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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2013年1月17日木曜日

僕たちの娯楽社会

ロボットが仕事を奪う社会になりつつあります。

例えば中間層の没落は、海外に仕事が出て行ってしまっただけで起きているわけではありません。

2007年のリーマンショック以降、どの企業でも凄まじい合理化が進みました。社内でのIT活用が劇的に進み、簡単なレポートなどや数字の取りまとめなどは、みんな管理システムが自動生成できるようになってしまったのです。

するとそういう仕事をやっていた人、みんなお払い箱です。

自動化はさらに進んでいく
Google が実験していた自立走行車、事故があったのは人間が運転していた時だけ、というウソのようなホントの話があります。おそらく今後10年ほどの間に、トラックなどの商用運転が大幅に自動化されるでしょう。そしてトラックの運転手たちはお払い箱になってしまうのです。

なくなる仕事はトラックの運転だけではありません。アマゾンは650億円を投入して倉庫管理を自動化するようです。そしてこれがその自動化に使われるロボットです。



こんなものが導入されれば、人間がほとんど要りません。それどころか空調や照明さえもほとんどいらないのでしょう。

アマゾンで荷物運びをしている人達、時給12ドル程度の低賃金と言われていますが、そのような仕事もロボットに奪われてしまうのです。

iPhoneの製造で有名なフォックスコンも組み立てロボットの導入を表明しています。こうした技術も10年もすれば成熟し、大半の人間を置き換えてしまうでしょう。これら工員の時給は2ドルにさえ満たないのに。

頭脳労働はどうなる?
では頭脳労働はどうなるのでしょうか?

現在、新聞や雑誌の記事を自動生成して配信するシステムなどが登場しつつあり、新聞記者を大量にお払い箱にしそうな予感なのです。

またIBMが開発した質疑応答システム「ワトソン」はクイズ番組の決勝大会に出場して優勝してしまいました。こうしたシステムが安価になり、我々の仕事を奪っていくのは時間の問題でしょう。コールセンター業務などもやがてこの「ワトソン」と、Siriのような音声解析システムを組み合わせた技術によって置き換えられていくでしょう。

人間はロボットたちの電池になるのか?
昔「マトリックス」という映画がありました。その映画の中で、人間はみんなカプセルの中で眠り、仮想現実の世界で白昼夢を見続けるのです。そして眠る人間たちは世界を司るロボットたちのエネルギー源として生かされている、というようなお話です。

人間から仕事が奪われてしまうと、困ったこと事が起きてきます。みんな収入がなくなってしまうのです。するとせっかくロボットが製品を作ってくれても、買えないんです。

だから人間たちはどうにかして、自分たちの生活を営むため、そしてロボットが働く企業がさらに儲るよう、なんらかの手段でカネを稼ぎ、さまざまな製品を購入し続けていくでしょう。

私たちが「購入する」ボタンをクリックする度に、どこかでロボットが作った製品が、ロボットによって搬送され、手元に運ばれてくるようになるでしょう。 なんだか本末転倒な感じもしますが、おそらく世の中はそんなふうになっていくでしょう。

人間は何をして金を稼ぐか?
では人間は何をやってカネを得るのか?というところが次の疑問です。

これまで通り衣食住に密接に関連する飲食店や医療、土木建築など、あまりロボット化されずに続いてゆく仕事も沢山あるでしょう。

でもそれらの仕事には沢山の人が参入し、賃金は下がるばかりとなるでしょう。資格で守られている医療系はまだしもですが、それ以外は本当に大変になるでしょう。いや、すでにとっても大変になっているのかもしれません。

では人間は何をやるんでしょうか?

娯楽社会が来る
私が思うに、人間がサバイバルのために働く時代は、少なくとも先進国ではすでに終っています。

その証拠に、1940年代には家計の60パーセント以上を占めていた日本のエンゲル係数は、もう20パーセント程度しか占めていません。真の意味で食べるためにかかるコストは限りなく低く、いつの間にか働かなくても生きていける社会になっているんです。

人生はサバイバルゲームではなく、単なる壮大な娯楽になりつつあります。

人間はただただ娯楽を生産し、消費するようになります。

……っていうかすでにそうしています。

例えば大学。

いまや大学進学率は60パーセントにも達し、みんな大学と名の付くところに行って、壮大な暇つぶしに興じています。

そもそも学問は一種の娯楽と言えなくもありません。実用的な学問も沢山ありますが、例えば源氏物語を原文で読むとか、哲学の勉強をするとか。現実的なアプリケーションがほとんどない学問も沢山あります。知的好奇心は満たされ、実に味わい深いものですが、それだけです。

みんなが学校の塾の先生、楽器の先生、ゲームの開発者、映像作品や音楽作品の制作者や配信者となり、あるいは旅行や留学の斡旋業者になり、みんながそれを消費する側にもなります。

あるいはレストランでの食事。これもまた一種の娯楽です。

あるいはブログを書いたりYoutubeビデオを作ったり、面白いことをツイッターで呟いたりしてうまいこと収入に結びつけていく人も出てくるでしょう。

自分が創作する人でなくても、こうして作られた「娯楽」を供給する仕事に就く人も沢山いるでしょう。 考えてみたら私たちはすでに「娯楽」に囲まれて暮らしています。タブレット、スマホ、一眼レフ、大型テレビ、ステレオ、ゲーム……。どれもなくたっていいものばかりです。



そして僕たちは電池になる
こうして人間は好むと好まざるとに関わらず、知らず知らずのうちにマトリックスの電池のような存在になっていくのではないでしょうか?

カプセルに入って白昼夢を見る代わりに、娯楽に興じ、そこで得たカネで、さらなる娯楽に必要な製品を買っていくんです。

そういえばツイッターだってブログだって、youtubeビデオの制作だって、スマホやらPCがないとできませんね。

こうした工業製品たちはすべて、時間の問題でロボット君たちに製造されるようになるでしょう。

僕たちのマトリックス化、思ったより早くやってくるのかもしれません。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

だいたい同意するが、産業社会から創作活動(芸術?)社会へってことだろう、これは狩猟採集社会で労働(1日2時間だけ)以外の「祭祀や呪術」(つまり後世のアートの起源)が重要だった時代への先祖返り。