Profile
- 松井博
- Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。
2014年7月25日金曜日
急がば回れなんだよなあ
僕がまだ小学生だった頃。
算数は得意な教科のひとつだった。特に難解な文章題が大好きで、誰にも頼まれてもいないのに、兄貴のお下がりの問題集から、難しい文章題ばかりを選んで解いていたっけ。
そして中学に入学。英語の授業が始まった。英語もけっこう得意なほうで、中2の終わりくらいまではしっかりとよくわかり、テストもそこそこの点数だった。
ところが、数学も英語も、中学のどこかでボタンを掛け違えたみたいだった。数学は、因数分解ぐらいからだったかな? なんだかよく分からなくなってしまったのだ。英語のほうは現在完了くらいだったからだろうか? ちょうどその頃にグレ始めたのと相まって、どちらの教科もなんだか「????」という状態になってしまったのだ。授業が途端につまらなくなり、授業中に目を開いて起きているのさえ困難になった。テストを受けるたびに点数が下がり、僕はドンドンやる気を失っていった。
この2つの教科は、どちらも積み上げるタイプの教科だから、一度つまづいてしまうと修復は実に難しい。一カ所でも分からないところがあると、うまく積み上がっていかないのだ。そして高1の頃にはどちらの教科も、もうすっかり分からなくなってしまった。英語と数学の成績は、それぞれ10段階で3にまで落ちた。ここまで落ちてしまうと、もう完全にお客さんで、授業なんてまったくチンプンカンプンだった。いつもただ窓の外を眺めたり、ノートに絵を描いたり、眠りに落ちたりして時間をやり過ごした。
この3年後にはなんとか大学進学を果たしたわけだが、なんでそんなことができたかというと、分からなくなったところまで戻ってやり直したからだ。高校2年を2回やるハメになった僕は、2回目の高2のときに思い切って分からなくなったところまで戻って、全部やり直してみた。数学は因数分解から。英語は中3で完了形が出てきたあたりからだった。
結局、ある単元で分からない部分が一カ所でもあると、次の単元は前の単元を理解していることを前提に進められるから、分からない部分がさらに大きくなっていく。現在完了形をはずすと、そのあとに出てくる完了進行形も、過去完了形もわからない。こうしてあっという間に分からなくなってしまうのだ。
一度やり直して、つまづいたところが理解できたら、ようやく授業が分かるようになった。やり直しにかかった時間はせいぜい3ヶ月ぐらいだったろうか? こんなことなら、もっともっと早くやればよかった。
そんなわけで、今チンプンカンプンになっている若い人たちには、「わからなくなったところまで戻ってやり直してみ!」って言ってやりたい。結局最短距離だし、こうしてやり直したおかげでアメリカの大学で情報処理と数学を専攻できた。アップルでも働けたしね。
分からないところは隠すんじゃなくて、「分からない」って認めて取り組んだほうが結局早いね。仕事も勉強もこれは同じこと。あの頃はプライドばっかりのアホだった。まあ結果オーライだったからあまり気にしてないけど、もうちょっと成績がよければ、もうちょっと明るい気分で学校に行けただろうな。分からないことを分からないままに学び続けるって、ただ苦痛なだけだもんね。
結局、急がば回れなんだよね。面倒くさがっても、あんまりいいことってない。
そんなことを学んだ、貴重な4年間の高校生活でした。
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