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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2013年12月28日土曜日

「自分なりの物語」

 今の時代に必要なこと、それは「自分なりの物語」です。

  それはどんなにヘンテコリンな物語でも、あるいは平々凡々でもいいんです。

  別に社畜でも無職でもニートでもいいんです。男がブラジャーしてても、ロリコンでも一向に構わない。「それがオレですが何か?」ってドヤ顔で言えたもん勝ちなんです。

  一生懸命働くお父さんたちが、なぜ「社畜」なんていう侮蔑的な言葉で呼ばれてしまうのか? それは彼らが自分の価値観ではなく、会社の価値観で生きているように見えるからです。長時間労働がダサいわけではない。自分の物語がないことがダサいんです。

 別に社畜だって一向に構わないんです。「俺は週5日は会社に魂を売ることに決めたんだ。それが俺の生き方さ!」って開き直ってしまえば、途端にその人は輝いて見えたりします。あるいは「俺のポリシーは長いものに巻かれることだ!」と公務員になってしまうのもいいわけです。ある種の清々しささえ漂ってきます。世の中に言い訳なんかしない俺様だけの物語。そういうものがある人が、なんだか輝いて見えるんです。

本当にイクメンが望まれているのか?
 世の中の奥さんたちは、イクメンがいいと言うよりも、子育ても家事は奥さんに任せっきりで、仕事は会社の言われるがままで、自分なりの判断基準を持とうとしない夫が不甲斐ないのじゃないのかと思います。移り変わりの激しい時代に、考えることを放棄したような姿勢。

 こんなに価値観の揺れ動く時代に、母親だって大変です。習い事、宿題、進学先……。悩みはつきません。もう世の中に基準なんてないんです。どうやって子育てしていくのか、懸命に話し合って手探りで決めていかなくちゃならないんです。そんな時に仕事に逃げ込む続ける姿勢が情けないんです。

物語を盛る若者たち
 そんな「物語」の必要性を誰よりも敏感に察しているのは、おそらく若者たちでしょう。よく揶揄される「意識高い系」も、語るに値する物語が欲しいのじゃないかと思います。別に有名人の講演に行って一緒に写真に写っても自分が偉くなるわけではありません。が、世界を旅し、有名人と写真に写り、SNSをてんこ盛りにします。なんとか自分だけのオリジナルな物語が欲しいのでしょう。

 しかし、物語とはあくまで「今の自分」を語るものであって、わざわざ盛って語るものではありません。物語を持つとは「そのままの自分」を「これが俺だっ!」って開き直れるということなのです。

 仮にどんなに平凡な人生でも、「私は平凡ですがなにか?」って言えること。そういう開き直りこそが、「自分なりの価値観」であり、自分なりの物語なのです。すると、そこを基準に、結婚でも就職でも子育てでも判断して行くことができます。

そう、「自分なりの物語」とは、そのまんま「自分なりのコンパス」なんです。揺れ動く時代だからこそ、必要なんです。




2013年12月24日火曜日

自由という名の牢獄

 「ホテル・カリフォルニア」というアルバムでよく知られるイーグルスの代表曲のひとつに「デスぺラード」っていう曲がある。

Desperado, why don't you come to your senses
You've been out ridin' fences for so long now

ならず者よ、どうして気が付かないんだ? 
お前はもう随分長い間、どっち付かずでふらふらと歩いている

〜〜中略〜〜

And freedom, oh freedom well, that's just some people talkin'
You're prisoner walking through this world all alone

自由、自由って人はいうけれど
おまえは一人ぼっちで歩き続けている囚人なのさ

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 僕たちが「自分の気持ち」を大切にして生きるようになって、もう20年近くが過ぎた。「自分探し」、「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」、「あなたはあなたのままあでいい」「自己責任」……。「自分の気持ち」を何よりも大切にするキーワードが幾度となく繰り返されながら、90年代、そして2000年代が過ぎていった。

 今やネットを介して好きな人と、好きな時に、好きなだけ繋がることができる。家族と一緒に観たくもないテレビを観る必要もない。僕らはめいめい、好きな時に好きなことをして生きられるようになったし、やりたくないことがあったら「それは僕のやりたいことじゃない」って言えば、それが理由として認めてもらえる。親や上司に叱られたら、バーチャルの世界に逃げ込めばいい。

 場所や時間の制約も、世間や親の縛りも大幅に薄れて、僕たちは確かに自由に生きられるようになった。クラウドファンデイングでお金を集めて起業でも結婚でも出産もできる時代。好きなことを見つけて「自分らしく」生きれば、誰しもがそれを認めてくれる。

「やりたいこと」なんて分からない
 難しいのはここから。
 イチローみたいに「やりたいこと」や「得意なこと」が分かる人なんて、実はほとんど居やしない。起業ができる人なんてごく一部。自分らしさがなにかなんて、分かりはしない。僕だって例外じゃない。47歳にもなっていまだに何がやりたいのかよくわからないし、「自分らしさ」なんてなんなのかいまだに分からない。

 でも誰にでもすぐに分かることがある。それは「やりたくないこと」だ。嫌なこと、嫌いなこと、面倒くさいこと、かったるいこと、ダルいこと、重いこと、辛いこと…… 誰だってやりたくなんかない。でも、世の中の大半のことは、そういう「やりたくないこと」でいっぱいらしい。

 だから何をするのも面倒くさい。つい、先送りしたくなる。そして、そんなふうに何事も面倒くさい僕たちに、時代はちょっと自由過ぎる。時間をつぶしたかったら、ゲームをしたって、ソーシャルをしたっていい。分かったようなことを呟けば、だれかが反応してくれる。

自由とは孤独なもの
 「自由」って多分、そもそも孤独なものなんだ。
 孤独に耐えられずに、誰かに愛されたいんだったら、人と関係を作って、少しばかりは責任や約束を果たして行かなくちゃならない。それは勝手気ままの自由とはちょっと違うんだけど、仲間を得て、自分の地平を切り拓いていく自由だったりする。決してなかなか思い通りになってくれない。でも、そうやって広がっていく世界は悪いことばかりじゃないような気がする。

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前述、「デスぺラード」はこんなふうに終る。

Desperado, Why don't you come to your senses?
come down from your fences, open the gate
It may be rainin', but there's a rainbow above you
You better let somebody love you
(let sombody love you)
You better let somebody love you...ohhh..
before it's too..oooo.. late

ならず者よ、どうして気が付かないんだ?
フェンスから降りてきて、門を開けてごらん
雨が降っているかもしれないけど、その上には虹が輝いているんだ
お前は愛されることを受け入れたほうがいい
手遅れになる前に
愛されることを受け入れたほうがいい




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なお、この曲は、アルバム「Desperado」収録されています。



2013年12月19日木曜日

日本人に必要な英語のレベル

昨日ツイッターを眺めていたら、シリコンバレーで会社経営をなさっている海部 美知さん(@MichiKaifu)が面白いことを言っておられた。


 海部氏が提起している問題は2つある。ひとつは、「多くの日本人は、英語以前に日本語ですら要点を絞った文章を書くのがヘタ」という問題。もうひとつは別に「リアルタイムの英会話なんて必要ない 」という話だ。

この2点、激しく同意せざるをえない。

論理的な文章を書く訓練が欠落している
 最初の「文章のうまい/ヘタ」の話で言えば、僕自身も大学に進学するまで、論点を絞った簡潔な文章というのが一切書けなかった。これは仕方のない話で、当時の日本では小中高を通して「文章を書く」と言えば読書感想文とか「夏休みの思い出」のような、散文のようなモノしか書かされなかったからだ。
 でも、大半の人にとって、社会に出て必要になるのは散文を書く能力ではない。この辺りの教育の在り方はもっと考え直してもよいだろう。ただ、そんな話をツィートしたらところ、こんなツィートを頂いたので、今は少しはよくなっているのかも知れない。


リアルタイム英会話は万人に必要なのか?
 次の「リアルタイムの英会話なんて必要ない 」という話。
 これもまったくその通りだと思う。日本人口の99パーセントぐらいの人にとって、リアルタイムに高度な英会話をできる能力なんてまったく必要ないのだ。もう少し詳しく考えてみよう。

 まず人々が必要とする英語能力を3つに分けて考えてみる。

1)英語なんて基本的に必要ない。たまに観光旅行に行った時に、レストランで食事が頼めれば充分。

2)基本的に読み書きが出来ればいい。海外と仕事しているけど、やり取りのほとんどはメール。だから時間もかけられるし、文章も推敲を重ねられる。会話は3年に1回の海外出張ぐらい。必死になれば、なんとかならなくもない。

3)海外に在住、あるいは外資系企業に勤務しており、仕事相手は基本的に常に外人。会議も資料も基本的にすべて英語。リアルタイムの英会話能力も、文章能力も、プレゼン能力も必要。

 多分この3グループを人口比で考えてみると、90パーセントで1)で、9パーセントぐらいが2)。そして3)は1パーセントに満たないだろう。

1)の人たちは、中3までの英語がキチンと分かればもう「出来過ぎ」なレベル。高校英語は必要ない。高校3年間は中3までの英語をひたすらやり直し、血肉にしたほうがずっと実用的だろう。

2)は、英検準1級とかTOEIC 700点ぐらいのレベル。「出る単」を丸暗記して、高校英語の文法が分かれば、まあ普通に辿り着ける。

3)のレベルは、英検1級でやっと入り口の世界。英語は英語で憶え、英語の思考回路を形成する必要がある。英語の論説や新聞記事などがスラスラと読め、よどみなく喋れないと仕事に差し障りがある。多少訛ってたっていい。それより大事なのは、書く時も話す時も分かりやすくロジカルに意思の伝達ができること。

大事なことはなに?
 幼児の頃から躍起になって英会話学校に行く必要なんて、多分ない。でも1)〜3)に共通して必要なこと、それは伝えたいことを簡潔にまとめられる能力だ。ロジカルシンキング、って言ってもいい。そしてそれは言語に依存しないスキルのはずなんだ。おそらくそこんとこが、日本の教育から決定的に欠けているところなんじゃないだろうか? そんなことを思っていたら、TninityNYCさんのこんなツィート。
 ロジカルに考える。そしてそれを簡潔に伝える。それを母国語できない人が、他国語でできるわけないのだ。

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 そうそう、最近TOEIC初挑戦の高校生に買ってあげた本。「TOEIC単語集としてベストセラー」というレビューを読んで買ってみましたが、実際に2)のレベルの人に必要な単語がギッシリです。特に例文がヨイ。おすすめです。






2013年12月16日月曜日

GunbyGun〜「ソーシャルは銃よりも強し?」

 幼児20人、大人ら6人の合計26人が命を落とした米国コネチカット州のサンディフック小学校銃乱射事件からちょうど365日後の2013年12月13日金曜日、今度はコロラド州のアラパホー高校で銃乱射事件が発生しました。高校生の犯人は、2名に重傷を追わせた上で自ら銃で自殺。現在犠牲者は生死の境をさまよっています。全米が「またか……」というやるせなさに包まれました。

 アメリカ国内における大量殺人は、およそ2週間毎に発生しています。FBIが2006〜2011年の5年間に記録した大量殺人事件の数は、なんと172件(!)にも及ぶのです。しかしこの数字には、ローカルに処理された事件の多くが含まれていません。FBIが記録されているは全体のおよそ61パーセントと言われており、この数字が正しければ、アメリカにおける大量殺人の件数は5年に314件にものぼる計算になります。

 また、サンディフック小学校やアラパホー高校銃撃事件のように、全米で話題になる大量殺人はおよそ6件に1件とさえ言われているのです。大半の事件は全米規模では話題にすらならず、地方紙をしばらく賑わせ、すぐに忘れ去られてゆくのです。では、こうして忘れ去れていく大量殺人事件は、いったいどのようなものなのでしょうか?

 それらの大半は、家庭内での事件なのです。


 失業、家計の問題、恋愛の破局、離婚、家庭内のいざこざ……。あるいは些細な揉めごとが、家族のメンバーを激高させます。そしてあまりにも身近にある銃器。犠牲者の77パーセントは、銃によって殺されるのです。犯行に使われる武器の大半は、しばしば規制論議の対象になるアサルト・ライフルなどではなく、容易に手に入る拳銃です。離婚を根に持った元夫が、感謝祭やクリスマスのパーティに乗り込んでいって、一家を皆殺しにする。そんな事件が後を絶ちません。スティーブ・ジョブズが亡くなった日にも、職場での待遇に腹を立てた男が職場の同僚を数人射殺した上、アップル本社から1キロと離れていない所に潜伏し、町には戒厳令が敷かれました。しかしこの事件、クパチーノ市内以外では、ほとんど話題にすらならなかったのです。
子供、兄弟、配偶者、恋人…… 大量殺人の57パーセントは、顔見知りによって殺されるのです。また、実行犯の94パーセントは男性です。



 実行犯の3人に1人はその場で自殺。その他の大半は警察によって射殺されます。仮に捕まっても、精神の疾病等を理由に責任を問われないことも多数なのです。救われない遺族らの傷。

動かない銃規制
 サンディフック小学校銃乱射事件の後、銃規制論議が活発に行われました。サンディフック事件の遺族たちも議会に強く働きかけました。ところが4月に米議会に提出された銃購入の際に犯歴照会を強化する法案は、否決されてしまったのです。地方レベルでは銃規制法の制定に成功したところもありますが、全体的に見れば銃規制は後退する一方なのです。

ソーシャルのチカラで銃器を減らす
 しかし、ここに来て面白い動きがあります。それはクラウド・ファンディングを利用した、銃器買い取りプログラムです。

 仕組みはこうです。例えば僕が銃規制に賛成なら、gunbygun.org のようなサイトに行って、お金を寄付します。するとこのサイトを運営する非営利団体「Gun by Gun」は、そのお金を原資にして個人所有の銃の買い取り、破棄を行うのです。銃の出所や素性は一切問われません。持ち込まれた銃は一丁当たり100ドルで買い取られます。アサルト・ライフルなら200ドル。銃の回収を行うのは地元警察で、GunbyGunはそのための資金提供と銃器買い取りプログラムの告知を行うのです。

 カリフォルニア州オークランド市は、今年1年だけでも3024件以上もの銃撃事件が起きている、全米でも屈指の犯罪都市です。サンディフック小学校銃撃事件からちょうど1年の昨日12月14日、GunbyGun は12月はオークランド市にて銃の買い取りプログラムを実施しました。このイベントのために集まった資金は5万ドル。500丁の銃器を買い取ることのできる金額です。大した額ではないのかも知れません。それでもオークランド市は500丁分だけ、安全な町になることができるのです。

 GunbyGun を創設したイアン・ジョンストン氏は31歳の若者です。彼は10歳の時に、強盗によって父親を撃ち殺されてしまったのです。ニュース番組に銃器買い取りプログラムの有効性について尋ねられた彼はこう答えたのです。

「去年の暮れのサンディフックの悲劇の後、今度こそは銃規制法が制定され、アメリカはより安全な国へと変っていくと思っていた。でも政治家たちは何も変えられやしない。受け身に待っていってもどうにもならない。今ここでやれることから、手を付けたいんだ。」

 ネットを活用して、民意を、資金を集める。遅々として進まない政府による銃規制を待つのでなく、ソーシャルのチカラで銃をコントロールしていく。そんな試みはまだ始まったばかりです。「ペンは剣よりも強し」ならぬ、「ソーシャルは銃よりも強し」となりうるのか、それはイアン・ジョンストン氏のような勇気ある若者の行動力と、僕ら一人一人の善意しだいではないでしょうか?

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PS:こちらはオークランド向けに行われたファンド募集キャンペーンのビデオです。是非ごらんあれ。



PPS: アメリカにおける大量殺人の各種数字は、USA Today より引用。こちらも興味深いです。

The Untold Story of America's Mass Killings - USA Today


2013年12月13日金曜日

「人生破壊のプロ」

 LA在住のカイラ・ロウズは、駆け出しの女優さんです。ある日、彼女は自宅のバスルームでちょっとポーズして自分の写真をスマホで複数回撮影。その中に乳首が露出している写真が1枚だけありましたが、そもそも誰に見せるつもりもない、ポーズ研究のための写真でしたから、自分のコンピュータに転送するとそのまま忘れていました。
 それからしばらくのこと。親友からアルバイト中のカイラへと電話がかかってきたのです。彼女はその内容に愕然としました。「Is Anyone Up? 」というウエブサイトに、カイラの乳首が露出した写真が載っているというのです。家に帰ってサイトを確認した彼女は、その場で泣き崩れました。

復讐ポルノ
 「リベンジ・ポルノ」とは、元恋人への復讐を目的としてネットに投稿されたわいせつ画像の総称です。現在、アメリカではこういった投稿を掲載する復讐ポルノ・サイトが乱立している状態なのです。

 ハンター・ムーア氏が2010年にサイトを設立した「Is Anyone Up? 」はそんな復讐ポルノ・サイトの草分け的存在でした。このサイトは月に3000万ヒットものPVを集め、ムーアはこのサイトから月13、000〜30、000ドル(130〜300万円相当)の収入を得ていたのです。サイトの大半は女性のイメージで占められており、まずは衣服を着ている普通のイメージを表示。そして写真をクリックすると、ヌード写真が表示されるようになっていました。本名、居住地、そして本人のFacebookやTwitterの自己紹介ページへのリンク(!)が貼られていたのです。

復讐サイトへの「復讐」
 カイラは母に相談。母親が写真を落としてくれるようムーア氏にお願いしたものの、完全に無視されました。地元警察に訴え出ても「自業自得」と、取り合ってくれない始末です。
 しかしカイラにとってラッキーだったこと、それは彼女の母が元探偵であったことと、父が弁護士だったことです。母親は早速調査を開始しました。そして驚くような事実を次々と発見したのです。

まずはムーア氏自身について:

・「人生破壊のプロ」(Professional Life Ruiner )を自認。
・被害女性から苦情を受けると、「自殺でもしろ」と返事。
・Twitterで10万人以上のフォロワーあり。
・被害者が苦情を寄せると、これらフォロワーが被害者の職場に電話などをして攻撃。

投稿されている写真について:

・およそ10パーセントの写真は女性自らが投稿したもの
・半数近くが、ハッキングによって盗まれた写真が投稿されたもの
・別の女性のヌード写真の首から上からをすげ替えたコラージュ画像が多数あること

 などといった実態が判ってきました。
 つまり、写真の半数近くが、本人も元恋人もまったく関与しないカタチで、何者かによって勝手に投稿されたものだったのです。

さらに、このサイトが取り締まられない原因や被害状況なども判ってきました。

・わいせつ画像をホストすること自体は罪にならない〜米国の通信品位法は他人が制作したコンテンツによって罰が科せられることを禁じている
・訴訟は高額なため、被害者は泣き寝入り
・わいせつ画像を見られたことを苦に、転職や引っ越した女性多数

闘い
 もしも写真がすべて元恋人か本人によって投稿されたものであれば、FBIとて、ムーア氏を調査することはできません。ところが、ハッキングによって集められた投稿が多数あるということであれば話は変ります。カイラの母は、調査ファイルの厚みが20センチにも及ぶ頃、FBIに訴え出たのです。FBIは入念に調査した上、ムーア氏の家宅捜索を実行しました。

 FBIの家宅捜索に腹を立てたムーア氏は、やがて、カイラの両親がFBIに通告したことを知るに至りました。すると、両親の家に脅迫電話やコンピュータウイルスなどが送られてくるようになったのです。そこでカイラの母は、ムーア氏の現住所をTwitterで流すことで反撃しました。すると脅迫はさらに増えたのです。

 しかし、母はそこで止らず、フェイスブックに協力を要請。ムーア氏のアカウントを凍結に漕ぎつけたのです。またPaypalにも協力を要請。ムーア氏のアカウントは凍結され、彼は「Is Anyone Up? 」から収入を得る手段を絶たれたのです。

 するとムーア氏は更にパワーアップしたサイトをオープンすると公言。今度のサイトには、被害者の現住所、ならびに家までの道順さえも載せるとアナウンスしたのです。

協力
 そんなある日、カイラの母の元に一通の電話がかかってきました。その電話の主は「アノニマス」というサイバーテロ組織を名乗ったのです。そしてカイラの母に協力を申し出ました。
 アノニマスは「Is Anyone Up? 」をホストするサーバに総攻撃を仕掛けました。さらにムーア氏の個人情報をハックし、すべてネットに流出。ここに至り、ムーア氏はサイトを閉鎖し、自身も沈黙するに至ったのです。

その後
 その後カイラの両親はカリフォルニア議会に働きかけ、復讐ポルノを禁止する法律が制定されました。この法律は、「他人を傷付ける意図で画像その他の情報を配布することを禁止する」というものす。全米を先駆けたため、大きな注目を集めました。

 アメリカで流行したことの多くは大抵日本に飛び火しますから、日本も深刻な被害が起きる前に、法整備を急いだほうがよいでしょう。また付き合い始めの段階で、「撮影はダメ」と相手に釘を刺す必要もあるでしょう。それに応じてくれない男性とは付き合わないほうが無難かも知れません。一度ネットにアップされた画像は永久に漂い続けるのです。




2013年12月8日日曜日

「トム・ザ・ターキー」の物語

 最近アメリカ各地で、人間が野生の七面鳥に襲われる事件が相次いでいます。Youtubeで「Wild Turkey Attack」と検索すると、ビックリするほど沢山のビデオが出てきます。いったいなぜこのような事件が多発しているのでしょうか?

「トム・ザ・ターキー」
 マサチューセッツ州チルマークに住むジョナサンは、ある日、家の近くで見かけた七面鳥の小鳥に愛着を憶え、餌を与え始めました。彼はその七面鳥を「トム」と名付け、見る度に餌を与え続けたのです。

 時が経つにつれ、トムはとびきり大きく獰猛な七面鳥へと成長しました。小さな頃から人間に餌を与えられたこともあって、トムは人間を恐れたりしませんでした。七面鳥の群れのリーダーとなったトムは、他の七面鳥12羽と徒党を組んで、チルマークの町を我が物顔で練り歩くようになったのです。

 やがてトムたちは人を襲うようになりました。老人も子供も男も女もみんな例外なく襲われました。人々は玄関の真正面までクルマで乗り付け、七面鳥たちに襲われないよう最短距離で家の中に駆け込むようになりました。ある人はクルマをつっつく七面鳥をドアで殴りつけ、やっとの思いで家に駆け込み、ある人はゴルフクラブを持ち歩いたのです。家を七面鳥の群れに囲まれた人もいました。宅配便の運転手は玄関まで荷物を届けず、トラックから投げ捨てると立ち去るようになりました。人々は隣の家に行く時ですら、犬を連れて行くようになったのです。トムたちはそれほどにまで凶暴でした。そして、七面鳥に襲われないのは、ジョナサンと、彼の妻だけだったのです。

七面鳥に襲われるってちょっとどんな感じか想像がつかなかったので、ここでビデオを掲載。子どもの頃、野良犬に追いかけられて半泣きで帰ったのを思い出しました。こんなのが13羽で群れって、いったいどんな感じなのでしょうか?




銃声
 2008年の6月のある日のこと。アリサさんとアルティノさんは、ベビー用品の配達にチルマークへとやってきました。アルティノさんが配達の品物を持って配達先の家に歩いていくと、近くにいた大きな七面鳥が突如アルティノさんに襲いかかりました。クルマで待っていたアリサさんが警察に通報。七面鳥は駆けつけた警察官によって射殺されました。そう、殺された七面鳥はトムだったのです。

 銃声を聞いて駆けつけたジョナサンは、警察官を殴ったのです。ジョナサンはその場で逮捕。こうしてチルマークを震撼させた七面鳥事件は幕を降ろしました。リーダーを失った群れはやがて姿を消し、町は平和を取り戻しました。

野性に介入するということ
 なぜ七面鳥たちは、人間を襲うようになったのでしょうか?

 それは、人間が野生の七面鳥に餌を与えるからです。

 そもそも七面鳥たちは人里なんかにやってきません。飢えていたからこそやって来るのです。そんな七面鳥たちに餌を与えれば、七面鳥たちは当然町に居着きます。そうやって何の気なしにやったことが、さらに多くの七面鳥たちをおびき寄せます。

 七面鳥は縄張り意識の強い動物ですから、やがてその町の人間たちを敵と見なし、襲い始めます。こんなときにはどの人も逃げずに、徹底的と敵対したほうがよいのだそうです。野性の動物は序列に敏感ですから、人間のほうが序列が上だと認識すると、人間を襲ったりしないそうです。まして餌付けなんてもってのほかなのです。

 ところがなんの知識も覚悟もなく中途半端な「動物愛護」をすると、トムのようなモンスターが生まれるわけです。野性のまま日常的に飢えた生活だったら、それほど巨大に育つこともなかったでしょう。


実はよくある話?
 実はこれ、カタチは変れどよくある話なのかもしれません。たいした覚悟もなく若者に媚びる。隣国にペコペコする。近所の野良猫にむやみに餌をやる。やがて媚びられたほうは、それを当然と思い始めます。最初に媚びたほうは「親切にしてやったのに」と憤り、もう一方は「誰も頼んでないのにホイホイ持ち上げたのはそっちだろ?」となります。最大の被害者は、隣国であり、若者であり、野良猫かもしれません。

 この事件の発端となったジョナサンとその妻は、その後七面鳥を撃ち殺した警察を強く非難。またこの七面鳥を埋葬したいから遺体を返してくれと請求を始めたのです。そもそも飼っていたわけですらないのに。無責任に餌を与えて街中を恐怖に陥れただけなのに。

あなたの周りにもいませんか? 野良猫やカラスに餌をあげるだけの人。甘やかすだけの子育てをする人。 可愛がる、大切にするということを、本質的にはき違えた人達が。
 

2013年12月2日月曜日

ラジオ付きイヤーマフ

 私はDIY好きで、よく電動工具を使用して色々と工作します。またアメリカに住んでいるとチェーンソーで木を切るとか、芝刈り機で芝刈りするとか、ブロワーで落ち葉を掃くとか、とにかく騒音の出る道具を使うことが多いのです。

 するとですね、ラジオ好きの私としては、ラジオ番組がまるで聞こえなくなってとても困るわけです。イヤフォンなんかでは騒音に負けてしまうんです。ですのでDIYの時には音楽もラジオもなしと諦めていました。

 ところが2週間ほど前のある日、いつも行くホームセンターのなかをブラブラしていると、こんな商品を見かけました。


AM/FMラジオ付き防音イヤーマフ!

 セールでたった30ドル(!)だったので、衝動買いしてきました。単3電池2本を入れて、早速スイッチオン。庭の清掃時にブローワーをぶいぶい吹きながら使ってみましたが、防音効果が非常に高く、ほとんど騒音が聞こえません。FMラジオの音質も、予想を遥かに上回る高音質です!

 これ、ステレオ・ミニプラグの差し込み口があるので、iPhoneなどを繋いで音楽を聞くこともできます。そちらのほうも試してみましたが良好でした。

そんなわけで、このイヤーマフ、購入以来、私の作業のお供です。しかしですね……ルックスにちょっと難があるらしいです。



 装着するとこんな感じなんですが、私がこれを付けていたら、息子が「テレタビーズそっくりだ!」を大笑いしていました。

テレタビーズ……。




 テレタビーズに見えるのは、長いアンテナのせいでしょうか? お陰でラジオの音質がよいので、イカンともし難いですが。まあでもね、ルックス以外は使えますよ、本当にこれ。おすすめです!アメリカ在住の方は、下記のリンクからどうぞ!

Howard Leight Sync AM/FM Digital Radio Earmuff with MP3 AUX Input Jack




2013年12月1日日曜日

「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」

 大学卒業直後、私はとある日本のメーカーに就職しました。誰もがするように、聞き映えのいい会社をいくつかピックアップし、面接を受け、内定を頂いた会社に入ったわけです。希望通り、プログラマーという職種でした。一部上場企業ですし、家族も大喜びでした。でも私は、そんな会社を僅か3年で去ってしまったのです。

 2年目を過ぎる頃から、どうにも会社が楽しくありませんでした。仕事がものすごくイヤだったというわけでもありません。でも、10年後もそこで働いている自分がどうしても想像できませんでした。30代の先輩たちは割と楽しそうでしたが、40代の人達はみんななんだか疲れた顔をしていました。みんな同じようなくたびれた背広を着て、遅くまで残業し、家と会社を往復するという、ごくありふれた日本の風景が目の前に広がっていました。

 3年目ぐらいでそんなふうに嫌気が差すのはよくあること……。周囲に相談すると全員からそう言われました。要するに五月病のようなもので、3年目、5年目、10年目ぐらいと、節目節目に嫌気がくるという話なのです。だからガマンして乗り切れ! そんな感じでした。

「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」
 でも、どうにも我慢ができませんでした。どうしてなんでしょう? なんというか「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」といった感じだったのです。3年目になって仕事は一通り分かったつもりでした。大きな会社でプログラマーをやると、早い時期から外注管理なんてやらされたりします。私は自分でもっとコードを書きたかったので、そこが食い違いの一つ目でした。まさしく「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」、だったのです。

 それから「会社というシステム」そのものについての不満や疑問は非常に沢山ありました。コード変更よりも、変更したコードを品質保証に提出するための手続きのほうが煩雑だったり、給料がヤケに低かったり、ありとあらゆる書類にすべて上司のハンコが必要だったり、さらには30代、40代になってもあまり楽しそうでも裕福そうでもない先輩たちの姿だったり……。

世間知らずの甘ちゃんだった
 振りかえって考えてみれば、すべては自明なことだったのです。就職前にちょっと話を聞いてみればすべて知り得たことでした。就職するなら名前の知られた企業がいい……。その程度の意識で選択した会社だったのです。ですから、起るべくして起こったミスマッチでした。せっかく採用して頂いたのに、3年足らずでヤメてしまって申し訳ない限りです。

 大石哲之氏の「英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか?~就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋」という本を読んで、退職に踏み切った頃の自分をまざまざと思い出しました。大石氏は説きます。「理想の仕事などどこにもない」と。「興味があることを仕事にするのではなく、むしろ得意なこと、過去に上手にできたことを仕事にしなさい」と。

 氏は続けます。

「終身雇用の会社も(武家社会の武士と藩主と)似たようなものです。忠誠さえ誓えば、スキルが未熟でもちゃんと教育してあげるし、長い時間(10年とか)かけて、それなりに育成しますよ。そのかわり、途中でやめないでね。絶対に会社の言うことを聞けよ、社畜でよろしく。」

 これを読んでしみじみ思いました。私はそもそも終身雇用の会社に何を期待していたんだろう? 終身雇用の会社で期待される役割なんて、そもそも社畜に決まっているし、給料は上がらず、ネズミ色のスーツを着て会社と家を往復するに決まっているじゃないか、と。まったく世間知らずの甘ちゃんでした。

青い鳥を探すなかれ
 氏の主張はこうです。若者よ、青い鳥を探すなかれ。現状を正確に認識せよ。自分を盛るな。ノースキルだったら、アジアに行って英語を職歴を身に付けてこい、と。

 47歳の今また次の事業を考えている私は青い鳥を探しているのでしょうか?

 耳が痛く、色々と考えさせられる一冊でした。若者でなくても、会社に対する不満でくすぶっているすべての若者、そして中年のオジさんにお勧めしたい一冊です。



 

2013年11月27日水曜日

可能性を奪う権利

親友の娘さんが殺された。

まだ18歳だった。

彼女は友達と出かけ、そのまま行方不明となり、2日後に遺体となって発見された。犯人は一緒に出かけた男友達。ナイフで喉を一突きだった。

訃報を聞いた俺は、土曜日の早朝に飛行機に飛び乗った。

若い頃住んでいたアメリカ中西部の田舎町に着くと、粉雪が舞っていた。気温はマイナス8度。レンタカーに乗ってホテルへと向かう。途中、娘さんの遺体が発見された野原の脇を通る。通るクルマは少なく、自分のヘッドライト以外にはこれといった明かりもない。犬の散歩で通りかかった人が発見したという、亡くなったデニーの顔を思い浮かべた。

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次の日に葬儀に向かった。午前中は家族と親しい友人だけの内々だけのセレモニー。順番に遺体に対面した。

すすり泣きが溢れる。

「No Young lady like her deserve to die like this. (若い娘さんがこんなふうに死ぬ謂れはないわ)」

ある老婦人が呟いたそんな台詞が耳にこびりつき、頭の中を何度もエコーした。

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葬儀が終わると、俺は車に乗ってある施設へと向かった。そこは老人介護施設で、若い時に大変世話になったMさんが入院しているのだ。若い頃、アメリカで身寄りがなかった俺を、夏休みに、感謝祭に、クリスマスに家においてくれた。せめてもの恩返しと薪割りやら洗車やら買い出しやらを手伝ったっけ。厳しく叱られたこともあった。俺にとって、アメリカの父と呼んでもいい存在だった。

まだオープンして半年しか経っていない施設は設備も整っており、職員の対応も非常に気持ちよかった。部屋番号を訊いてそこに向かう。途中で食事部屋を覗き込むと、父はそこに座っていた。奥さんがそばに座っていて、俺に向かって小さく手を振った。

久しぶりに会うアメリカの父は、眼を閉じたまま時々何やら呟くだけだった。奥さんはご主人を揺さぶると、「パパ、ヒロシがきてくれたわよ。ほら、たまには眼を開けて」と何度も繰り返した。40分ほどそこにいたが、父が眼を開けることはなかった。時々眼を閉じたまま嬉しそうにニンマリと笑った。よくテレビの面白いシーンを見ながら、こんな顔をしていたっけ。

「アルツハイマーって本当にむごい病気だわ。ただの赤ん坊に還ってしまうのよ。」

寂しそうに奥さんが言った。この家族と一緒に、息子さんのフットボールの試合を観戦したり、キャンプに出掛けた事があったっけ。俺の結婚式にもきてくれた。

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葬儀場に戻ると、そこは人で溢れていた。平和な田舎町に振って湧いた悲劇。近所の人々や、死んだ娘さんの友人たちが肩を寄せあうようにやってきて、娘さんの死を弔った。

訃報を聞いて他の州から車を飛ばして駆けつけてきた古い友人たち。思い出話に花が咲き、涙と笑顔が交互に溢れた。

牧師の話があり、祈り、風船を持って外へと出た。氷点下の刺すような空気。全員が外に出ると、「Fly High Denny!!」のかけ声で、一斉に風船を離した。





アルツハイマー、ガン、心臓発作、脳卒中。

介護は大変だし、どんなに年老いていたって、肉親を失くすのは悲しい。それでも天寿を真っ当するのっては幸せだな……。何年も前に亡くなった実の父、さっき見たアメリカの父の顔、そしてデニーの死顔を思い浮かべながら、そんなことを考えた。だれもがみな黙ったまま、静かに風船を見上げていた。

レセプションでの食事。友人がポツリと言った。

「どんなに辛く悲しくても、眠くなるし腹も減る。仕事にも行かなくちゃならない。時間はかかるだろうけど、そういう『日常』がきっとデニーの両親を癒してくれるよ。」

確かにそうかも知れない。少しずつ痛みは薄れるだろう。でもきっと2人は深い哀しみと、やり場のないやるせなさと、誰にもこぼせない痛みを抱えて、ずっとずっと生きていくのだ。そしてデニーが戻ることは…… ない。

誰もが天寿を全うする権利がある。

上り坂や下り坂があってもいい。

でも、

他人の可能性を奪う権利は誰にもない。



2013年11月18日月曜日

オンライン授業体験記

 先週、救命救急法の資格を更新してきました。

 前回2年前にこの資格を更新した時には、1回4時間の講義と実習を2回、合計8時間受講しました。最後に簡単なテストを受け、資格が貰えました。赤十字でも受講できますし、病院などで実施している所もあります。

Blended Learning

今回受講して驚いたのは、この資格の対人での受講がわずか2時間になっており、後の6時間分はすべてオンライン化されていたことです。

 このオンライン授業が実によくできていました。8つのセクションに分かれており、ひとつのセクションごとに結構な量のケーススタディや小テストが挟まっています。それらのテストは納得いくまで何度でも受けられますし、好きなだけ教材のビデオを見直したり、マテリアルを読み直すことができます。こんな感じの画面でした。全部のマテリアルをこなすのに、結局6時間くらいかかりました。



で、最後にオンライン・テスト。これをクリアすると、「オンラインの部分をパスしましたよ」という証明が発行されます。それをスクリーンショットに撮るなり、プリントアウトして、実技のクラスに持参です。

 わずか2時間の実技のクラスはあっという間でした。前回講習を受けた時と同じ講師の方でしたが、彼女のほうも随分と楽になったようです。「紙の書類が減って本当に有り難い」としみじみと言っていたのが印象に残りました。

 実技の受講後は簡単な書類を記入して提出。認定書は、電子メールで郵送されるとのことでした。1時間後に家に着きメールを確認すると、もう認定書が届いていました。タイムスタンプを確認すると、授業終了の15分後にはもう着いていたのです。メールに添付されたリンクをクリック。そこには認定書がありました。


講師たちはどこへいく?
 オンライン講義を受けたのは、実はこれで4度目です。大学の講義が2回。交通違反の講習が1度。そして今回。どのオンライン講義も実によくできていて関心させられましたが、その都度考えさせられたことあります。

 それは講師たちの仕事の行き先です。こういったオンライン講義をまとめられるほどの力量を持った人は、多分あまりいないでしょう。また、これまで8時間だった講義が2時間になってしまったわけで、言ってみれば仕事量が1/4になってしまったわけですから、単純計算で講師陣の4人に3人は不要になってしまうわけです。ちょっと気になって尋ねてみたところ、実際のところ講師も教室も減らされる方向で、私が受けたサンノゼのオフィスも、別の赤十字のオフィスと統合すると言っていました。

今後どうなる?
 カーンアカデミーが話題になって以来、日本でも反転授業を推進する動きが出てきました。今後、ありとあらゆる授業が更にオンライン化するのは避けられない時代の流れでしょう。

 教材を作る側も、当分の間は試行錯誤が続いてゆくでしょう。どの部分をどのようにオンライン化するのか。クラスでの授業とオンラインの配分の最適化。宿題の出し方。手本なしでゼロから創り上げていかなければならない部分が沢山あります。

 過渡期には、従来のやり方や大勢の人々が淘汰されてしまうなどショックも大きいですが、新たに業界に参入し、ゼロから新しいやり方を創り上げるチャンスも沢山あります。今後どうなるにせよ、おそらく数百年に一度の面白いチャンスす。教育改革に飛び込むなら今。そう思わせてくれるBlended learning 体験でした。


2013年9月13日金曜日

アップルってどうしたら入社できるだろう?


 もう20年ほど前のこと。

 せっかく就職した一部上場企業を突然退職しました。まったく何を考えていたんでしょうね? 今考えてもかなり謎です。

 そしてそれから3年後、アップルコンピュータの現地法人、アップルジャパンにて、正社員として働いていました。更にその9年後にはアップル本社のマネージャとして転勤、そしてさらに1年後には本社のシニア・マネージャのポジションに収まっていました。私のすぐ上は副社長。部下は本社だけでも40人強。その他に東京とアイルランドの関連部署の面倒も見ていました。

 その後は新製品のコンセプトレビューから出荷判定会議に至るまで、重要な会議の常連の常連になっていました。そして気が付いたら、日本企業の社畜時代も真っ青なほどゴリゴリと働いてきました。こんなに濃厚な体験を出来るとは夢にも思っていなかったです。あまり人の通らない道を取ってきましたが、「ああ、これでよかったみたいだな」、と思う今日この頃です。

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 最初に海外を志したのは中学の終わりか、高校生になったばかりのことでした。ボンヤリとでしたが、「英語で仕事をする」ということをイメージし始めていました。

 今になって振り返って見ると「あの時のあの決定は正しかったな」、と思うこともあれば、「あの時のあの決定は実にマズかった」と思うこともあります。色々なことがうまい具合に働きあって、私をアップル本社へと連れて行ってくれました。

 私と同じ足跡を辿ればアップルやグーグルで働ける、という訳ではありません。しかし、最近の採用傾向も含め、どうやってシリコンバレーの面白い会社に辿り着けるか、どんなふうにキャリアを築いていけばいいのか、私なりの知見を余すことなくみなさんにシェアしたいと思います。

 そんなわけで、私と森山たつをさんの学生時代からの成り行き(?)を振り返りつつ、「海外就職への道」を共演するとにしました。お申し込みはこちらからどうぞ!


松井博、森山たつを講演会 グローバルマッチョ、海外就職研究家への道




クレジットカードなしでも申し込めるようになりました。
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2013年8月19日月曜日

小説という疑似体験〜「セカ就! 世界で就職するという選択肢 」を読んでみて


 これまでに本を2冊出版してみて感じたこと、それは「臨場感」を伝える難しさです。

 「アップルみたいな多国籍企業では、インド人や中国人やイラン人が上司や同僚や部下になり、職場では色々な訛りの英語が飛び交っている」などという文章を読んでも、日本以外で働いたことがない人が、それをイメージするのは多分とっても難しいでしょう。

 先の大戦時の空襲の恐怖。あるいは明治維新の頃の躍動感。そういったものも、歴史の教科書で事実を知り、図鑑で当時の街並や人々の服装を知っても、なかなかイメージが構築できないものです。海外の職場の様子も同じようなものでしょう。

 でもそういう「空気感」を伝える優れた方法に「小説を書く」という方法があります。優れた小説は、その世界をビビッドにイメージさせてくれ、その世界へと自分を引きずり込んでくれるものです。

 以前ご一緒に講演させて頂いた森山たつをさんの「セカ就! 世界で就職するという選択肢 」という本を読んでみて、今まで森山さんの本を読んでもなかなかイメージが湧かなかった部分が、ぐっと鮮明になってきました。バンコクやフィリピンの様子なども、風景描写や登場人物の心理描写で鮮明に立上がり、物語の中へと上手に引き込んでくれました。特に心理描写って侮れないな……としみじみ考えさせられました。

 国は違えど、私自身の海外転職経験とオーバーラップするところがあったり、また初めて海外に出て行く不安感などなど、色々なことを鮮明に思い出させてくれました。読者を引きずり込むのに書かせないもの、それは共感を呼ぶ心理描写かもしれません。

 海外転職を何度も考えてみたけれども、どうしても踏み切れない、イメージが掴めないといった方にはおすすめです。字も大きくて読みやすいのに、どうしてなかなか侮れない一冊でした。

 そうそう、自分の次の本を書く時には小説というスタイルをとってみようかな?と背中を押されるような一冊でした。面白い本、ありがとうございました。


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2013年7月28日日曜日

「反省」ってどんなときにするんだろう?

 1週間前に書いた『「罰」の効果〜『反省させると犯罪者になります』』というエントリの続きです。 

子どもの頃から数えきれないほど数多くの過ちを犯してきた。が、正直言って反省したことなんてあまりない。見つかって叱られたりすると、見つかってしまった運の悪さに腹が立ったり、そもそも先に悪口を言ったアイツがが悪いとか、オレのことを先生や親にチクった相手が悪いとか、オレを叱る先生や親に腹を立てた。我ながら勝手。でもずっとそんな感じだった。

 「次は見つからないようにやろう………。」そう思ったことは随分あったけど、二度と同じ過ちを犯すまい……と思ったことはほとんどないのが正直なところ。

ところが……
 ところが強く反省し、思い出すと今でも恥じ入ってしまう過ちも幾つかはある。2つほど恥を忍んで書いてみよう。

 小学校3年生頃のある夏休み、オレと弟の2人だけで母の実家に1週間ほど泊まったことがあった。母の実家は東京から何時間もかかる田舎で、周囲は見渡す限りの田んぼが広がる。江戸時代から残る数々の古い民家。オレはこの田舎が好きで、夏休みにここに泊まり、蚊帳の中で眠って近所のお寺にお参りに行くと、なんだかタイムスリップでもしたような気分になった。

 宿泊中のある朝、ごはんを食べながら足をブラブラせていると、足先にコツンと何かがぶつかった。そっとテーブルの下を見ると、蚊取り線香が容器ごと横倒しになり、灰が床にこぼれていた。自分の家
だったらすぐに犯人探しが始まり、親父に怒鳴りつけられるか殴られるパターン。オレは知らん顔を決め込んだ。

 しばらくするとおばあちゃんが気付いた。「あら、蚊取り線香が転んじゃったわ」と言うおばあちゃんに、オレは聞かれてもいないのに「知らない!」と目をそらした。おばあちゃんは黙ってテーブルの下に潜り、灰を片付けると「さあ、これでキレイになった」と、何事もなかったかのように食事に戻った。おじいちゃんもその間一言も発せず、静かに朝食を食べていっけ。

 バツの悪さで顔が上げられなかった。その後も田舎に行く度にこのことを思い出した。今でも不意に思い出す。何故あのときに正直に謝って片付けを手伝わなかったのだろう……。

アメリカでも
 アメリカの移った当初、メアリー先生というお年寄りの尼さんに英語を習っていたことがあった。暖かい先生で、丁寧にオレの発音を直してくれたっけ。

 数年後、オレのところに先生から手紙が来た。シンシナティの老人ホームに入居しており、とても寂しいと綴ってあった。先生の優しい表情がすぐに思い浮かんだ。すぐにでも会いにいってあげたかったけど、クルマもなかった。返事を書こうと思ったが、気の効いたことが書けずにグズグズしているうちに日々が流れ、そして出しそびれてしまった。

 なぜあの時に、どんな拙い英語でもいいから、なにか出さなかったんだろう? 今でも後悔し続ける過ちのひとつだ。

なぜ反省したんだろう?
 もしも蚊取り線香を蹴倒した時に犯人探しをされたなら、多分「あんなところに蚊取り線香があるのが悪い!」って考えて、ずっと反省しなかっただろう。メアリー先生への手紙だって、親に人の道なんて説かれたら、言い訳を考えることに全エネルギーを使っただろう。

 でも誰にも咎められないからこそ、本当は間違っていた自分を直視せざるを得なかった。そして今でも脳裏を去らない苦い思い出。反省って、人に咎められるとかえって出来ないのかも知れない。

親や教師は何ができるんだろう?
 じゃあ親として、教師として、何をすればいいんだろうか? ただ野放しにすればいいんだろうか? 子供と一緒に頭を下げればいいんだろうか? 叱りつけるのは? 反省文は?

 多分、「どうして悪いことをしてしまったのか?」という問いかけを促すことが大事なんだろう。蚊取り線香を蹴飛ばしたことを正直に言えなかったのは怒られるのが怖かったからだし、メアリー先生に返事が書けなかったのは、気の効いた返事を出したいなんて、自分の見栄を優先したからだ。

 そういう原因究明をキチンとしてこそ、やっと自分の過ちを胸に刻めるのかもしれない。

 罰を与える、ということと原因究明は別に考えるべきなのかも知れない。 どういう罰を、どんなふうに与えるのがいいんだろう?

 『反省させると犯罪者になります』を読んで以来、今のところ考えたことはここまで。まだまとまらない。次には、罰の在り方、親が教師が出来ることを、具体的に考えてみたいと思います。




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2013年7月22日月曜日

「罰」の効果〜『反省させると犯罪者になります』

 どんな人だって、生きている限り「過ち」を犯してしまう。

 友達から借りて返すのを忘れてしまったお金。あるいは悪友に誘われて断りきれずにやってしまったタバコや万引き。些細な口論から始まった友達との絶縁。ヤケになって辞表を叩きつけた会社。

 「過ち」を犯してしまうこと、そのこと自体は多分仕方がないことだろう。子供のとき、そして若い時には特に仕方がない。だってまだ右も左も分からないんだから。悪いことをは知らずにやってしまったり、後先を考えなかったり、誘惑に負けてしまったりと色々なことがあるだろう。

 大切なのは「過ちを犯さない」ことそのものではなくて、「過ちから学んでいく」という態度なんだと思う。そうやってオレたちはみんな、さまざまな過ちを犯し、周囲の人々に迷惑をかけつつ、少しずつ学んで行く。

航空機の事故調査
 航空機って人間は生み出した移動手段の中でもっとも不安定なものなのに、もっとも安全な乗り物として知られている。事故に合う確率は、8200年間毎日飛行機に乗っても遭うか遭わないかと言われるほどにまで低いのだ。

 事故調査の際に刑事責任や民事責任を関係者に課さないという原則が確立されているため、罰を与えることよりも原因究明や再発防止が最優先される。そうした決まりのお陰で事故調査が進み、年を重ねるごとに、より安全な乗り物として進化していったのだ。

自分はどうだったけ?
 じゃあ僕らが子どもたちや中高生や新入社員らが過ちを犯した時に、原因究明や再発防止をしているんだろうか?

 門限に間に合わなかった子を怒鳴りつけると門限を守るようになるんだろうか?

 宿題を忘れた子をみんなの前で叱りつけると忘れなくなるんだろうか?

 万引きした少年に反省文を書かせ、お店に謝りに行かせると2度と万引きしなくなるんだろうか?

 イジメをした子は?

 仮に再発しなくなったとしても、それは単に「割に合わない」からしなくなるだけであって、割に合うなら、あるい見つからないのなら、またすぐに同じ過ち、あるいは同じ罪を犯すんじゃないだろうか?

 オレ自身、子どもの頃に随分とお説教され、怒鳴られ、殴られた。特に父親にはしばしばこっぴどく殴られたっけ。そしてその都度、いつか体が大きくなったら仕返しをしてやろうと、憎しみを溜め続けた。そもそも叱られた原因なんてあっという間に忘れてしまった。

 反省などした事は一度もなかった。本当にただの一度も。

それどころか、そのうちに段々と殴られることに慣れてしまい、「まあどうせ悪さして見つかっても殴られるだけだ」と開き直っていた。

親として、指導者としての自分は?
 かく言う自分も、自分自身が親になったときに、随分と子供を叱りつけた。

 なぜ子供が過ちを犯すのか、原因究明なんてしたこともなかった。厳しく罰すれば、罰せられることを恐れて過ちを犯さなくなるだろう。そんなふうに考えてた。結局、あれほどイヤだった自分の父親と大差なかった。さすがにしょっちゅう殴るようなことはしなかった。でも、息子とホンキで関わったことなんて、一度もなかったように思う。

 子供が14歳の時にキッチリと反抗をしてくれたお陰で、ようやく目が覚めた。怒鳴ったって、叱ったって、反省文書かせたって意味ないんだ。初めて子供の話を真剣に聞き、彼の苦しみの原因はどこなんだろう?って考えた。何故彼は、自分の価値が下がってしまうような、馬鹿げたことを色々とやるんだろう?

 思い当たることは沢山あった。その原因の多くは、彼じゃなくって父親であるオレ自身にあった。息子の葛藤に気付いてあげることなんかなかったし、同じ目線に立ってあげることもなかった。そんな自分を恥じた。反省するべきは息子よりもむしろ俺自身だった。

 それから4年が過ぎて、ちょっとばかりはマシな父親になれたように思う。実は自分がそう思っているだけで、まだまだなのかも知れないけど。


反省なんて意味がない
 今回の参院選で当選したワタミの前会長、渡辺美樹氏が理事長を務める中高一貫校では、不良行為が発覚した生徒に400字詰め原稿用紙100枚の反省文を課しているという(週刊文春より)。学校側はその理由を「二度と同じ過ちを繰り返さないという気持ちになってもらいたい」からだと説明している。そんなことさせて反省なんてするかな?見つかって運が悪かった。みんなだってやっているのに……。今度から見つからないように気をつけよう。そう思わせるのが関の山だろうな。そして高校時代を人生の中の最悪な1ページとして記憶するだろうな。渡辺美樹氏が今後、国会議員という立場でどんな教育政策を推進して行くのか、注意深く見て行く必要があるでしょう。
 
 そんなことを考えさせてくれる一冊、それが「反省させると犯罪者になります」という一冊です。ずっしりと来ました。

 累犯受刑者の更生支援に関わってきた著者、岡本茂樹氏の言葉は重い。子育て真っ最中の親御さん、教育関係者の方々には是非是非強くお勧めしたい一冊です。良書です。

 まだまだ書きたいことが沢山あるけど、長過ぎるので今日はお終い。続きは次回に。


PS: 続きを書きました。『「反省」ってどんなときにするんだろう?』です。




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2013年7月15日月曜日

ホントにね、天上天下唯我独尊なんだよね

 昨今、企業は面接の時に個性的な人材を発掘しようとあの手この手で必死のようです。面接される方もいかに個性的な体験をしたか一生懸命アピール。そんな話を良く聞きます。

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 個性的と言えば忘れられないのが小学校3年生の時に同級だったI君。

 I君はなんとなく馬が合いました。隣の席だったこともあります。

 I君は楳図かずおの大ファンで、「漂流教室」や「まことちゃん」などを全巻揃えており、ノートにはどのページも楳図かずお風の恐ろしい絵が沢山描いてありました。下ネタも大好きで「う○こカレー」とか「ゲ○お好み焼き」などのコンテンツも沢山描かれていました。教科書の挿絵はすべて加筆され、どれも夢に出てきそうなほど怖い挿絵に変わり果てていました。遠足の日にはなぜか「とても怖い心霊写真集」を持ってきていたのをよく憶えています。

 中3の時に再び同じクラスになったのですが、相変わらず恐ろしい絵を描きまくっていて、なんとも言えない感動を憶えてしまったことが今でも忘れられません。

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 アップルに勤めていた時に私の部下だったBさんも相当に個性的でした。

 Bさんは私より20ほども年上で、創業当時から勤めている超古株でした。創業者ウアズ二アック氏の友人。このBさん、些細なことで腹をたて、相手かまわず怒鳴り散らし、細かい事にこだわり、協調性はまるでゼロ。趣味はレゴで、給与の大半をレゴにつぎ込み、家のガレージがレゴだらけでクルマが入らない有様でした。在職中からレゴクラブを設立し、レゴの展示会とかコンベンションをやっています。

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 またアップル時代にご一緒させて頂いたTさん。あまりに自分流のやり方にこだわった挙げ句、会社をヤメさせられてしまいました。なにか曲げられない信念があるらしく絶対に仕事のやり方を変えようとしませんでした。ああ言えばこう言うで説得不可能。絶対に一緒に仕事をしたくない方でした。

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 日本企業が本当に個性的な人を欲しているなんて私には到底思えません。本当に個性的な方々はどの人も使いづらく、凡人には理解し難く、また個性の方向が仕事に役立つとは限らないのです。

 Bさんのレゴへの情熱がアップルの仕事で生かされることはありませんでした。でも彼がいることで、シリコンバレーのレゴ野郎たちは毎年楽しいコンベンションに出席したり、自分の自慢の作品を見せびらかす機会ができたわけです。

 Iくんは漫画家になったか、あるいはただの不気味な中年のおっさんになったのか、その後音信不通なので私には分かりません。でも彼の情熱は不気味な絵を描くことで、断じて勉強などではありませんでした。きっと自分の生きやすい場所を見つけているのではないかと思います。

 Tさんはホームページ開発会社を興したとか聞いています。その後は不明。

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 この3人の個性的な面々に共通しているのは、自分の欲望に正直に従い、自己実現をしている点です。私なんて周囲の期待に応えようと必死で、分かりやすい出世をしましたが、自己実現とは真逆の方向に向かっていました。

 私は在職中、要領が悪くて自分勝手で口が悪くて怠け者という、本当の自分のキャラが自分でもどうしても受け入れられず、世間や両親が受け入れてくれそうな勤勉善良キャラを一生懸命演じていたのです。

 本来の自分から乖離した生き方をするとけっこう息苦しいものです。私の親は多分大満足だったでしょう。でも、私自身はいつも疲れ果てていました。

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 「キャリアポルノは人生の無駄だ」(谷本真由美著)を読んでみたら、このおかしな3人の古い友人のことを思い出しました。そして息苦しかったアップル時代。
 
 自己啓発本なんて読むことないし、凄い人にならなくてもいいし、仕事だけが自己実現の場じゃありません。自己実現はラジコンでもレゴでも不気味な絵でも、自分がやりたいように自分のペースで仕事する、でもいいんじゃないでしょうか?

 仕事で自己実現できる人生なんて、多分稀です。そして人生は一度きり。人の期待値に沿えなくても、変態でもアホでも人付き合いが悪くても、まっさらな自分の姿を受け入れてしまったほうがずっと楽です。

 天上天下唯我独尊。

 自分は自分しか居ないだしね。で、その上で自分なりに生きやすい形を考えていく。多分それが楽でハッピーな生き方です。

PS.献本ありがとうございます。とっても面白かったです!


2013年7月14日日曜日

「和訳」〜それは最悪の英語学習法


 英語ってダイエットや美容と同じく、巷に情報が氾濫している割には何故かあまり成功例を目にしない、実に不思議な代物です。

 英語、美容、ダイエットは永遠にビジネスが成立しそうな感じです。

 自分自身はそれなりに英語習得で苦労しました。しかし、日本で英語教育を受けていない自分の子ども達がサクッと英語を憶えたのを見て、やっぱり日本の英語教育ってなにか根本的な部分で外しているな、とずっと思ってきました。

 ではその「外している部分」ってどこなんでしょう?

 それは「英語を英語のまま憶えない」ところなんです。

英語脳を作る
 私たちは日本語を聞いた時に、それをそのまま日本語で理解しています。日本語を喋る時にも、日本語で考えています。つまり、私たちの頭の中は日本語を瞬時に解析できる回路が出来上がっています。これを仮に「日本語脳」と呼ぶことにしましょう。

 英語を出来るようになりたかったら、同じような英語解析回路を脳内に形成すればいいんです。「英語脳」を作るんです。当たり前ですよね、考えてみれば。

 日本人は子どもの時から日本語で話しかけられ、日本語のテレビを見て育ちます。日本語を日本語のまま憶えていくんです。

 でも私たちが英語を学習するときには、何故かこの回路生成プロセスを踏んでいないんです。

和訳〜それは最悪の英語学習方法
 学校の英語教育で何をやるかというと、単語カードを作って表に英単語、裏に日本語を書いて憶えていきます。そしてテストでそれを確認。

 やることといえば要するに大量の和訳の訓練です。

 そして和訳が正しくできることを何度も何度もテストで確認していきます。

 英語学習のABCのところとから、すでに日本語を介在させてしまうんです。いったいこんなやり方で「英語脳」が育つんでしょうか?

 私たちは英語の勉強をしているんじゃなくて、和訳の方法を勉強しているんです。そしてこの弊害は考えても見ないほど大きなものなのです。

和訳癖の弊害
 海外赴任などでアメリカに駐在なさる方々は、みな日本で少なくとも10年間は英語の勉強をし、有名大学を卒業した方ばかりです。ところが彼らが駐在先に来てみると、現地社員とロクに雑談にさえできないのです。

 日常会話とは早いものです。野球の話から政治の話、社内のゴシップ……。そういう速い会話のテンポに付いて行こうと思ったら、頭の中で英語を日本語に置き換えている暇なんてないんです。

 会議でもダンマリ。付き合いでもダンマリ。日本でずっと成績優秀だった人々がこうなってしまうのは、彼らが普通の人よりもむしろ和訳に長けているからではないかと考えてます。和訳癖があまりにも強く身に付いてしまい、そこから抜け出せないんです。

そもそも英語と日本語では思考の順序が違う
 もっと切実な問題として、英語と日本語では考える順番がまるで逆、という点があります。英語は、英語で思考してこそ喋りやすいんです。英語の文章では普通結論を先に言い、理由は後から説明します。日本語はまるで逆。

 ですが日本ではずっと「That以下を主語の後ろに持ってきて……」などとやり続けるため、折り返し癖などがガッチリと定着します。でもNativeは考えた順番通りに喋っているんです。That以下を先に考えておいて、それを後回しにして喋っているわけではないんです。

 ですから和訳をやり続けていると、英語の思考順序がまったく育ちません。

 言ってみれば日本の学校でやっている英語教育は、英語学習というよりも

和訳道 なんです。

ではどうすればいいのか?
 ではどうやったらいいんでしょうか? 話は簡単。英語は英語のまま憶えればいいんです。

 英単語を憶える時は英英辞典で引いて、英語のまんま憶えればいいんです。遠回りに見えても脳内回路の形成にはこのほうが結局早道です。

 お決まりのフレーズは英語で丸ごと暗記。英語の映画は英語のままで観る。英語の字幕は出しても、日本語字幕は出さない。簡単な内容から、段々難しい内容のものに移行していきます。そうやって沢山聞いて、沢山読んで英語回路を作っていきます。

 私たちはみんなそうやって日本語を覚えてきたんです。

 喋るのはどうするかって?、喋ってみて、間違いを訂正してもらえばいいんです。そうそう、発音やイントネーションはNativeに訂正してもらうのが一番早いです。今はオンライン英会話スクールもある時代です。利用しない手はありません。

量をこなそう
 学校の成績なんて関係ありません。私、高2時の英語の成績、10段階で2でした。ただ英語の本を沢山読んで、暇さえあればFENとか聞いてました。それは相当効いたと思います。Youtube、PodCast、Kindle。なんでも利用しましょう。

 英語は英語のまま扱う。そして沢山量をこなす。それ以外にコツなんてありません。




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2013年7月9日火曜日

長生き時代は工夫がだいじ

 現代の年寄りは元気だ。

 自分の半径3メートルくらいの話で申し訳ないのだけれども、今年78歳になる母親は週3回、毎回1キロプールで泳いでて40代後半のオレより運動している。スポーツクラブも老人が沢山いると言う。去年iPadを買ってあげたら楽勝で使いこなしてホテルや鉄道もネットで予約。あちこち旅行にいそしんでいる。

 義理の母だってもう70歳なのに、どう見てもやっと60くらいにしか見えないし、こちらもまた元気に遊び歩いていて、アメリカに遊びにくると一人でほっつき歩いて美容院を見つけ、髪の毛まで切ってきてしまう。冒険心も十分。

 日本に帰ると、電車の中は若々しい老人でいっぱいなのだ。

オレたちはもっと若い老人になる
 オレは今47歳で、眼はそれなりに老眼だけど、自分の父親が47歳だった時と比べると、客観的に考えても多分そうとう若いと思う。週末も20キロほどハイキングしてきた。定期的にジムに通い、腹筋がうっすらと割れ、学生時代のジーンズがまだそのまますっぽりと履ける。

 これは自分だけのことではなくて、今の中年は太っている人が少ない。女性だって若々しい。自分の両親が40代の半ばだった頃の写真を見ると、現在自分の周りにいる50代の半ばくらいに見える。多分オレたちの世代は親の世代よりも肉体年齢が10歳くらい若いと思う。(えっ、精神年齢も10歳幼いですかそうですかそりゃどうも)

伸びる寿命

これは何を意味するのか?それはさらなる寿命の延長だろう。親の代の寿命は80歳半ばから後半だが、オレたちはけっこう高い確率で100歳ぐらいまで生きてしまうかも知れない。 

 でもねえ……。困った問題は結構ある。例えば新築で家を建てる。木造の建築耐用年数は30年。でも40歳で建てても、70歳の時に耐用年数がきてしまう。その先まだ30年寿命があるってけっこう厄介だよね。

 オマケに定年を延長しようとか、年金の支給年齢を65歳、あるいは70歳に引き上げようかとか。つまり20歳で就職したら50年働かなくちゃならない。50年も働きたいかな? 

 年金のことを差し置いても、仮に100まで生きたら自分の介護するはずの息子や娘が70歳とか普通にあり得るわけで、なかなか難しい問題。それに子どもいない人増えてるから、自分1人ぼっちで100歳とかね。

じゃあどうする?

じゃあどうしたらいいのかな?って考えて自分なりに達した結論が、あまり先のことを考えすぎず、10年単位ぐらいを一区切りにして考えていこうってこと。人間の想像力が働くのってせいぜい10年先ぐらいまでだし、これだけ移り変わりが激しい時代だと10年先ですらどうなるか分かったもんじゃない。長くても10年1サイクルぐらいで人生を見直し、その時々に住みたいところに住み、就きたい職業に付き、新しいことにチャレンジしていけばいいや、って。

 気が付いたら23で就職してから47歳の今までに、会社を4回変わり、引っ越しは9回。24年でこれだから、2年7ヶ月に一度は引っ越しし、6年に一回は転職している計算。

 てなことを考えていたところ、ちょうど読んだのがちきりんさんの「未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる」でした。

 著者も割の俺と似たような経歴で似たような考え方の持ち主(と思う)。ちきりんさんは「まとめる力」が高くて、社会が激変していく中をどうやってワクワク生き抜いていけばいいのか、とっても上手にまとめてありました。

 いまアラフォーで先を悩んでいる人やまだ20代で就職したばかりの人も、是非読んでみるべき一冊って気がします。おすすめです。

2013年7月8日月曜日

「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ、そして本は読んでみよ」

 まだ高校生ぐらいだった頃、大人になったら、満員電車に揺られて会社と家の間を行ったり来たりするだけの、ネズミ色のスーツを着たつまらない大人にはなりたくない、なんて生意気なことを考えていた。

 現実には、ネズミ色のスーツを着て通うような会社に就職するのってけっこう大変。少なくとも当時の自分にはまったく不可能だった。

 それでいて、どんな職業に就いてどんな生活をしたいのか、イメージさえも持っていなかった。自分こそただ制服を着て学校と家の間を往復しているだけの、ごく平凡なつまらない高校生だった。

いつも本が教えてくれた

唯一読書が好きで、学校で学んだことはほとんど何も憶えていないのだけれど、暇さえあれば叱られるほど本ばかり読み耽っていた。そういえば人生の岐路に立った時、いつも読書に没頭して答えを見つけようとしたっけ。

 そんなことを思い出せてくれた一冊。それが先日対談させて頂いた小飼弾さんからご献本頂いた「本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする読自の技術」だった。

 俺は小飼さんを始めとする読書家の人に比べたら別に読書家というほどではないけれども、それでも本の置き場所にかなり困るくらいには読んできた。そして本以外にも、周囲の先輩や大人たちやも随分色々な影響を受けた。

 勝手に個性がないと決めて付けていたネズミ色のスーツのオジさんたちだって、それぞれ豊かな人生を送っていて、自分が世間知らずなだけだったって、色々な人と交わることで、やがて分かってきた。

馬には乗ってみよ、人には添ってみよ

本という媒体を通じてその筆者や登場人物から影響を受けるにせよ、リアルで他人から影響を受けるにせよ、人間という生き物は、他人から有形無形の影響を受けて成り立っている。だらしのない奴らとツルめば自分の中の基準が下がってだらしなくなるし、辛気くさいヤツとつるむと気が滅入るし、面白いヤツとツルめば楽しい思いをできるし、一生懸命生きてるヤツとツルめば自分が引っ張られる。だからそのときどきの自分の成長に応じて、付き合う相手、住む場所を変えて、自分をちょっとずつ、より好ましい方向に持っていく。こういう感覚って多分とっても大切。

 でもどんなヤツが自分の視野を広げてくれたり、新しい楽しみを教えてくれたり、自分を引っ張ってくれるのかなんて、色々なヤツと付き合ってみないと分からない。同様に、色々な作家の、色々なジャンルの本を読んでみないと、自分の中の宇宙が広がっていかない。

「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ」

って言う言葉があるけど、

「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ、そして本は読んでみよ」


と思わせてくれる、なかなかの良書でした。



2013年7月6日土曜日

「いとしのエリー」を録音

これ、去年のクリスマスイブの前日に一度ポストしたんだけど、ちょっとこっ恥ずかしいような気がして落としていました。

ちょっと思うところあって再アップ。

Enjoy!!

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昨日、ウクレレを弾いて遊んでいたら、息子が録音しようと言う。

せっかく機材もセットアップしてくれたしで、断るのもヤボだから弾いてみました。

息子がギターで、オレがウクレレ。練習なしのぶっつけ本番。意表突いてまともに録れました。

曲は「いとしのエリー」。息子よ、付き合ってくれてありがと!







2013年5月28日火曜日

住むには最高の国、日本

久しぶりに日本に帰って感じ入ったこと、それは日本の素晴らしさです。

偉いぞ日本のサービス

時間通りに走ってくる電車。清潔なタクシー。コンビニやファミレスですら丁寧な対応。「マニュアルに沿っているだけだ」と揶揄する人も沢山いますが、外国でファミレスやコンビニに行ってみると、日本の「マニュアルに沿っているだけ」のサービスが、一体どれだけ素晴らしいのか骨身に沁みるものです。

 例えばタクシー。私は帰国途中、サンフランシスコから電車に乗ってサニーベールというところまでやってきて、そこからタクシーに乗って自宅に戻りました。タクシーに乗っていた時間は正味15分程度です。その間、ダニに食われました。

 はい。そうです。ダニですよダニ。首や腕など、肌が露出していたところが何カ所も食われていました。

 数日後にボストンに行き、今朝早くホテルからタクシーに乗って空港に向かいましたが、タクシーの料金メーターは壊れている上にタバコ臭い車内でした。挙げ句の果てに前を走っていたクルマに追突しそうになって急ブレーキ。しかし謝罪の言葉はゼロ。まあダニに食われなかっただけ良しとしましょう。

外国のタクシーに乗ってみよう

日本のタクシーは天国仕様かと思うほどの素晴らしさです。タクシーの運転手さんに暴力を振るう方もいるとかで車内に監視カメラが設置されていましたが、日本のタクシーの運転手に腹が立つような心の狭い人は、是非アジア諸国やアメリカのタクシーに乗ってぼったくられたり、ダニに食われたりしてみて欲しいと思います。

 ゴミだって落ちていないし街ゆく人はこぎれいに着飾っており、見知らぬ人に殴られたり、iPhoneをひったくられたりする心配がありません。また一体どこが不況なのかと思うほどビルの建設などが行われており、夜遅くまでネオンサインが消えない国、それが日本です。

住むには最高の国

日本はおかしなところ、マズいところも確かに沢山あります。

今回一緒に講演をした森山さんがいみじくも

「日本は住むには最高の国、働くには最低の国」

と喝破しましたが、これには同意せざるを得ません。

 働くのがどんなふうに最低なのかはまたの機会に譲りますが、この「住むには最高」の部分、安易に失うべきではないでしょう。ただこの「住むには最高」が多く人の長時間労働やサービス残業によって支えてられているようでは困るわけです。

 日本が考えていくべきところは、どうやったら「働くには最低の国」から脱っし、「働くのも最高の国」にしていけるのかではないでしょうか?

色々と考えさせられる一時帰国でした。



体操着の名前はなんなんだ?〜『日本が世界一「貧しい」国である件について』を読んで

 私は人生の1/3ほどを米国で過ごしてきました。最初に住んだ時には高校から大学卒業までの5年間。すっかりアメリカに染まって日本に帰りました。

 自分でも染まっていた自覚もあったので、ここはコテコテの日本企業に就職して、どっぷりと日本に染まろう、ってなことを考え、日本に帰ると老舗のメーカーに就職しました。

 結果は実に無惨なもので、就職して半年も経たないうちに神経性の胃炎に悩まされるようになったのです。それから我慢に我慢を重ねて勤め続け、就職からやっと3年経つか経たないかで結局会社をヤメてしまいました。

 それから派遣社員を経てアップルに就職。外資は実に働きやすい環境で、「初めから外資系で働けば良かった……。」としみじみ思ったのを昨日のことのように思い出します。

 一体日本企業の何がそんなにイヤだったのか……。そんな部分をエグるように思い出させてくれたのが『日本が世界一「貧しい」国である件について』という一冊です。著者、出版社の方に献本御礼申し上げます。

 この本に書いてある内容、私にとっては別に目新しことは何一つなかったのですが、だからこそ思わず「んだんだ!」と相づちを打ちながらあっという間に読めてしまう1冊でした。

特に日本で遭遇する数々の意味不明な行事や規則……読んでいて日本の中学や高校、そして短いサラリーマン時代を鮮明に思い出しました。私たちが普通に「当たり前」だと思っているルールの中には、実には日本だけにしか存在しない、かなり奇妙なルールや慣習、実に沢山あるのです。


 例えば日本の学校ってなんでも持ち物をに名前を書かされます。体操着には名前を縫い付けるように言われたりして、まるで囚人のように胸にデカデカとクラスと名前を書き込みます。

 まあこれ、先生が便利なの、わからなくもないんです。でも一体なんでしょうね? こんなことしている国、多分あんまりありません。私はアメリカしかわかりませんが、私が行ったアメリカの高校はそもそも体操着さえなく、銘々が勝手なTシャツなどを授業に参加でした。他国の留学生からこんな話は聞いたことがありませんし、「Gym Shirt」でイメージ検索しても名前が縫い付けてある体操着なんて日本の以外は出てきません。

 実は一事が万事この調子なのです。学活もなければ終わりの会もなし。学校に着いたと思ったらすぐ授業です。ノート提出なんていう奇妙な宿題(?)もありませんでした。そもそもノートを取ろうが取るまいが個人の自由です。服装検査とか持ち物検査とか一度もありませんでした。授業の際に座る席さえも決まっておらず、大学のように銘々が好きな場所に座っていました。

 こんな些細なことから雇用の在り方に至るまで、日本は色々なことが決められており、それらのルールに懸命に沿うだけでクタクタに疲れてしまう、実に息苦しい社会だったりします。その辺りを上手に切り出して説明してくれる一冊が、この『日本が世界一「貧しい」国である件について』です。

日常を不条理だと思う方、おすすめです。是非ご一読あれ。






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2013年5月5日日曜日

アメリカと銃〜My First Rifle

 アメリカのケンタッキー州で4月30日に、5歳児が誤ってライフルを発砲し、2歳の妹を撃ち殺してしまうという信じられないような事件が起きました。母親がほんのちょっと眼を離したスキの出来事ということです。

銃の扱いは「ライフスキル」
 このニュースの仰天なところがここからです。まず警察からのコメント。

「目を離したすきに起きたあっという間の出来事。この地域では5歳児が銃を持っているのは珍しくない。親が子どもに銃を譲り与えることがある」

 このライフル、22口径の単発式のもので、少年は5歳の誕生日のプレゼント(!)ととしてこのライフルを貰ったそうです。

 5歳って自転車の乗り方とか読み書きなど、人生を歩んでいくのに必要不可欠なライフスキルを身に付ける時期だと思うのですが、銃の扱い方がそのひとつに位置づけられていることへの驚き。

そうそう、5歳児が買ってもらったライフルのコマーシャルはコチラです。



 銃はどこにでもある
 私はこの事件があったすぐ隣の州に5年ほど住んでいたことがあります。本当にどの家にも銃があります。むしろ銃がない家を探すほうが難しいでしょう。シリコンバレーだって同じこと。中西部の田舎よりは少ないですが、それでも射撃場はいつも混んでいて、銃砲店も賑わっています。

 私が住んでいるシリコンバレーは全米の中でももっと安全なエリアのひとつですが、それでも時々銃犯罪が起きます。スティーブジョブズが亡くなった日には職場で銃を乱射した男が武器を持ったまま逃走。途中で全く無関係のHPの社員が撃たれました。町中の学校やお店がすべて閉鎖となり、異様な雰囲気でした。逃走犯は翌日に射殺。私はたまたまこの犯人を射殺した警察官の表彰式に出席する機会があったのですが、まだ20代の婦人警官でした。優しげな面持ちの金髪の美人警官が逃走した犯人を撃ち殺したことがどうも頭の中でリンクせず、奇妙な感じでした。

 数年前には解雇を逆恨みした男が会社の上司と人事部の人を撃ち殺し、ピストル自殺するという事件もありました。また帰宅時に自宅で泥棒に遭遇し、銃を突きつけられてなにも出来なかった日本人の話も聞いたことがあります。

持つか持たないか?
 日本から比べればずっと多い強盗の件数、あるいは強盗がほぼ100パーセント銃武装している現実を考えると、一丁ぐらい銃があってもいいかな? と思う時がないわけではありません。こうした話をアメリカ人の友人たちと話すと、従軍経験者はほぼ全員口を揃えて「買うなら45口径を買え」と言います。そうすればドアごと強盗を撃ち抜ける、というわけです。そこまでじゃなくても一丁ぐらいは持っていてもいいと考えるのはごく普通の感覚ですし、実際射撃場に行けばカップルや家族連れで来ている人が沢山います。

 私は銃を所有したことも、今後するつもりもありませんが、犯罪者も含めほぼすべての人が銃を所有していること現実を踏まえてみると、銃というものがどんなものなのか知っておくのは悪くないと考え、数年前から時々射撃場に銃を撃ちに行っています。けっこうキチンと的に当てるの、難しいものです。

子供用、女性用
 今回の報道を聞いて、子供向けの銃が販売されていることに衝撃を受けた人も少なからずいるのではないのでしょうか? 子供用の他、女性用と銘を打ったピンク色の銃なども販売されています。



ほら、これなんかかわいいですよ。ハンドバッグにぴったりと収まるサイズです。



感覚的にはスマホのデコカバーとあまり変わらない気がします。ピンクやらラメ入りやら色々。そのうちハローキティとかも出てくるかもしれません。

なぜそこまで銃を持ちたがるのか?
 なぜここまで銃が普及しているのか? その要因は色々あるでしょう。全米ライフル協会の政治力、銃を持つ権利が憲法で保証されているなどなど、すぐに幾つかの理由が頭に浮かびます。

 ですがおそらく根本的な理由。それはアメリカ人がその血に持つ「恐怖心」の裏返しではないかと思います。

 アメリカは建国以来、信じられないほど沢山の戦争をしてきました。建国以来の235年のうち、何と214年は戦争をしている国、それがアメリカという国です。国土そのものもインディアンから取り上げたものですし、その後も戦争を繰り返しては国土を拡張してきました。そうやって建国していったことに対する原罪のようなものに対する恐れ、それが銃の所有という形で現れているような気がします。





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2013年5月4日土曜日

海外移住は総力戦〜「グローバル転職ガイド」を読んで

 海外に移住する人、増え続けています。

 2012年の10月1日の時点で、海外在留邦人の数はなんと1,18万人にも達しています。およそ100人に1人が海外に居住する時代となったのです。118万人というと広島市の117万人とほぼ同等です。広島市の住人が丸ごと全員海外に移ってしまった、と考えてみるとその規模がなんとなくお分かり頂けるかもしれません。

 震災をキッカケに移住を決意した人も多いのではないでしょうか? 2011年から2012年の1年間で移住者が4万人近く増えているのです。では移住先はどこなのでしょか? 一番伸びているのはアジアで、6パーセント以上もの増加です。

少子高齢化や人口減少に伴い、日本市場は縮小する一方ですから、この移住ラッシュも別段不思議ではないでしょう。現在海外移住を考えている人は沢山いるでしょうし、おそらく今後もずっと増え続けるでしょう。

 海外移住と言えばまず「語学力」を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。私自身もそうでしたし、なにはともあれ言葉ができないことにはどうしようもないのは厳然たる事実です。

 でも海外移住ってもっと「総力戦」なんです。持てるチカラをすべて出さないと、海外で己の活路を拓いていくことはできません。仕事、子育て、子どもの教育、老後の準備……。住み慣れた日本でやったって大変なことを海外でやるのですから、総力を出さないとなかなかウマいこと行くはずないのです。

 ですから海外を志すのならば、一度自分のスキルの棚卸してみることを強くお勧めします。敵を知り己を知るものは百戦危うからず、です。己を知らなくては努力するポイントさえ分かりません。自分の売りになるスキルはなんなんだろうか? 新しい環境に対応できるのだろうか? こうした問いかけに真摯に、そして客観的に応えていく必要があります。

 体力、精神力。語学力、技能、環境適応能力。日本食がないとダメな人なのか? 友達を作るのは得意か? 自分の持つ「総力」を棚卸しして、どんなスキルを組み合わせれば、どんなところに移住や転職が可能なのか、あるいはどんなところを強化すればいいのか、段々と見えてくるのではないかと思います。

 具体的なスキルの掛け合わせや移住先を詳しく説明してくれるのが。大石哲之氏と森山たつを氏共著の「普通のサラリーマンのためのグローバル転職ガイド」です。(著者さま、ならびに出版社のみなさま、献本御礼申し上げます)

 この本の良いところ、それは移住先の選択肢を地域別、仕事の種類別、あるいはスキルのレベルに応じて提示してくれる点です。具体的な移住先がまだ決まっていない方は、本書を読んだ上でトコトン情報収集したうえで、実際に行ってみることを強くお勧めします。特に家族持ちの方は家族連れで現地に行ってみることをお勧めします。私も移住の際にはそうしましたし、家族連れで下見して本当に良かったと思っています。

 現在海外移住を漠然と考えている方にはぜひ読んでほしい一冊です。漠然としていたイメージにはっきりとした色彩が付いていくでしょう。現地での生活部分には踏み込んでいませんが、海外転職のイメージはそうとう具体的にハッキリと湧くでしょう。良心的な海外転職ガイドです。お勧めします。


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2013年4月20日土曜日

越えられない「壁」〜ボストン爆破事件に思うこと

 ボストンの爆破事件、26歳の兄と19歳の弟という2名の容疑者が特定され、兄は銃撃戦の末に射殺。弟は現在も逃走中とのことです。

 逃走中の弟が自首でもしない限り、兄弟がどのような動機でこのようなテロ行為に至ったのか、本当のところが明かさせることはないでしょう。その一方で現在漏れ伝わってくる断片的な情報を張り合わせてみると、この2名の若者の心情は分からなくもないな、と感じてしまう自分がいます。

生い立ち
 兄弟は2003年にチェチェニアからの難民としてアメリカに入国。兄のタメルラン・ツァルナエフは当時16歳、そして弟の弟のジョハル・ツァルナエフは9歳です。

 兄のほうはアマチュアボクシングで活躍。3カ国語を話し、ピアノもうまかったそうです。コミュニティカレッジに通い、エンジニアになりたいと考えてたとのこと。ところがアメリカ社会にはとけ込めなかったようで、自身のフェイスブックのページに「アメリカ代表としてオリンピックに出場したい」といったコメントを残す一方「僕にはアメリカ人の友達が一人も居ないし、彼を理解できない」などといった書き込みもあったようです。

 弟はレスリング部のキャプテンをして活躍。大学に進学を果たし、順調にアメリカ生活にとけ込んでいたように見受けられます。インタビューに応じた高校時代の友人によると、弟はレスリング部のキャプテンとして尊敬されていたそうで、英語に訛りもなく肌も白く誰も彼のことを外国人扱いしていなかったそうです。そして今回の犯行にはみんな一様にショックを受けているなどと話しています。

 興味深いのはこの2人の叔父のコメントで、突きつけられたマイクに向ってこの2人のことを「負け犬」(Losers)と呼び、「一族、そしてチェチェン民族の顔に泥を塗った恥だ。」と怒った様子で言い捨てたのです。




 ウチの息子たちは7歳と5歳の時にアメリカにやってきましたが、英語ができるようになるまでは心から当てにできるのはお互い同士だけ、といった感じで、非常に結びつきの強い兄弟に育ちました。
 うちの子に限らず、異国で結束する兄弟の話はよく耳にします。この兄弟もまた同じように非常に固い絆で結ばれ、兄の心情に共感せざるを得ない弟がいたのかもしれません。

越えられない「壁」
 アメリカで生まれ育った生粋の「アメリカ人」とアメリカに帰化していく移民たちとの間ではどうしても埋められない「壁」があるものです。それは育った環境からくる価値観の違いに根ざしており、例え何十年アメリカで過ごしても、その違いを「よそ者」として客観視せざるを得ない自分がいるものです。習慣、宗教、他人との距離の計り方、言葉……。「壁」は幾重にも重なっています。

私も16歳の時にアメリカに来て、大学時代は水泳部でした。チームメイトは全員白人。それなりに仲良くなり、楽しい青春の一時を過ごしましたが、それでもみんなに溶け込もう、話を合わせようと必死だった自分がいました。しかし話が少年時代の出来事や夢中になったテレビ番組、あるいは将来の夢などに及ぶと、どうにも埋めようのない壁を感じたものです。

ある者はその壁を克服しようと必死になり、あるものは「そういうもの」として壁を乗り越えられないことを受け入れて行きます。しかし何年暮らしても「相容れない部分」は残るものですし、心の底からホッとできない苦しさはあるものです。

 この壁の存在は、自分が黄色人種というアメリカではマイノリティになる人種であることにも大きく起因しているのではないかと思っていましたが、今回の事件の報道を目にし、また、これまで職場を共にした白人の移民たちを思い出してみると、白人か否かなどあまり関係なく、すべての移民たちがこの壁で少なからず苦しむのかも知れないと思いました。

 容疑者はイスラム教徒だったようですから、9/11やその後のアメリカの空気なども、彼にとっては大きな越え難い「壁」を形成したのかもしれません。兄は映画「ボラット」が好きだったと報道されていますが、あの映画のオカシさ/面白さというのは移民としてアメリカに住んでみると、その秀逸なバカさに感心させされるものです。この辺りの感覚もこの容疑者に共感してしまう移民たち、少なくないでしょう。




 犯人がやったことは決して許されることではありませんし、この国にいる何百万人という移民は別に爆破事件など起こさずアメリカ社会の一員として平和に暮らしているのであって、この容疑者を特別視する気もありません。

 その一方でこの若者たちが抱えた疎外感を思うと、なんともやるせない気持ちにさせられます。逃げ回って射殺されるのではなく、自首してくれればと思います。彼が自首して犯行に至るまでの心情を吐露してくれれば、例え僅かでも疎外感をもつ若者が減らすような工夫が出来るかもしません。



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2013年4月9日火曜日

「安定なき自由」と「束縛された安定」〜「ノマドと社畜」を読んでみて


今話題の「ノマドと社畜」。共感するところが多い本でした。献本御礼申し上げます。



 この本の言わんとするところを煎じ詰めて言えば、「ノマドって楽じゃないよ」というところです。ノマドも社畜も両方体験した私としては、まあどっちもどっちと言うか、「ラクな世界」なんかどこにもないんだよな。というのが実感ですが。

 この本を読んで私がまず思い出したのが社畜時代の閉塞感。10年も20年後も同じことの繰り返し難じゃないか……という「終わりなき日常」感覚。満員電車、会社の狭い寮、社食や寮のマズい飯、習慣化している残業。連休はゴールデンウィークとお盆とお正月に一斉にあるだけなので、出掛けたくても一番高くて一番混んでいる時しか出掛けられず。

 とはいえ社畜って、ある意味本当に楽です。未来のことをほとんど考えなくていいという楽さ。それと引き換えに「魂の自由」を差し出さなければなりませんが、他の人と同じように振る舞うのが別段苦でない方には、こんなにラクな環境はないかもしれません。ある種「悟って」しまえばけっこう素敵な環境です。仕事だって意外なくらい面白い部分もあったり。私はノートパソコンの開発をしていましたが、これはこれで非常に面白い仕事でした。

 でも私は「魂の自由」とやらが得たくて飛び出してしまいました。そして閉塞感の代わりに不安感を得ました。まずは派遣社員。「終わりなき日常」は確かになくなったけれど、今度は「契約が終ってしまうかもしれない不安感」とのお付き合い。3ヶ月ごとに契約が更新されるかとヤキモキ。世の中は不況まっただ中。社畜時代よりも金回りは良かったけれど、「このままだと先はないな」と実感できたのが大きな収穫でした。

 その後は「外資系正社員」→「シリコンバレーの現地採用社員」→「脱サラ」と就労形態を変えるいくのだけれど、変える度に「魂の自由」が増え、「未来の安定」が損なわれ、そして自分のアタマで考えてどうにかして行かなければならないことがドンドンと増えていきました。自分にとってはそれはとっても心地よいことだったけれど、社畜生活がシックリ来る人には堪え難い生活かもしれません。
 
 そして自営へ。今までの就労形態でもっとも自由度が高いけれども、要するに個人商店でから何から何まで自分で考えて自分でしなければならない。日銭をキチンと稼ぐことやお客さんと面と面で向き合うこと、信頼関係を築くことの大切さ。今までは会社任せだったモロモロの手続き。人を雇う難しさ。明日が分からない生活。「いつ終るかも知れない日常」はけっこうスリル満点です。

 さて前置きが長くなりました。「ノマドと社畜」のなかで一番共感したのは、

一方ノマドは、実質「一人親方」の屋台ですから、すべての経費は自己負担です。事務処理はすべて自分でこなさねばならず、屋台状態ですから営業できなくなればその日から有給休暇も病欠もありません。また、雇われているわけではありませんので、「労働者」としての権利はありません。仕事の成果も収益もすべて自己責任です。文句をいう相手はいないのです。

という一節です。

「ノマド」なんていうと聞こえがいいけれど、要するにノマドって自分商店であることをキチンと理解させてくれる一冊です。屋台を引くのと同じです。そういう覚悟がなければノマドなんてやらない方が幸せです。でもその覚悟があるなら充実した働き方でもあります。

 「ノマド」と「社畜」って「安定なき自由」と「束縛された安定」のどちらを取るのか? というそういう選択です。いい悪いじゃなくて、どちらが自分に向いているのかというお話。

是非ご一読を。おすすめの一冊です。



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2013年4月7日日曜日

「ノマド化する時代」〜そうそう、否が応でもノマドになってしまいます


この本、とっても面白かったです。


 拙書「企業が「帝国化」する (アスキー新書)」とも被るところが多く、読みながら「んだんだ!その通り!」と共感して頷いてしまうところがとっても多い本でした。

 著者はこれから世界は「グローバル企業・個人が主役になる新しい中世」になると謳っています。実は私も自分の本を書く時にまったく同じことを書いたのです。でもどうもうまくまとまらなくて結局この一節は削ってしまいましたが。要するにこれからの時代は「領主と農奴」みたいな感じで、「グローバル企業とノマド民」みたいになっていくんじゃないかな、って思っています。

 なぜそうなってしまうかと言うと、要するにITの発達です。同じ町内の人に仕事を発注するのも、遠い外国にいる人に発注するのも、いまやメールと電話で仕事が片付きますし、クラウドサービスを利用すれば本当にどこからでも仕事ができます。私の本も執筆は米国、編集はマレーシア、そして出版は日本で、それぞれの担当の方にあったことさえありませんでした(その時の感想はコチラ)。好むと好まざるとに関わらず、これからはそういう時代です。

 ネットやコンピュータの発達は個人のチカラを倍増してくれます。ネットでチカラを得た民衆はチェニジアとエジプトで革命をやってしまいました。東日本大震災の時にもツイッターやらフェイスブックが大活躍です。

 しかしITでチカラを得たのは個人だけじゃありません。企業もまたネットで機動性が非常に高まったのです。そして仕事はドンドンと海外へ出て行ってしまうのです。製造は人件費の安いところへ。特許や資産管理やオンライン決済は法人税が安いところへ。開発は才能が集まる土地へ。そうやって世界中に仕事が散らばってしまうのです。

 今後はもっと細かくなって、企業にとって都合のよい個人個人へと仕事が散って行くでしょう。そしてその行く先は労働者の全ノマド化です。シリコンバレーの企業なんてどこも年俸制ですし、感覚的にはサラリーマンというよりも野球選手みたいな感じです。年間離職率は14パーセントほど。同じ企業に10年いる人なんてほとんどいません。みんなすでに個人商店感覚なんです。またドバイでビルの建築に携わる労働者たち。ドバイ出身の人などはおらず、みんな近隣の国々からの出稼ぎです。これも一種のノマドでしょう。折しも日本でも解雇規制の緩和が論議され始めました。

 この本はそういう時代に先駆けて、実際にすでに個人商店化して働いている方や、国外に出ていって仕事をしてる方のインタビューなどもふんだんに載せてあり、単に時代を占う書物ではなく、どうやって生きていくのかの処方箋がしっかりと描かれた一冊です。読んでみるべし。おすすめです。



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2013年4月6日土曜日

アップルにみる「アート、ロジック、マーケット」

ちきりんさんの「研究者・勝負師・芸術家」というエントリーが面白い。

この3つの要素、本当に大事です。

このことは日頃から非常に重要だと思っていたのだけれども、なかなかこんなふうにまとめられないものです。ちきりんさんの「まとめるチカラ」は本当にスゴいな、と感心しました。


 アップルも本当にこういう感じで経営していて、そのバランスの良さが他企業を大きく凌いだ最大の要因じゃないかと思っています。これはあくまで私なりの「研究者・勝負師・芸術家」の解釈なので、ちきりんさんの意図とはちょっと違うかも知れないけれども、この3つの要素をアップルに当てはめて考え見ました。

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まずは「芸術家」あるいは「アート」。

 「企業が「帝国化」する (アスキー新書)」の中でも書いたけれど、これは非常に重要なポイントです。この「アート」的な感性がないと、顧客の魂を揺さぶるような製品やサービスはなかなか生み出せません。

 売れるとか売れないとかマーケットシェアとか採算とかそういう一切合切を一度蚊帳の外に放り出して、製品のあるべき姿を突き詰めて考えてみる。アップルは完全にオリジナルの製品は少ないけれど、他社が生煮えのまま世の中に出して失敗してしまったコンセプトを、きっちりと煮詰め直して世の中に出すこと、本当に得意です。スマホもタブレットもMP3プレーヤーもミュージックストアもみんなそうです。病的なまでの細部までのこだわり。なんでもかんでもスィーブの手柄にされてしまうけれど、アップルのデザイナーたちって本当にこだわるアーティストの集団です。

 なおこれは製品デザインだけの話ではありません。例えばアップルストアに行くと、すべての店員が端末を持っていて、レジに並ばなくてもその場で会計してくれる。そして領収書はメールアドレスへ。レジに並ぶ煩わしさを解消してしまうイノベーション。実現できる/できないといったことは一度外して、何が「あるべき姿」なのかを考えると、こういう解がでてきます。


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「研究者」、あるいは「ロジック」というのは、要するに「理詰めで考えて実行する」だと思います。

 アップルって言うとすぐにイノベーションガ〜〜という話になってしまうんだけれども、アップルのスゴいところってイノベーションなんかではなくて、むしろこの実行力の部分です。

 トヨタのカンバン方式も真っ青なほどの理詰め。そして愚直なまでにそれを実行するチカラ。アップルを語る上で絶対に外せない要素だと思っています。iPhoneひとつにおよそ500点の部品が必要です。それを156社にものぼるベンダーから購入。iPhoneだけでも3ヶ月に必要なパーツの数は150億以上です。なのに全世界の販売店でのiPhoneの流通在庫はホンの数日分のみしかありません。とことんまで突き詰めないと、こんなオペレーションはなかなか成立しません。

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そして「勝負師」。あるいは「マーケット」という要素。

 どんなにすぐれたイノベーションだって、売れてこそナンボです。どんなにいいものを作っても、利益を生まないのでは趣味の工作と一緒です。イノベーションで見えて来た形を、マーケットに対して訴求力のある、売れる製品として具現化する必要があります。

 しかしモノやサービスを世の中に問うということは博打です。特にそれまで他社が成功したことがない製品や、世の中に存在しない製品を売り出す場合には尚更です。新製品が発表されると、エンジニアまでもが実際にアップルストアに行って行列を自分の目で確認し、夜通しオンラインフォーラムを読みふけって世の中の反響をチェック。セールスでもマーケティングでもない社員をここまで駆り立てさせてくれるアップルという組織。働きがいのある会社でした。(ただし異常に消耗します)

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 この「アート、ロジック、マーケット」という感覚は大企業のみならず、スポーツ選手やミュージッシャン、あるいは自営業者などにもそのまま当てはまる重要な3要素だと思います。文化祭の出し物にさえ当てはまると思う。どこかの企業の株などを買う際にも、こういう観点で考えてみるとまた面白いかもしれません。



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2013年3月18日月曜日

ベストセラーTOP10!

昨日Market Watchというサイトにベストセラートップ10(The Best-Selling Products of All Time)と題した記事が載っており、なかなか面白かったのでご紹介します。史上最も売れた製品を1位から10位まで紹介されています。なぜか順位と販売台数がマッチしていなかったりするのが謎ですが、元記事の通りなので悪しからず。またこのランキング、シリーズ化された商品の累計販売台数を考慮するとあるので、単体で相当数売れてもランクインしない製品もあるようです。なお真面目に翻訳さえしていません。同じなのは順位と数字と販売台数ぐらいで、あとは私の勝手な感想です。それではどうぞ。

1.ルービックキューブ
ルービックキューブ、3億5000万台も売れたそうです。ホントに売れました。1980年に発売となり爆発的に流行。私の友達でルービックキューブのやり過ぎで腱鞘炎になったヤツがいたほどです。当時の世界人口のおよそ5人に1人がルービックキューブで遊んだことがあると、製造元の会社は見積もっているそうです。私もひとつ持っていました。

2. iPhone
言わずと知れたiPhone。2007年の発売以来2億5000万台を販売。ルービックキューブとの値段の差を考えたら、驚異的としかいいようがない販売台数です。もちろん史上最も売れたスマートフォンです。

3.ハリーポッターシリーズの本。
4億5000万冊も売れたそうです。史上最も売れた本です。映画化もされました。うちの子の友達たちもみ〜んなみんな読んでいました……が、うちの子は読みませんでした。私も読んでいません。

4.マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」
1億1千万枚売れたそうです。スゴ過ぎる……。そういえば私も持っていました。みんなムーンウォークしてました。懐かしいです。

5.任天堂「マリオ」シリーズ
ゲームのマリオです。シリーズ累計で2億6200万コピーも売れたそうです。1981年にドンキーコングのシリーズに登場。それ以来31ものゲームタイトルがリリースされました。スマホやタブレット阪もあるようです。

6.iPad
iPhoneに続きiPadもランクイン。6700万台だそうです。さすがアップル、強いっす。

7.映画「スターウォーズ」
スターウォーズはシリーズ類型で454億ドル売り上げたそうです。なんか単位が国家予算並みでよくわかりません。

8.トヨタカローラ
おお、日本車がランクインです。累計3900万台売れたそうです。クルマの値段はスマホや映画のチケットの比ではありません。トヨタ、恐るべしです。

9.Lipitor(スタチン)
これ、高コルステロールの薬です……。1250億ドル売り上げたそうです。数字が多過ぎてよくわかりません。っていうか、これを1位にするべきなのでは?しっかし製薬会社って儲ってるんだなあ……という感想しか思いつきません。

10.プレイステーション
3億台以上を出荷とあります。スゴい!私も2と3を一台ずつ持っています。

と、ここまで書いてみて、ウォークマンはどうなんだ?とかiPodは?とかいろいろ突っ込みを入れたくなったのですが、まあそれは置いておきましょう。

こういうリストにね、日本企業の製品が3つもランクインしているというのは嬉しいものですし、これが過去の栄光とならないよう、今後も日の丸企業には是非頑張って頂きたいものです。



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2013年3月9日土曜日

スマホをカーナビ代わりにしてみた

先日クルマにiPhoneを固定するためのホルダーを買いました。こんなのです。
なんとクルマのCDスロットに差し込んで固定する仕組みになっています。

こんな感じでCDスロットに刺さります。

Iphoneを挟んだ状態。地図を表示してみます。

横向きに回転させてみます。


さて本題はここから。
早速iPhoneをカーナビ代わりに運転してみました。 アップルのMapアプリとGoogle Mapの両方を試してみましたが、両方ともよく出来ています。

日本語による音声案内はGoogle Mapの方が格段に優れています。非常に滑らかな日本語で、日本のデパートの館内放送や電車やバスの社内案内を想起させるほどでした。一方アップルのMapは何を言っているのか分からないことも多く、もう少し工夫できないのかって感じでした。またGoogle Mapのほうは目的地到着時にストリートビューを表示するため、目的の建物を容易に判別することができます。ホントに至れり尽くせり。 

感心した点は、音楽を聴きながら運転していると、音声案内の時に自動的に音楽のボリュームが絞られる点です。当たり前と言ってしまえばその通りなのですが、痒いところに手が届いています。

シリコンバレーのように平らなところではGPSの電波もよく入るため、車載式の本格的なカーナビでなくても、こんなので十分です。またGoogle MapもアップルのMapも渋滞情報が表示されますから、なかなかどうして使えます。画面が小さいのが唯一の弱点ですが、それもスマホではなくタブレットを使えば一発で解消します。タブレットでなくても、最近のアンドロイド端末は画面が大きいですから、そういった端末ならおそらく充分でしょう。地図のアップデートが不要な点や、ネットの検索が出来る点、またYelp!などでレストランの評価が簡単に見れることや、目的地のお店などにワンタッチで電話をかけられる点など考えても、従来のカーナビに対してスマホのほうに軍配が上がるように思いました。

もしスマホに差せる車速センサーなどがあれば、カーナビは完全に無用の長物になってしまう……、というのが私の実感でした。私が現在住んでいるところように、GPSの電波が入りにくいところでなければ現状のママでも十分です。

そんなわけで、現状の車載カーナビはよほど劇的な進化を遂げない限り、さらなる普及が見込めないどころか、段々と要らなくなって来てしまうのではないか……と思わせてくれる体験でした。

スマホを持つようになって以来コンデジもすっかり使わなくなってしまいましたが、どうやらカーナビも「使わない製品」の仲間入りしそうです。

スマホに光学ズームが付いたらコンデジはスマホに駆逐されるでしょうし、スマホが何らかの方法で車速が計れるようになれば、カーナビも駆逐されて行くでしょう。

日の丸メーカーたちには是非、スマホに負けないくらい。コンデジやカーナビなどの飛躍的な進歩を望みたいところです。

追記:
この記事、もう4年も前に書いたものでした。で、予想通りにコンデジもカーナビも駆逐されています。あーやれやれ。

そうそう、ここで紹介してるスマホのホルダー、今では日本でも売っているようです。


これ、4年後の今でも普通に毎日使っています。オススメします。

関連記事:スマホを車載するためのホルダーを2点紹介

2013年2月19日火曜日

企業が「帝国化」する

最近、『企業が「帝国化」する』というタイトルの本を出版しました。

いわゆる「グローバル企業」らは急速に帝国化しつつあります。

かつてはマイクロソフトが帝国になぞらえられ、最近ではアップルやグーグル、あるいは石油最大大手のエクソンモービルなどがしばしば「帝国」と揶揄されます。

彼らがどんなあこぎな商売をしているのかは本書を読んで頂くとしましょう。概略を知りたい方はこの書評(琥珀色の戯言/【読書感想】企業が「帝国化」する)を読んで頂けるといいかもしれません。

とにかく唖然とするほど商売に徹しており、なんというかあまりの思い切りの良さに清々しささえも漂うほどです。

例えば最近、英フィナンシャル・タイムズに掲載された"Amazon unpacked"(アマゾン、梱包を解く)という記事が話題になっています。

アマゾンの物流センターでは人間がまるでロボットのように低賃金で使われている、というお話です。

作業員たちの手にはリアルタイムで生産性を図るためのセンサーが着けてあるという記述があります。要するにサボっているとすぐにバレるような仕組みが電子的に構築されていることのようです。

忙しい日にはフットボール競技場ほど大きさの倉庫内を1日24キロ(!!)も歩く、とあります。人間の歩く速度は時速4キロ程度と言われていますから、1日6時間歩いていることになります。

倉庫内の様子もなかなかインパクトがあります。


この中を行ったり来たり6時間歩くわけですね。具体的なイメージが湧いてきます。

しかしこんなのは序の口です。

アップル製品を製造しているフォックスコンでは月80時間余りの残業がしばしば発生し、賃金が払わわれないことがあることなどが発覚して問題視されました。

これを読んで「月80時間なんてたいしたことないよ。オレだってもっとやっているし、そんな企業、日本にだって沢山ある」という反応も頂きました。私も最初はそう思ったんです。

ですが大きな勘違いがあります。フォックスコンの労働者はデフォで週6日、1日12時間労働なんです。つまり残業ゼロの状態ですら日本人の定時の労働よりも月〜金で20時間、そして土曜日に12時間の合計週32時間働いています。4週でなんと128時間。これにプラスして残業が80時間です。つまり日本人の基準に直すと月208時間の残業と同じ労働時間です。

しかも時給2ドル。12人部屋の寮にベット一つだけあてがわれて、これをこなすんです。

で、どうする?
アップルやアマゾンなどといった「私設帝国」たちはどこもこういった搾取の上に成立しています。食品産業もエネルギー産業も、産業という産業が同じことです。

では、こんな時代をいったいどんなふうに生きていけばいいんだろう? と模索する過程で書き上げたのが今回の一冊です。

最初は現実の救いのなさに暗澹として

貴様はもう死んでいる

というタイトルの最終章を設けて、ひたすら残酷な現実をこれでもか!と書き続けようかと思ったくらいです。

でもそれじゃああんまりだと思ってもう少し希望のあるメッセージを書いてみました。

小飼弾氏はこれを「ジェダイになるしかない」というふうに読み取ったようであり、半導体開発の第一人者で現在中央大学で教鞭をとっておられる竹内健氏は「当たり前のこと」と受け取ったようです。

私は両氏のそれぞれの解釈をご拝読させて頂き、それぞれに「その通りだ !」と感じました。両氏とも鋭い切り口で読み解いてくださり、感謝の限りです。



この最終章はあと数年で大人になる私の息子たち、そして彼らの世代へのメッセージでもあります。

帝国で働くもよし。そこから外れて生きる道を模索するも良し。

あるいは倉庫で1日24キロは歩くのも良かろう。

帝国なんて打ち壊してやる、というのもまたひとつの在り方だと思う。

選択肢は君たち自身の手にある。

いずれにせよ仲良しこよしで生きて行ける時代はそろそろ終りつつあるみたいだ。

自分の頭で考え、自分で切り拓いてゆけ。

それが君たちへのメッセージ。

Good Luck!!



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2013年2月11日月曜日

アップルが失いつつあるもの

最近「アップルはイノベーションをもう引き起こせないのでは?」などといったような論調の記事を沢山目にします。

もうジョブズがいないからイノベーションは引き起こせない、などなど。

でもアップルってそもそもそんなにイノベーティブな会社でしたっけ?

私にはそうは思えません。

GUIがゼロックスのパクリだったことはよく知られています。

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MP3プレーヤのようなメモリに音楽を保存する装置を最初に考案したのはKane Kramerという発明家で、なんと1979年に考案しているんです。

アップル以前にMP3プレーヤを製品化した会社は沢山あります。1998年頃には少なからぬ商品がすでに出回っていました。

iPodの登場はさらに3年後の2001年です。明らかに後発です。

ちなみにKane Kramerが考案したのはこんなヤツでした。


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じゃあスマートフォンは?

スマートフォンだってね、2001年にはPalmのOSを搭載したKyocera 6035がすでに商品化されていました。

そのあとにだってソニーのクリエとか、かなり優れた製品が少なからずありました。でもなぜかいまひとつ盛り上がらず2005年頃には生産終了。

iPhoneが万を喫して登場したのは2007年でした。

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じゃあタブレットは?

ネットが見れるタブレットって、2005年にはNokia 770 Internet Tabletなんていう商品が売られていたんです。

iPadが発売されたのはそれから4年も経った後の2009年。

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こうした事例を見て考えてみるべきなのは、何故アップルが成功したのかではなく、なぜソニーをはじめとする日本企業がMP3やスマートフォンで市場創出に失敗し、アップルの後塵を拝し続けたなのかではないでしょうか?

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アップルはむしろ、ジョブズ復帰以前のほうがずっとイノベーティブだったようにすら思います。

QuickDraw, QuickTime, ColorSync, QuickTime VRなどのさまざまなテクノロジーが生み出されました。デジカメなんてロクに存在しない時代に、コンピュータを母艦としたデジカメ、QuickTake 100 なんていう製品を生み出したりもしました。

それからニュートン。ハンドヘルドデバイスの先駆けでした。

ただこの時代をアップル、何を作っても作りっぱなしで、どの製品もバグだらけの糞みたいな製品ばかりでした。

当時のアップルは何のポリシーもなく、まるで文化祭の出し物のように適当に面白そうな製品を作っていました。中で働いていると面白いところではありましたが、会社がこんなことでいいのかと言う素朴な疑問を抱いてしまうような素敵すぎる会社だったんです。

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アップルを現在のアップルに押仕上げたのはイノベーションよりもむしろ、その徹底した任務遂行能力です。

イノベーションがなくなった云々よりも、地図問題に見られるようなかつてのアップルを彷彿とさせるような詰めの甘さや、ジョブズ時代にはなかった情報の漏れ具合のほうがよほど気になります。

ジョブズの死後失われたものはイノベーションなんかではなく、ジョブズの存在そのものがもたらしていた「畏怖」と言っていいほどの独特の緊張感だったのではないかと思います。

アップルが今後も成功して行けるかどうかは、ジョブズ時代の緊張感を維持できるかどうかにかかっているような気がします。



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2013年1月28日月曜日

若者に何を伝えたいのか?

「若者の特権」ってなんでしょうか?

それは「時間が沢山ある」ことです。

時間が沢山あるっていることは、やり直しがきくっていうことです。

まだ生きてきた時間も少なくって経験値も低くから、色々とヘマしてしまいます。でも少々ヘマしたって、「まだ若者だからね」って大目に見てもらえること。

何度もやり直しのチャンスがあること。

何度も失敗とやり直しを繰り返してこそ、人と交わることの大切さ、チャレンジ精神、独自のアイデアや自分らしさの発見など、若いうちに学ぶべきことが学べるのではないかと思うんです。

子の心親知らず

「親の心子知らず」などといいますが、「子の心親知らず」もまた真なりです。

自分が親になってみると、つい自分と同じような過ちを犯して欲しくなくって、つまらない口出しを色々としてしまいます。そうすることで学習の機会を奪っているというのに。

でも安全に失敗できること、そして失敗から回復する時間があることこそが若者の特権なんですから、大人が、ましては親がそれを奪ってはいけないと思うんです。

自分の子どもが連れてくる友達、異性……、彼らが始める行動。そういったすべてに何か一言言いたくなるものです。でもさまざまな人間と触れ合ってこそ、そこに成長があるわけです。仮に合わない友達とつるんだとしても、それ自体が学習です。

それに自分の子供の選んだ友人や異性を拒絶したり批判/批評するということは、自分の子供を拒絶し、批判/批評していることと同じです。それはすなわち自分の子育てそのものを否定しているのと同じことでしょう。

子供がトラブルに遭遇すると、解決してあげたくなってしまうものです。でも自分が思春期だった頃を思い出すと、別に親からの解決策なんて求めていなかったように思うんです。強いて言えば、気持ちを分かって欲しかった、そっとしておいて欲しかった。そんなふうに思います。

過去のことは忘れてしまう

しかし自分が親になると、そんな簡単なことすら忘れてしまうものです。

そしてつまらないことに口を出し、子は親に不信感を抱き、親子の断絶が始まります。

しかしこうした断絶や葛藤も、「家族の成長物語」と呼べるのかもしれません。多くの家庭で、親のほうも弊害に気付き、ドキドキしながらも子供に口を出すのを減らして行くのではないかと思います。やがて子は成人し、時とともに親の気持ちを知り、代わりに若者の気持ちを少しずつ忘れていくのではないでしょうか。

失敗を許さない学校

学校という場所は、そんな親たちよりもずっと失敗に非寛容だったりします。失敗どころか、決められたレールを少したりとも外れることを許してくれません。親のほうでもっと失敗に寛容に接しようと思っても、学校という社会がそれを許してくれないようなところがあります。

制服、髪型、夏休みの過ごし方……。ありとあらゆることに口出しし、従順な子はロクになんの失敗も経験せずに大人になってしまうのではないのでしょうか?そしてちょっと枠からはみ出した子はとても息苦しい。そんな学校はとっても多いのではないかと思います。

何を伝えたいのか?

ここで例の体育科のある大阪の高校の話です。問題となっている先生は、生徒を叩くことで一体何を伝えようとしていたのでしょうか? 怠けていると信頼を失う。結果が出ない。そんなことは放っておいても学べることです。

叩かないとうまく伝えられないことって何なんでしょうか?

- 自分より力や権力があるものには逆らうな。

- 権力者の顔色に敏感になれ。

- 失敗は極力避けろ。

- 責任のある立場は避けろ。

- 独自の発想なんていらない。

- 目立つことを避けろ。注目されたっていいことない。

こんなところでしょうか?「若者の特権」や「若いうちに学ぶべきこと」と真逆のことばかりだと感じるのは、私だけではないでしょう。

えっ、想像でもの言うなって?

そうでもないんです。私自身も体育科のある高校を卒業しました。大半の先生はいい先生たちでしたが、よく殴る体育教師が何名かいました。そして教育実習生を殴って新聞に載った勇敢な(?)先生もいました。ですので25年ほどたった今も、あまり変わっていない高校があることに驚きを禁じ得ませんでした。

そうそう、暴力教師を通じてひとつだけ大事なことを学びました。


世の中って最低な大人がいるんだな、ってことです。


実に貴重な学びでした。



2013年1月22日火曜日

暇つぶしの時代

先日「僕たちの娯楽社会」というエントリーを書いていてしみじみ思ったことがあります。

それは、生存のために働く時代はそろそろ終りつつあり、「暇つぶし」のために働く時代がやってきた、ということです。

暇つぶし社会
実際問題、飢えないために働く時代は、もう何十年も前に終っているのです。

日本の就労人口はすでに人口の半分を切っています。老人や子供を含むとはいえ、人口の半分以上はまったく働いていないのです。

増え続けるニートたち。こういった人達も働いていません。フルタイムでは働いていないアルバイトの人達も膨大な数です。

だからと言って別段これらの人が飢え死にしているわけではありません。これは日本だけというわけでもなく、先進国に共通する現象です。

先進国に住む10億人程度の人に限って言えば、別段一生懸命に働かなくとも、飢えることのない時代がやってきたのです。仕事をしたくたってロボットや後進国の人が代わりに働いてしまうので、働きたくても、そもそも働く機会がありません。

前エントリーでお話した「娯楽社会」というのは、要するに「暇つぶし社会」と言えなくもありません。「一億総高等遊民」の時代が来たと言ってもいいでしょう。高等遊民って明治や大正のころにいた、高等教育を受けたのに働きもせずブラブラしていた人達です。21世紀を生きる私たちはみんな高等遊民で、一生をかけて壮大な暇つぶしをやらなければならないのです。

仕事って実は暇つぶしじゃないのか?
人生は壮大な暇つぶしである、というのは多くの人があまり認めたがらない真実なんじゃないかと思います。忙しくて疲れ切った顔をしている人も、他でもない自分でそういう仕事を選んだわけです。

また、ヒマになるのが怖い人も沢山いるでしょう。何をしてもよい時間というのは、自分で時間の潰し方を考えなければならない時間です。こうした時間を苦しく感じる人、けっこういそうな気がします。

よく定年退職を迎えると、突然やることがなくて、奥さんの後を付いて歩く男の人の話なんて耳にします。「お前どこ行くの?」なんていってウロウロ。要するにヒマであることに耐えられないわけです。自分の暇つぶしぐらい、自分でできるようになっておいたほうがいいのではないのでしょうか?

また多くの忙しそうにしている人も、実はヒマそうにしていると世間体が悪いから忙しそうにしているという人、少なくないでしょう。

あるいはヒマそうにしているとなんだか後ろめたい。そんなわけで定時に帰ればいいのに、就業時間中はダラダラして、定時後になると急がしそうにしている人、周囲にいるのではないのでしょうか?

家でヒマそうにしていると家事を手伝わなきゃならないし、子供の勉強を見たり、家族と対話したり。多くのお父さんが苦手なことが満載です。仕事に逃げて忙しそうにしていると、そういう雑事から解放されます。

ヒマの何が悪いのか?
別にヒマを持てましていたって誰かに迷惑をかけているわけではありません。

しかし一体ヒマの何が悪いでしょうか?

ツイッターやブログを読んだり書いたりできるのも、要するに暇の成せる業です。ゲームもテレビも同様です。子供の宿題を見てやったり、一家団欒をしたり。外食に行ったり、同僚と飲みに行ったり。ショッピングに美容、スポーツ、観光……。こうしたモロモロのことはヒマじゃないとできません。

ヒマなのって気持ちいいです。

またヒマを上手に使って世紀の大発明や大発見をしたり、素晴らしい芸術を生み出す人もいるわけです。 ヒマというのは、実に贅沢な時間なのではないでしょうか? 最後にスチャダラパー の「ヒマの過ごし方」をどうぞ。とっても考えさせられる歌です。





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2013年1月17日木曜日

僕たちの娯楽社会

ロボットが仕事を奪う社会になりつつあります。

例えば中間層の没落は、海外に仕事が出て行ってしまっただけで起きているわけではありません。

2007年のリーマンショック以降、どの企業でも凄まじい合理化が進みました。社内でのIT活用が劇的に進み、簡単なレポートなどや数字の取りまとめなどは、みんな管理システムが自動生成できるようになってしまったのです。

するとそういう仕事をやっていた人、みんなお払い箱です。

自動化はさらに進んでいく
Google が実験していた自立走行車、事故があったのは人間が運転していた時だけ、というウソのようなホントの話があります。おそらく今後10年ほどの間に、トラックなどの商用運転が大幅に自動化されるでしょう。そしてトラックの運転手たちはお払い箱になってしまうのです。

なくなる仕事はトラックの運転だけではありません。アマゾンは650億円を投入して倉庫管理を自動化するようです。そしてこれがその自動化に使われるロボットです。



こんなものが導入されれば、人間がほとんど要りません。それどころか空調や照明さえもほとんどいらないのでしょう。

アマゾンで荷物運びをしている人達、時給12ドル程度の低賃金と言われていますが、そのような仕事もロボットに奪われてしまうのです。

iPhoneの製造で有名なフォックスコンも組み立てロボットの導入を表明しています。こうした技術も10年もすれば成熟し、大半の人間を置き換えてしまうでしょう。これら工員の時給は2ドルにさえ満たないのに。

頭脳労働はどうなる?
では頭脳労働はどうなるのでしょうか?

現在、新聞や雑誌の記事を自動生成して配信するシステムなどが登場しつつあり、新聞記者を大量にお払い箱にしそうな予感なのです。

またIBMが開発した質疑応答システム「ワトソン」はクイズ番組の決勝大会に出場して優勝してしまいました。こうしたシステムが安価になり、我々の仕事を奪っていくのは時間の問題でしょう。コールセンター業務などもやがてこの「ワトソン」と、Siriのような音声解析システムを組み合わせた技術によって置き換えられていくでしょう。

人間はロボットたちの電池になるのか?
昔「マトリックス」という映画がありました。その映画の中で、人間はみんなカプセルの中で眠り、仮想現実の世界で白昼夢を見続けるのです。そして眠る人間たちは世界を司るロボットたちのエネルギー源として生かされている、というようなお話です。

人間から仕事が奪われてしまうと、困ったこと事が起きてきます。みんな収入がなくなってしまうのです。するとせっかくロボットが製品を作ってくれても、買えないんです。

だから人間たちはどうにかして、自分たちの生活を営むため、そしてロボットが働く企業がさらに儲るよう、なんらかの手段でカネを稼ぎ、さまざまな製品を購入し続けていくでしょう。

私たちが「購入する」ボタンをクリックする度に、どこかでロボットが作った製品が、ロボットによって搬送され、手元に運ばれてくるようになるでしょう。 なんだか本末転倒な感じもしますが、おそらく世の中はそんなふうになっていくでしょう。

人間は何をして金を稼ぐか?
では人間は何をやってカネを得るのか?というところが次の疑問です。

これまで通り衣食住に密接に関連する飲食店や医療、土木建築など、あまりロボット化されずに続いてゆく仕事も沢山あるでしょう。

でもそれらの仕事には沢山の人が参入し、賃金は下がるばかりとなるでしょう。資格で守られている医療系はまだしもですが、それ以外は本当に大変になるでしょう。いや、すでにとっても大変になっているのかもしれません。

では人間は何をやるんでしょうか?

娯楽社会が来る
私が思うに、人間がサバイバルのために働く時代は、少なくとも先進国ではすでに終っています。

その証拠に、1940年代には家計の60パーセント以上を占めていた日本のエンゲル係数は、もう20パーセント程度しか占めていません。真の意味で食べるためにかかるコストは限りなく低く、いつの間にか働かなくても生きていける社会になっているんです。

人生はサバイバルゲームではなく、単なる壮大な娯楽になりつつあります。

人間はただただ娯楽を生産し、消費するようになります。

……っていうかすでにそうしています。

例えば大学。

いまや大学進学率は60パーセントにも達し、みんな大学と名の付くところに行って、壮大な暇つぶしに興じています。

そもそも学問は一種の娯楽と言えなくもありません。実用的な学問も沢山ありますが、例えば源氏物語を原文で読むとか、哲学の勉強をするとか。現実的なアプリケーションがほとんどない学問も沢山あります。知的好奇心は満たされ、実に味わい深いものですが、それだけです。

みんなが学校の塾の先生、楽器の先生、ゲームの開発者、映像作品や音楽作品の制作者や配信者となり、あるいは旅行や留学の斡旋業者になり、みんながそれを消費する側にもなります。

あるいはレストランでの食事。これもまた一種の娯楽です。

あるいはブログを書いたりYoutubeビデオを作ったり、面白いことをツイッターで呟いたりしてうまいこと収入に結びつけていく人も出てくるでしょう。

自分が創作する人でなくても、こうして作られた「娯楽」を供給する仕事に就く人も沢山いるでしょう。 考えてみたら私たちはすでに「娯楽」に囲まれて暮らしています。タブレット、スマホ、一眼レフ、大型テレビ、ステレオ、ゲーム……。どれもなくたっていいものばかりです。



そして僕たちは電池になる
こうして人間は好むと好まざるとに関わらず、知らず知らずのうちにマトリックスの電池のような存在になっていくのではないでしょうか?

カプセルに入って白昼夢を見る代わりに、娯楽に興じ、そこで得たカネで、さらなる娯楽に必要な製品を買っていくんです。

そういえばツイッターだってブログだって、youtubeビデオの制作だって、スマホやらPCがないとできませんね。

こうした工業製品たちはすべて、時間の問題でロボット君たちに製造されるようになるでしょう。

僕たちのマトリックス化、思ったより早くやってくるのかもしれません。

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2013年1月11日金曜日

親子間のコミュニケーション

「下流の宴」という林真理子の小説を読んでみました。それなりの教育を受け、平穏な家庭を営む主婦由美子の悩みは、20歳になる息子が中卒で定職をもたないこと。下流に甘んじる若者の心理、そうした子を持つ親の葛藤などを描いた力作で、グイグイと読まされてしまいました。

色々と考えさせられることが多かった一冊ですが、特に身につまされたのが親子間のコミュニケーションの難しさです。

自分も思春期を迎えた頃、親の言うことは本当に鼻についたものです。母親は小言を際限なく浴びせ、父親は息子の状況なんて対して把握していないくせに、高圧的に罵声を浴びせたり、あるいは暴力で息子をねじ伏せようとしたり。

そして繰り返される数々の脅し。

「ちゃんとした学校を出ていないとロクな会社に入れないよ」

「ちゃんとした仕事に就かないと家を買ったり、クルマを買ったりできないよ」

「学歴がないと一生人からバカにされるんだ」

などなど。

こうした「脅迫」は本当に嫌いでした。 そして「小言攻撃」や「罵声攻撃」、あるいは「脅迫攻撃」が通じないとなると、次は「猫なで声」の出番です。

「あなた自身の将来なんだから自分で考えなさい」「自分のやりたいことをやったらいいわ」

などなど。

「下流の宴」の主人公もまた息子に:

「翔ちゃんの人生だからゆっくりでいいのよ。ゆっくりと自分の好きなことを見つければいいのよ」

などと言うのです。ところが親は腹の中ではそんなことちっとも思っちゃいません。それなりに大学に進学し、それなりのところに就職して欲しい、と切に願っているのです。

こんなことを偉そうに書く自分も、結局自分の親が通ったのと同じ道を通り、子供に向かって小言や罵声、あるいは猫なで声を出しました。そして何も伝わらず……。そして考えずにはいられませんでした。

なぜ親子間のコミュニケーションはこんなにも難しいのだろうか?

この小説は、そんな葛藤を久しぶりに思い出させてくれる一冊でした。

以心伝心
家族という関係はとにかく「濃い」関係です。

よく「阿吽の呼吸」、「以心伝心」などと言いますが、それが当たり前なのが「家族」とう関係です。だから親が猫なで声を出そうが怒鳴り声をあげようが、子どもたちは親の言葉からではなく、身振り手振りや表情などの非言語のコミュニケーションからメッセージを汲み取ってしまいます。親もまた、子供のふてくされた態度や挑戦的な態度を感じ取り、敏感に反応してしまいます。

そうやってお互いに自分自身の嫌いな部分を見いだし、反発し合ってしまう。親子という関係の難しさは、こうした鏡のような関係にあるのではないかと思うのです。

息子や娘が反撃の牙を剝き始めると、痛いところを突いてくるのはそのためでしょう。学歴や世間体を気にする自分。出世したほうが偉いと思い、職業に貴賤があるとどこかで思っている自分の価値観。そしてそうした一丁前の生意気な指摘にいらだち、必要以上に罵声や説教を浴びせ、それがまた反発を生み……と悪循環にハマっていくのです。

一体なにを伝えたいのか?
親というのはとにかく子供に自分が得た教訓を伝えたくなってしまうのではないでしょうか?

特に自分が犯した失敗は子供に犯して欲しくないと思うものでしょうし、だからこそ少しでも安全なレールに乗せたくなってしまい、口出しをしたくなってしまいます。特に思春期に突入し、色々とおバカなことをやりだす子ども達を黙ってみてるのは本当に難しいものです。

そこでなにやらメッセージを伝えたくなる。心に響く言葉を。そんなことを思う父親は少なくないないだろうし、母親はどうしても小言爆裂。

でも問題は2つあります。

- 自分には語るほどの言葉や資格があるのか?

- 子供はメッセージなんて聞きたいのか?

ってことです。

またメッセージを伝えるにせよ、本当に伝えたいことを喋っているのだろうか?という自問自答も必要な気がします。つまらない処世術を喋ったって、本気で自分というものを探し始めた思春期まっただ中の息子や娘に響くはずもないような気がします。

自分が思春期の頃を振り返ってみると、親に限らずですが、欲しかったのは色眼鏡を掛けずに話を聞いてくれる大人だったように思うんです。あるいは自分の価値観をあたかも普遍の真理であるかのように押し付けない大人。言っていることとやっていることが一致している大人。

自分は一体そういう親に、大人になれたのだろうか?

そう考えた時に、口を塞がざるを得ない気がします。

言葉ではないメッセージ
結局子供にメッセージを伝えたかったら、自分の背中を見せるしかないのではないか?と思うんです。

どうせ何かいったって反発されるだけです。

それよりも「人の悪口を言うな」というのなら自分が言ってはいけませんし、「勉強しろ」というのなら、夜youtubeなんて見てないで、専門書の一冊も読めばいいんです。「人生を楽しめ」というのなら疲れた顔をして足を引きずって会社に行くのではなく、楽しげに人生を謳歌すればいい。

子供にいい聞かせたいことの半分も出来てない自分を知ることで、まあ「ガミガミ言うのはヤメとくか」って気にもなれると思うんです。

私は子供に「勉強しろ!」というの、子供が高校生になったらようやくストップできました。

自分が言っていること/考えていることは本当に大切なことなのか、あるいは矛盾はないのか自問自答してみる必要もあるのではないでしょうか?

「職業に貴賤はない」といいながら「いい会社に入れ」と言っていないか?

「努力すれば報われる」と言いながら、実は「才能がない奴は無理」と思っていないか?

「ウソはいけない」と言いながら、「ウソも方便」と思っていないか?

言葉では伝わらず、言語外のコミュニケーションで伝わってしまう関係だからこそ、姿勢が問われてくるのだと思うんです。

そして自分がそういう姿勢が示せないなら、「まあオレの子じゃしょうがないな」と思って黙っていたほうがいいいような気がするんです。

そういった姿勢が出来て初めて、子供が少しだけ心を開いてくれるように思います。

こうしてみると、子育てをしてるんだか、自分が子供に育てられているんだか分かりゃしません。

身の程を知る。

これは子育てにも当てはまる、大切な真理かも知れません。

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