逃走中の弟が自首でもしない限り、兄弟がどのような動機でこのようなテロ行為に至ったのか、本当のところが明かさせることはないでしょう。その一方で現在漏れ伝わってくる断片的な情報を張り合わせてみると、この2名の若者の心情は分からなくもないな、と感じてしまう自分がいます。
生い立ち
兄弟は2003年にチェチェニアからの難民としてアメリカに入国。兄のタメルラン・ツァルナエフは当時16歳、そして弟の弟のジョハル・ツァルナエフは9歳です。
兄のほうはアマチュアボクシングで活躍。3カ国語を話し、ピアノもうまかったそうです。コミュニティカレッジに通い、エンジニアになりたいと考えてたとのこと。ところがアメリカ社会にはとけ込めなかったようで、自身のフェイスブックのページに「アメリカ代表としてオリンピックに出場したい」といったコメントを残す一方「僕にはアメリカ人の友達が一人も居ないし、彼を理解できない」などといった書き込みもあったようです。
弟はレスリング部のキャプテンをして活躍。大学に進学を果たし、順調にアメリカ生活にとけ込んでいたように見受けられます。インタビューに応じた高校時代の友人によると、弟はレスリング部のキャプテンとして尊敬されていたそうで、英語に訛りもなく肌も白く誰も彼のことを外国人扱いしていなかったそうです。そして今回の犯行にはみんな一様にショックを受けているなどと話しています。
興味深いのはこの2人の叔父のコメントで、突きつけられたマイクに向ってこの2人のことを「負け犬」(Losers)と呼び、「一族、そしてチェチェン民族の顔に泥を塗った恥だ。」と怒った様子で言い捨てたのです。
絆
ウチの息子たちは7歳と5歳の時にアメリカにやってきましたが、英語ができるようになるまでは心から当てにできるのはお互い同士だけ、といった感じで、非常に結びつきの強い兄弟に育ちました。
うちの子に限らず、異国で結束する兄弟の話はよく耳にします。この兄弟もまた同じように非常に固い絆で結ばれ、兄の心情に共感せざるを得ない弟がいたのかもしれません。
越えられない「壁」
アメリカで生まれ育った生粋の「アメリカ人」とアメリカに帰化していく移民たちとの間ではどうしても埋められない「壁」があるものです。それは育った環境からくる価値観の違いに根ざしており、例え何十年アメリカで過ごしても、その違いを「よそ者」として客観視せざるを得ない自分がいるものです。習慣、宗教、他人との距離の計り方、言葉……。「壁」は幾重にも重なっています。
この壁の存在は、自分が黄色人種というアメリカではマイノリティになる人種であることにも大きく起因しているのではないかと思っていましたが、今回の事件の報道を目にし、また、これまで職場を共にした白人の移民たちを思い出してみると、白人か否かなどあまり関係なく、すべての移民たちがこの壁で少なからず苦しむのかも知れないと思いました。
容疑者はイスラム教徒だったようですから、9/11やその後のアメリカの空気なども、彼にとっては大きな越え難い「壁」を形成したのかもしれません。兄は映画「ボラット」が好きだったと報道されていますが、あの映画のオカシさ/面白さというのは移民としてアメリカに住んでみると、その秀逸なバカさに感心させされるものです。この辺りの感覚もこの容疑者に共感してしまう移民たち、少なくないでしょう。
犯人がやったことは決して許されることではありませんし、この国にいる何百万人という移民は別に爆破事件など起こさずアメリカ社会の一員として平和に暮らしているのであって、この容疑者を特別視する気もありません。
その一方でこの若者たちが抱えた疎外感を思うと、なんともやるせない気持ちにさせられます。逃げ回って射殺されるのではなく、自首してくれればと思います。彼が自首して犯行に至るまでの心情を吐露してくれれば、例え僅かでも疎外感をもつ若者が減らすような工夫が出来るかもしません。
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