成しますよ。そのかわり、途中でやめないでね。絶対に会社の言うことを聞けよ、社畜でよろしく。」

 これを読んでしみじみ思いました。私はそもそも終身雇用の会社に何を期待していたんだろう? 終身雇用の会社で期待される役割なんて、そもそも社畜に決まっているし、給料は上がらず、ネズミ色のスーツを着て会社と家を往復するに決まっているじゃないか、と。まったく世間知らずの甘ちゃんでした。

青い鳥を探すなかれ
 氏の主張はこうです。若者よ、青い鳥を探すなかれ。現状を正確に認識せよ。自分を盛るな。ノースキルだったら、アジアに行って英語を職歴を身に付けてこい、と。

 47歳の今また次の事業を考えている私は青い鳥を探しているのでしょうか?

 耳が痛く、色々と考えさせられる一冊でした。若者でなくても、会社に対する不満でくすぶっているすべての若者、そして中年のオジさんにお勧めしたい一冊です。