先日「僕たちの娯楽社会」というエントリーを書いていてしみじみ思ったことがあります。
それは、生存のために働く時代はそろそろ終りつつあり、「暇つぶし」のために働く時代がやってきた、ということです。
暇つぶし社会
実際問題、飢えないために働く時代は、もう何十年も前に終っているのです。
日本の就労人口はすでに人口の半分を切っています。老人や子供を含むとはいえ、人口の半分以上はまったく働いていないのです。
増え続けるニートたち。こういった人達も働いていません。フルタイムでは働いていないアルバイトの人達も膨大な数です。
だからと言って別段これらの人が飢え死にしているわけではありません。これは日本だけというわけでもなく、先進国に共通する現象です。
先進国に住む10億人程度の人に限って言えば、別段一生懸命に働かなくとも、飢えることのない時代がやってきたのです。仕事をしたくたってロボットや後進国の人が代わりに働いてしまうので、働きたくても、そもそも働く機会がありません。
前エントリーでお話した「娯楽社会」というのは、要するに「暇つぶし社会」と言えなくもありません。「一億総高等遊民」の時代が来たと言ってもいいでしょう。高等遊民って明治や大正のころにいた、高等教育を受けたのに働きもせずブラブラしていた人達です。21世紀を生きる私たちはみんな高等遊民で、一生をかけて壮大な暇つぶしをやらなければならないのです。
仕事って実は暇つぶしじゃないのか?
人生は壮大な暇つぶしである、というのは多くの人があまり認めたがらない真実なんじゃないかと思います。忙しくて疲れ切った顔をしている人も、他でもない自分でそういう仕事を選んだわけです。
また、ヒマになるのが怖い人も沢山いるでしょう。何をしてもよい時間というのは、自分で時間の潰し方を考えなければならない時間です。こうした時間を苦しく感じる人、けっこういそうな気がします。
よく定年退職を迎えると、突然やることがなくて、奥さんの後を付いて歩く男の人の話なんて耳にします。「お前どこ行くの?」なんていってウロウロ。要するにヒマであることに耐えられないわけです。自分の暇つぶしぐらい、自分でできるようになっておいたほうがいいのではないのでしょうか?
また多くの忙しそうにしている人も、実はヒマそうにしていると世間体が悪いから忙しそうにしているという人、少なくないでしょう。
あるいはヒマそうにしているとなんだか後ろめたい。そんなわけで定時に帰ればいいのに、就業時間中はダラダラして、定時後になると急がしそうにしている人、周囲にいるのではないのでしょうか?
家でヒマそうにしていると家事を手伝わなきゃならないし、子供の勉強を見たり、家族と対話したり。多くのお父さんが苦手なことが満載です。仕事に逃げて忙しそうにしていると、そういう雑事から解放されます。
ヒマの何が悪いのか?
別にヒマを持てましていたって誰かに迷惑をかけているわけではありません。
しかし一体ヒマの何が悪いでしょうか?
ツイッターやブログを読んだり書いたりできるのも、要するに暇の成せる業です。ゲームもテレビも同様です。子供の宿題を見てやったり、一家団欒をしたり。外食に行ったり、同僚と飲みに行ったり。ショッピングに美容、スポーツ、観光……。こうしたモロモロのことはヒマじゃないとできません。
ヒマなのって気持ちいいです。
またヒマを上手に使って世紀の大発明や大発見をしたり、素晴らしい芸術を生み出す人もいるわけです。
ヒマというのは、実に贅沢な時間なのではないでしょうか?
最後にスチャダラパー の「ヒマの過ごし方」をどうぞ。とっても考えさせられる歌です。
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