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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2012年6月11日月曜日

ネットの本当のコワさ

「ネットの怖さ」というと、ソーシャルメディアに個人情報を穫られてしまうとか、ウイルスに感染して個人情報が流出してしまうとか、あるいはブログが炎上してしまうとか、そういったことを思い浮かべる人が多いと思います。

そういったことは勿論コワいんですが、ネットの怖さってもっとネットリと絡めとられてしまう、底なし沼や蟻地獄のような怖さだと思うんです。

世の中は劇的に便利になった
ここ15年ほどでネットが劇的に発達し、私たちの生活は激変しました。

コミュニケーションも「会って話す」、「電話で話す」などから「メールを送る」、「チャットする」、「スカイプで話す」などに変わっていきました。

お陰で突然電話がかかってきてしていることを中断されたりということもなくなりましたし、新聞を取っていなくてもテレビなんて見なくても知りたいことは検索すればグーグル先生が0.1秒ぐらいですべて教えてくれます。また欲しいものがあれば楽天やアマゾンでポチッとすればわざわざ出掛けなくても家まで持ってきてくれるようになりました。

また普段会えない友達もFacebookやブログなどを通じて近況を知ることができます。友達のご子息の様子から現在の勤め先までなんでもすぐに分かります。自分も写真を載せたり面白かったことなどを書けば、友達から「いいね!」なんてされたり、PVが増えたりしてまんざらでもありません。

また世の中に意見を発信したければ、ブログを開設するなりTwitterをやるなり、あるいは2ちゃんねるなどで色々と書いてみてもヨイでしょう。するとまたフィードバックがあったりリツィートされたりして楽しいものです。

便利なはずが……
ところが気が付いてみると、なんだかアベコベになっている人が多いのです。
たとえばメールやチャット。電話から解放されたはずなのに、ケータイをひっきりなしに覗き込み、ケータイが音を発てる度に何やら返事を返します。ご飯を食べている時ですら返事を書くのは普通ですし、アメリカでは運転中に返事を書く人が絶えずに交通事故が増えましたし、タイではオートバイに乗りながらテキストする若者が多く死亡事故が激増です。

Facebookなどもいつのまにか「いいね!」を押してもらうのが目的化し、外出先では食べたものから見た景色まで何でもかんでも写真に撮り、よく撮れたものを選んでFacebookやブログにアップ!そして誰かに「いいね!」を押してもらったりブログのPVが増えたりすると満悦です。これではまるで現実の生活がネットのためのネタ作りのような位置づけです。

新聞も読まずテレビも見なくなって何をしているかというと、家に居る時はラップトップを広げ、出先ではスマホで常にネットをチェック。以前は家族で同じ番組を見てそれについてブーブー文句を言ったり話したり、あるいはチャンネル争いをしたりしましたが、そんな煩わしい人間関係、もはや必要ありません。家族全員それぞれスマホやラップトップに没頭です。

気が付いてみると
そしていつの間にやら面と向かってのコミュニケーションや、人と何かを共有するのがおっくうです。例えば電話。その場で返事しなくちゃいけないし、一度言ってしまったらそれっきり。メールやテキストのように送信前に読み直して編集なんて出来ません。それに声のトーンや息づかいからお互い情報が伝わり過ぎです。

飲み会もおっくうですし、家族で一緒にお出かけなんて暑苦しい限りです。そんなときには運転するお父さんを横目にスマホで友達にテキスト。テキストなら都合が悪くなったら「親と一緒だったから」とでも言っておけば別にどうにでもなりますし、リアルの相手と違って相手との距離感が調節しやすいのです。

私だっていつの間にか「まずメール」、そして「返事が来なかったら電話」というようにいつの間にか何でもかんでもまずはメールで打診するようになりました。そしてメールが来ると大急ぎで返事を書いています。

またtwitterも、自分緒tweetに反応があると「話題が変わらないうちに」返事をかかなくちゃ、と変に慌ててまた返事を返したりしています。どうせ全部クラウドに残っているのに。考えてみれば馬鹿げた話ですが、どうもネットって人を吸い寄せて離せなくする強力な磁力のようなものを帯びています。そしてこれを振り切るのは容易ではありません。

また昔からアイデアは散歩やトイレなどの空き時間に湧いてくるといいますが、空き時間は全部スマホが占有です。こんなことでアイデアなど湧いてくるのでしょうか?

2012年現在、いつの間やら私たちはリアルライフとネットライフの2つの人生を送るのが普通になりました。そしていつしか人とロクに話もせずににネット上で大量の時間を過ごすのがごく普通の生活形態となってきました。人といっしょにいるときでもひっきりなしにスマホを覗き込み、以前のような濃密さはありません。15年ほど前まではネットなんて存在すらしなかったんですから、考えてみるともの凄い変化です。

このような人との関わりの変化が、一体どのような影響を私たち一人一人に及ぼしていくのかは、まだ誰にも分かりません。何しろ人類はこれまでこのような生活を体験したことがないのですから。

そしてどうすればいいのか?
思うに今後大切になっていくのは、必要に応じてネットの磁力から自分の意志で抜け出せる力を持つことではないかと思います。気持ちを整理したいとき、大切な話をしなければならない時に、メールやネットに依存せず、ちゃんと一人になって考えたり、ちゃんと人と面と向かって話せる能力。そんな能力が重要になってくると思います。






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2 件のコメント:

mako kawachi さんのコメント...

同感する内容です。以前私がリクルーターだった頃、メールでの交信と面接でのコミュニケーション間にすごくギャップのある人が増えているのに気ずきました。最近はたくさんの人達が「生の人間」との話のピンポンボールをしなくなってきたからでしょうね。

その反面、口頭での表現力が不得意な人にとってはメールやテキストが「救いの媒体」でもあるようです。(口頭より文章での表現での方がはるかに優れている人もいるので)。私自身、子供たちがティ-ンエイジャーで多感だったころ-(親とはあまり話したくない時期)、わたしに書いてくれたメールやテキストによって普段の会話では掴めない子供の心の中が覗けたことがあります。

間違いなく変わってきているのは、スマホとかの出現でコミュニケーションが加速され、それに振り回されている人が多くなったこと。即答を望む人が多くなりました。性格的にすぐ応対しないと気が済まなかった私も最近やっと、I will think about it and get back to laterとテキストできるようになりました。

でも、facebook やtwitterでの不特定多数の人達との交流やサイト、意見、イベントをの新発見はとても新鮮で現存の生活にスパイスを与えてくれていることも事実です。

現に、このブログ内容をみつけて、それに同意し、コメントを書くという私自身のアクションそのものも、現代のネット文化にうずくまっているということになりますが(…)。

人間の生活態度やリズムに変化の出てきた現代に関するこのブログ、いろいろ考えさせられました。

ありがとうございます。

Tsuda Shoken@Goshojuku さんのコメント...

失礼します。仰る通りですね。問題は、メールを遅く返信したり、電話を極力使わなかったりする場合、「大人の礼儀として・・・」と、電子機器にこき使われることを命令する人が多いということです。

残念ながら、「現場の人」は、今、すぐにうまくいく方法を尊重し、長期的にうまくいく方法を考えることが苦手です。そのため、一歩引いてモノゴトを俯瞰するということの重要性は、年々高まっているように思います。