せいぜい乳首をしゃぶっているぐらいのもんです。
だから人間が生きていくには、必要なスキルを次々と身に付けていく必要がありますし、新しいスキルを身につけると高い満足感が得られるよう、遺伝子レベルでプログラミングされているように感じます。
例えば赤ん坊は何度となく転びながら立ち上がり、歩くことを学んでいきます。危ないから止めなさいなんて言ったって、止める赤ん坊はいません。
幼児になれば放っておいたってドアノブを開けたり、積み木で何かを作ったりと、次から次へと何かを学習していきます。
中高生の頃に独学でギターを憶えた人も多いと思うんですが、あれだって少しづつ難しい曲をクリアしてですね、別に就職や進学に有利になるわけでもないのに非常に集中して、一生懸命学ぶわけです。
そして学んでいる最中は損得とか結果とは抜きで、「出来るようになること」自体が楽しいわけです。
ところがですね、
学校の勉強となるとこうはいきません。
まず結果ありきです。
だから「学ぶ」ことは楽しい!嬉しい!という感じが吹き飛ばされてなくなってしまいます。
親だってこと成績のこととなると、どうしたって目が三角になって頭に血が上ってしまいます。
私は学校の成績がずっと悪かったですが
もう通知表を持って帰る日というのは憂鬱以外のなにものでもありませんでした。
私は高校の途中から親元を離れてアメリカに住み始めましたが
ここでうまくリセットがかかったようで
その後また、幼児が自転車に乗るのを憶えるように英語とコンピュータを「楽しい!」と思いながら、誰も監視していないのに夢中になって学習することができました。
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それから20年以上の月日が流れ
気が付いたら自分の子供に「結果ありき」を押し付けているダメな親です。
「学び」というのは結果にとらわれず、学ぶ過程に集中する必要があるようです。
子供たちがどんな成績を取り、どんな会社に就職するのかという結果はまあ置いといて
子供たちが学びに集中できる環境を作ってやり、過程を見てあげることが大事なんだなあ...
と、遅まきながら学んでいます。
長い一生を生きていく上で、この「学ぶ」ことを楽しむ姿勢をね、どうにかして維持しなきゃいけません。
そうそう、子育てという学びも楽しまないと。
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