2012年9月8日土曜日

引きこもり予備軍の糞袋くんへ(Pt .1)


今から30年前のこと。

それ頃のオレはかなりダメでどうしょうもなくて、誰も聞いたこともないような偏差値の低い新設高校に通っていて、そこでもクラス45人中43番の成績だった。学年450人のうち、多分440番ぐらいだったろうと思う。正真正銘の「バカ」だった。

英語もしゃべれなかったし、それどころか日本語だって他人に通じていたのか定かじゃない。

「あなただってやれば出来るのよ」

と言ってくれたのは母親だけだったが、そんな言葉、はなっから信じてなかった。それに「あなたはやっても出来ない」なんていう母親、世の中にあんまりいないと思う。

もしあの頃誰かが未来からやってきて「君は10年後アップルコンピュータで働いている」なんて言ったら絶対に信じなかっただろう。例えばそれが空から降りてきた天使の言葉だったとしても信じなかったと思う。46歳の今よりも、16歳のあの時のほうが未来に希望がなかった。くだらない悪さをしては警察に捕まったり停学になったりしてて、なんだか生きてるのが申し訳ないような感じさえあった。

そんなオレが変わり始めたキッカケは偶然耳にした両親の会話だった。

母:「あの子はまた○○をやってないのよ。もう高校生だって言うのに一体どうするつもりなのかしら…」

父:「アイツは所詮その程度のヤツなんだよ。まあしょうがないな。オレたちの育て方が悪かったんだろ。」

吐き捨てるような父の言葉。

オレはそのまま静かに2階の自分の部屋に上がっていって、長いこと動けずにジッとしていた。

父親の言う通りだった。オレは確かに「その程度のヤツ」だった。人生の中で「情けない」と思ったことは何度もあったけど、この時が最初で、そして一番強烈に「情けない」と思った。

そんなショックを受けても、それでもまだ何ひとつ変われた訳じゃなかった。

宿題も試験勉強も何もせず、成績は更に下降して完全にビリだった。

そんなどうしょうもないオレにもひとつだけ特技があった。

小さな頃から習っていた水泳だけは得意で、中学の頃には県大会で2位になって、全国大会に出たこともあった。そんなオレが通っていたスイミングクラブの選手コースには横須賀の米軍基地からアメリカ人の高校生が2名通っていたのだ。2人ともなんとなく気があったので、コイツらともっと話ができたらいいのにな、って思ってた。それが刺激になったのか、少なくとも中学時代は唯一英語だけはちょっと成績が良かった。そのスイミングクラブのヘッドコーチは英語がペラペラで、子供心にカッコいいと思ってた。多分、そのころ尊敬の念を抱いていた唯一の大人だった。

そんな唯一の特技の水泳も中3の夏のシーズンを最後に止めてしまって、本当に何にもしていなかった。今みたいにネットがある時代だったら、多分そのまま引きこもりになってしまったと思う。そのくらい何もしていなかった。

ただ飯を食ってウンコを製造しているだけの「糞袋」だった。

そんなある日、いつも通り授業中に軽口を叩いて友達を笑わせていると、先生が叱りもせずにふと真顔になって

「松井は将来何がやりたいの?」

と聞いてきたのだ。オレは、

「今なんか材料工学っているのがあるんでしょ。形状記憶合金とか。そんなの研究したら面白いかな?」

多分数日前にNHKかなんかで観たんだ。思いつきでそんなことを言った。すると先生は

「ふ〜ん。まあお前には絶対無理だね。」

と言い捨て、また授業に戻っていった。

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何もかもなかったことにして消えてしまいたいと思い始めていたその頃、たまたま「交換留学」という制度があることを知った。

オレは俄然惹かれていった。

留学なんてまだ一般的ではなくて、名門進学高に通うような秀才だけのモノだった。だから受かるなんてこれっぽちも期待せず、単なる冷やかしで受験した。

筆記試験と面接試験があった。
筆記は設問さえも英語だった。問題の意味もよくわからず、なんか書いて提出した。

面接試験では 「もしアメリカ人の同級生に『君の英語は下手だなあ』ってからかわれたらどうしますか?」と聞かれて

「ぶっ飛ばします」

と答えたことだけを憶えている。面接官はそれが壷にハマったらしくハンカチで涙を拭きながら笑っていた。

それからしばらくしたら、なんと合格通知が来てしまった。

もし海外に行ってしまえば、しばらくここから消えられる。1年日本にいなかったら、なにもかもリセットできるんじゃないか…。そんなふうに考えたんだ。英語を学ぼうとか異文化吸収したいとかそんなことはこれっぽっちも考えてなかった。

なぜ受かったんだろうか?それは今でも謎過ぎる謎だ。多分手続きの間違いだと思う。

そして1年消えたんだ。ニッポンから。

甘ったれで、役立たずで、能無しで、ただの糞袋のオレが、「所詮その程度のヤツ」と言い捨てた父親の愛情に甘え、お金を出してもらって。

アメリカに行ったからと言って何かが急にどうなった訳じゃない。でも何かがちょっとだけ変わったんだ。

続く





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